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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #195

第十三章 終幕:3

 リフトアップの際、スキッパーには借りた野戦用の背嚢に入ってもらった。
古参兵らしく手慣れた調子で背嚢に飛び込み、袋の口から頭だけ出してアレックスさんの胸の前に固定された。

 みんなは一緒になって空の上へと引き上げられる。
高度を増すと霧の切れ目からぼんやりと、プルタブ川の川面が見える。

『ダイやタケちゃんは無事だろうか。
ピグレット号のトップスリーはまあ大丈夫だろう』

わたしはぐんぐんと空へ昇るにつれ、不思議な安堵を覚える。
不思議な安堵の中、わたしはそんな取り留めの無い事を考えている。
それにしても、あの人達がわたしのことをあんなに心配していてくれていたとは、ちょっと意外でかなり嬉しい。
 河畔での混戦の最中。
わたしの左肩に矢が着弾する直前にはっきり分かったのだ。
口々に『アリーッ!』と叫んで、剣を振り回しながら駆け寄ろうとする、ブラウニング艦長やモンゴメリー副長やマリア様の形相が。
それを思い出すと、本来わたしのキャラではないが、何と言うのだろう・・・不覚にも涙ぐむ?
そんな状態になってしまう。
艦長達に気付いた直後、わたしは着弾の衝撃で川に落ちてしまい、後は何も分からなくなった。
ただ、返り血を浴びて恐ろし気なのに、それでも泣き出しそうな位に悲痛なブラウニング艦長の特別にでかい顔と声だけは脳裏に焼き付いた。
それは溺れて薄れいくわたしの意識が頼りにした、切なく懐かしい生への標だった。
最後に見て聞いた、ブラウニング艦長の愛情と悔恨に満ちたあの表情と叫びを、わたしは生涯忘れることなどできないだろう。
 更に高度が上がるにつれ、眼下からは銃声も聞こえなくなる。
けれどもそれだけでは、地上を覆う霧の中で何がどうなっているのかは、全く見当も付かない。
ただ、部下を裏切り戦場へ置き去りにしてきたシャーロットさんの体温が、わたしの冷え切った背中に確かな温もりを伝えている。
任務とは言えわたしなどの為に、長年積み上げて来た一つの人生を投げ捨てた女性が、今はこうしてわたしを背後から抱き締めている。
彼女の心中を思うと、申し訳なさに身が縮むのに・・・。
それと同時に込み上げる多分理不尽な憤りで、わたしの胸はいっぱいになる。

『わたしみたいなへっぽこ小娘の能力。
索引者の能力って、この世界にそんなに御大層な意味のあるものなの?』

わたしなんてついこの間まで、ペエペエの武装行儀見習いだったんだよ?
第七音羽丸の甲板で右往左往していた、尻の青いただのお子様だよ?
マリア様に微笑みかけられておしっこちびったり。
アキちゃんのなりきりに付き合わされて、彼女の心の深淵を覗き込んだり。
砲撃クラブでは全身火薬臭くなっておまけにあっちこっち火傷したり。
お姉様方との女子会にワクワクしたり。
わたしがそんな生き生きとした、いっそ健やかとさえ言えそうな日常を送っていたなんて、ホント嘘のよう。

 わたしたちは、この他所の誰からも見向きされない植民星の上に乗っかって生きている。
わたしたちは夢や希望そして絶望を抱え込みながらこの星で、ちまちまとつつましく日々の暮らしを立てているんだ。
数え上げてみればこの星ロージナの人口は何億っていう数になる。
決して少なくはないそんなわたしたちの一人一人は、失われてからもう千年も経つライブラリーのバックアップを担っている。
人類にとって存在の証とも言える文明の記録を、量子コーディングされたDNAと言う形で保持し、次世代に伝えようとしている。
でもそんなことは、わたしというたったひとりの人間には全く無意味なこと。
 わたしって何?
確かにわたしはみんなが担う情報を検索できる能力を持っている。
だけどそのことは、わたしという個人の人生にとっては全く無意味。
いや、わたしはそのことの無意味を否定する材料を全く見出せない。


『わたしくしという現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です(宮沢賢治)』


昔々の、名前も分からなくなった超古代の詩人が書いた一節が脳裏に浮ぶ。
闇の中で心細く明滅する小さな青い電灯が。
そんなたよりないわたしが。
いったいどれほどの者だってんだ。
 
 人々が自分自身では読めやしない知識。
いや読めたとしても、例えば数学の嫌いな人間に集合論や確率論の知識があったって、いったい何の役に立つのだろう。
 ライブラリーが無くなってしまった以上、記憶媒体としての人間はカギのかかった金庫みたいなものだ。
だから金庫のカギ・・・わたしの索引者の能力が狙われることに成ったのは分かる。
全く持って迷惑な話だぜ。
 カギの掛かった金庫みたいなわたしたちは、それぞれ“何かしらの能力”をもって平均百五十年程の年月を生きるんだよ?
“何かしらの能力”の中には、わたしみたいに生まれつき搭載されている質の悪い呪いみたいなものある。
それは身をもって知る確かなこと。
 だけど本当に価値がある能力ってのは、当人の努力や鍛錬の結果、苦労して身に着けたものだけだ。
絶対にそれが能力の正しいあり方だ。
わたしの能力なんて、わたしというちっぽけなひとりの人間にとっては、まったく用をなさない。
わたしの能力を欲しがる糞ったれどもだって、必要なのはわたしと言う人間じゃなくて、能力と言う機能だ。
機能と言う側面からだけ見ればだよ。
もし能力を発揮できる弁当箱くらいの大きさの機械があったなら、奴らにとってわたしはその弁当箱と当価値ということだよね。

『ふざけんじゃねー!』

わたしってば、ご立派な大人から見れば、まだ何も学んでないし何も身に付けていない。
齢二十年にも満たない半端な小娘かもしれない。
それは認めるし、プリンスエドワード島に憧れるあまり『ポストマンに成りたいな』なんて思っちゃう、軽薄でちっせー人間だ。
だけどピグレット号に奉公に出されて、上手にロープを結べるようになったし、六分儀を使って天測もできるようになったよ?
高いヤードの上での展帆作業だって、もうじきお姉様方みたいに上手にこなせる様になるよ?
それがわたしの身につけた能力だ。
恥じることなく人に誇れる能力だ。
名前からその人の大切な情報を自動検索する索引者の能力なんて、わたしにとっては糞の役にも立たない、どうでも良いことだっての。
索引者なんて詰まんない能力を取っ払ったら、ど真ん中オーディナリーでモブなわたしだよ。
そんなわたしなんかを巡って、分別を弁えたいい年をした大人たちが寄ってたかって何をやっているんだか。
だけどさ。
こんな酷い目にあわされているわたしがだよ。
素直に糞ったれな大人達の言う事を聞くとでも思ってるのかな。
もしこの先、わたしが糞ったれどもに捕まるようなことがあってもだよ。
徹頭徹尾大ぼらを吹き通して、もっともらしい嘘をでっちあげてやる。
これ確定な。
それが出来なさそうなら。
上手くいきそうになかったら。
ケイコばあちゃんからもらった伝家の宝刀みたいなロケットがあるし・・・。
『ざまぁみやがれクソッタレども』って、あっかんべーしながら死んでやることもできるんだ。
わたしは!

・・・ホント、バカみたいな話だよ。
たとえ超科学や超技術の情報が手に入ったってさ。
現代の知識や技術水準じゃ、そんなの絵に描いたお餅だね。
お宝情報を目の前にして、フラストレーションで胃に穴が開くのがせいぜいの所じゃないかって思う。
だから、わたしのことなんか最初から無かったことにすればよい。
そうしてみんなとっととおうちに帰って、家族と一緒にニコニコしながら夕ご飯でも食べてればいいんだ。
 
 怒りに満ちた慨嘆は、後から後から、わたしの小さな胸の内に湧きおこった。
やがてわたしたちは朝霧の中を完全に突き抜け、上空でヒーブツーしていた惑星郵便制度の航空スループ船に収容された。
地表を覆う真っ白な霧の先に見晴るかす、キラキラと輝く水平線の彼方まで。
ロージナの高い空は今日も今日とて、あくまで青く澄んでいた。

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