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垂直少年と水平少女の変奏曲〜加納円の大いなるお節介と後宮の魔女達~

第5話 そして少年は真っ白に燃え尽きた 5

 「これに署名して」

何の前振りも無く、先輩はいきなり一枚の紙を差し出す。

NASAの宇宙船でも使っていると、メーカーがCMで大自慢しているボールペンもいっしょだ。

「なんですかこれ」

明鏡止水が疑心暗鬼に変わった瞬間だった。

「生物部の入部届。

加納君は帰宅部ですよね?

なら問題ないでしょう」

先輩は澄んだ眼差しと天真爛漫な笑顔で、僕の隙を突いて来る。

桃色の小さな唇から真っ白な歯がチラリと覗いた。

「先輩は人身売買にも手を染めていたんですね」

「なにそれ?

女衒じゃあるまいし加納君を騙して何処かに売り飛ばしたりなんかしませんよ。

正真正銘、生徒会謹製の入部届です」

「なぜに僕を生物部に?」

「部長はわたし。

活動している部員は実質わたしだけ。

能力関連であなたと過ごす時間が長くなるわけだけど、良いカモフラージュになると思いました」

先輩は得意気な調子で形の良い鼻をぴくぴくさせる。

どうやら僕には否やを唱える拒否権は無い様だ。

「わたしが署名して出しちゃっても良かったんですけど、それではねぇ。

あんまりと思って」

先輩は無邪気そうに目をキラキラさせながら、茶目っ気混じりの上目使いをして見せる。

口じゃ自分の魅力に否定的なことを言う。

そのくせ、先輩は自分のチャームポイントを最大限まで引き出すノウハウには、十分長けている。

先輩もふーちゃん同様、日がな1440分の持ち時間から、かなりの割合を割いて鏡とにらめっこしているその道の手練れに違いない。

 「へったくそな字ですねぇ。

まあいいでしょ。

加納君の白衣はこれ。

Ⅿサイズじゃ少し大きいかしら」

「大きなお世話ですよ。

別に書家に成ろうなんて大それた野心なんか持ってませんから。

白衣だって、もちろんMサイズで大丈夫ですとも!

来年はLLを用意してください」

「・・・袖をまくっておきなさいな。

去年のクラスメートに夏休み明け、ぐんと身長が伸びていた男子がいるって、あなたに話したことあるかしら。

・・・十五歳の男の子なんて雨後の筍みたいなものと聞くわ。

あるのは伸びしろだけですよ・・・多分。

来年せめてMサイズがぴったりになると良いわね」

身長が足りなくて、ジェットコースターに一人だけ乗れなかったことがある。

遊園地で味わったあの時に匹敵しようかと言う全身が痺れる程の屈辱だった。

 マンデリンの馥郁(ふくいく)たる香りに騙された訳ではないのだけれども、いいように誘導されたんだよね。

署名済みの入部届を、嬉しそうにしまい込む先輩をぼんやり眺めながら、僕はムーミンを傾けコーヒーの苦さを確かめた。

毛利先輩は一見するだけならば、天使のように純粋で、愛のように甘い美少女かもしれない。

けれども僕を虐める時の了見は、悪魔のように黒く、地獄のように熱い。


 翌日から先輩と僕の奇妙な部活動が始まった。

生物部は学校から正式な部として認められている。

けれども、部員は実質先輩と僕だけというのは本当の事だった。

生徒手帳には部活動は部員五人以上で行うべしと明記されている。

顧問の教師もいるはずだ。

生物部が一体どういうからくりで回っているのかは分からない。

けれど先輩がそのことについて何も語らないので、僕も深く詮索はしないことにした。

機会を見て後日、事情通の荒畑に尋ねてみれば、詳しい事情が知れると半ば分かっていたからだ。

 「これはなんです?」

「細引きよ」

翌日の放課後はまたも訳の分からない状況での幕開けとなった。

「細引きって・・・。

これロープですよね?

毛利ルーシーの痴態を目撃してしまった僕に、首を吊って自決しろとでもおっしゃるんですか?」

先輩はたちまち顔を紅に染め大きな目を潤ませる。

「ち、痴態?

わたしは加納君に痴態を晒した覚えなんてありません!」

「げろげろ」

「あなたはやっぱり意地悪な人です」

本格的に涙ぐみ始めたので、先輩の情動をいたぶり、感情表現の景色を鑑賞する趣味は取り敢えず脇に置くことにする。

「生物部の活動にせよ。

能力の調査にせよ。

飛行実験にせよ。

ここで細引きを渡される意味が全く分かりません」

僕が鉾をひっこめたので先輩も深呼吸して体勢を立て直した。

「ここは屋内よ。

この間みたいにいきなり飛び上がったら、また天井に凹みが出来ちゃうでしょ。

ううん。

穴でも開いたらそれこそ大変。

だから君の両足首に細引きの一方を縛り付けて、ちょっと余裕を持たせたらこの重い実験台にもう片方を固定するという寸法。

理解しましたか?」

「僕の頭より天井の心配ですか」

「・・・そう恨みがましい目をしないでちょうだい。

加納君の頭が常人より硬くて丈夫なのはもう証明済みです。

それでも心配と言うならこれを貸してさしあげます」

先輩は伊勢丹のペーパーバッグから紅いペンキを乱暴に塗ったくった工事用ヘルメットを取り出す。

「生徒会の友人から借りて来ました。

学園紛争のときに先輩諸兄諸姉のおつむを守ったヘルメットです。

生徒会で代々受け継がれてきた由緒正しい一品だそうです」

先輩は大得意とばかりに、腕を組んで胸を反らせる。

ちょっと頭が上向き加減になったので観察できた先輩の鼻の孔だ。

よくよく見れば、やっぱり造形的に美しい円弧を描いている。

「先輩。

鼻毛、見えてますよ?」


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