垂直少年と水平少女の変奏曲〜加納円の大いなるお節介と後宮の魔女達~
第18話 アプレゲールと呼んでくれ 8
「・・・先輩、心配して下さるお気持ちは嬉しいのですが。
僕にマエがあるとのおっしゃり様は、ちと言い過ぎでは無いかと。
凶状持ちの極悪人じゃないんですから。
それでも・・・やはり僕らの手にはあまるのでは?」
「まどかさん!
その為の民間セキュリティーですよ?
国家の暴力装置に籍を置いていた。
そんな元公務員の端くれとしましては、正直言って内心忸怩たるものがあります。
例えば戦前の治安維持法で認められていた予防拘禁なんてとんでもないですよ。
有効とは分かっていても、冷静に考えてみたらゾッとしちゃうほど卑劣で粗暴なやり口です」
「・・・予防拘禁って、もしかしたら昔は疑わしいってだけで逮捕とかされちゃったりしたんですか」
「そーですよ。
元自衛官の私が言うのもなんですが、戦前の日本は表立っては陸海軍の無茶振りが目立ちます。
けれども強大な軍のでたらめ以上に警察国家的乱暴狼藉が国民を痛めつけていたのです。
内務省の警保局保安課や図書課、実行部隊の特別高等警察なんて控えめに言ってもゲシュタポかKGBですよ。
陸軍にだって憲兵隊っていう独立した警察組織があって市民にも手を出していましたからね。
今でも警察官職務執行法や精神保健福祉法、少年法などで予防拘禁に近い処置を取れるみたいです。
ですが有難いことに戦前と違って、警察や検察から令状の請求があっても裁判所がおいそれとは首を縦に振りませんからね」
佐那子が肩を竦めた。
「警察は頼れても頼っちゃいけない領分もあるっていうことですか。
変態中年もその背後にいる奴も思想犯じゃなくて刑法犯の括りですよね。
それででもですかね」
「蟻の一穴ってこともありますしね。
国家が暴走を始めたら、大抵は行き着くところまで行かないと止まりゃしませんよ?
だからこその東都警備保障です。
煩わしい手続きもなくお電話一本で、自由な市民の心身や財産の安全安心を保証いたします」
「わたしも佐那子さんに賛成。
ここまで傍証が揃えば、算盤勘定もお得意な高木先生が、父に内緒で金庫を開けてくださいます。
下手に父に知らせたら、仕事を放り出して日本に帰って来ちゃいますからね。
その経済的損失を考えたらわたしの警備費用なんて・・・“屁の河童”だと思うの。
そこは高木先生も良く分かっていらっしゃいます」
ルーシーが少し頬を染める。
“屁の河童”などとなれぬ言葉を使うものでは無いなと円は思う。
だが重苦しい場の雰囲気を少しでも軽くしようと、あえて屁を持ち出したルーシーの気持ちを思い胸が痛くなった。
「それ、助かります。
さっきはまどかさんに思わず声を荒げてしまいましたが。
今回の件では費用対効果について父・・・社長に随分と叱られました。
私としては有効で実績にもなると思っているのですよ。
けれどもビジネスは道楽じゃないと、経理の石頭や他の役員連中にはとんと理解されなくて。
父が私の行く末を心配してくれているのは分かるのですが」
佐那子が吐く小さなため息にルーシーも完全にシンクロしている。
娘に対して些(いささ)か過干渉の父親を持つふたりには、何か共通の思いがあるようだ。
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