見出し画像

5. 比喩から推論へ

 人間は自然から文化・知性へと移行する際に、どのようなトリックを要したのだろうか。クロード・レヴィ=ストロース氏は『今日のトーテミスム』(みすず書房)の中で、ジャン=ジャック・ルソー氏の記した「言語の歩み」に関する記述:

 人をして話さしめた最初の動機は情念であったため、人間の最初の表現は比喩であった。比喩的言語がまず誕生し、本義は最後に見つけられた。(中略)初めは、人は詩のみで語った。推論することを思いついたのはずっとあとのことだ。

を引用し、「知覚の対象とそれが呼び起こす感動とを一種の超現実の中で混同する包括的なことばが、本来の意味での分析的還元に先行した」と総括している。

 実際のところ、人間はその理解が及ばない現象に立ち会ったときは、こうした心理状況がいまだ働くのではないのだろうか。このCOVID-19においても、同様のことが言えるではなかろうか。

 2019年12月末頃、もはやそれはコロナ以前の遠い彼方のことのようにも思える。ただ中華人民共和国湖北省武漢において、李 文亮医師が「SARS」と以前流行した症候群を比喩的に用いた当時未分類のコロナウイルス感染症は、密かにその猛威を振るい始めたばかりだった。その勇敢な医師による情報提供が現地当局により踏みにじられている間に、世界中へとCOVID-19は爆発的に拡散してしまったのだった。

 その後、様々な人々がこの社会的危機に立ち向かい、徐々にSARSのような、という比喩的状況から離れて、COVID-19という本質に分析的還元の主眼が置かれるようになった。とはいえ、この文章を記載している7月末の時点においても、いまだその全容までは到達することはできていないし、これからも研究は着々と進められることだろう。

 例えば、治療薬に関する動向は目まぐるしいものがあった。SARSに対してはさしたる特効薬が開発されなかったが、COVID-19に対してはこれを記載している7月末時点では、デキサメタゾンというステロイド、またレムジデビルというエボラウイルスなどに奏功する抗ウイルス薬などが、治療の最前線で効果がある薬剤として扱われている。もちろんその他にも、効果があるかもしれない、という薬剤たちの評価が待たれるところだ。

 薬剤のみならず、各国・各製薬会社のワクチン開発への意気込みも甚だしいものがある。加熱する開発と、その後の人へ応用するための臨床研究の数々は、実際に可能かは別としても、このCOVID-19を制御するという夢が年内にも実現するかもしれない、という希望を人々にもたらしている。

 そして「8割おじさん」と評された西浦博氏の研究に基づく「3密」と題された対策の呼びかけは、当初の疑念に満ちた評価・行動を制限される人々の反感を第一波と共に乗り越え、今やWHOによって「3C」として世界に公布される対策となった。

 行動自粛を要請するとともに国民に対して呼びかけられた「3密対策」は、日本における第一波において人々の意識変容に一役買ったのは確かだろう。それこそ、小池都知事が都政において感染対策として交付したことがYouTubeにアップされるくらい、社会に与えたインパクトは大きかったに違いない。

 しかしその一方でこのCOVID-19による感染者や犠牲者がいるという事実は、勇敢な告発を行いながらもあえなく妻子を残して散った李 文亮医師をはじめ、決して忘れられるべきものではない。こんな感染症が無ければ、もっと長生きできたかもしれない命たち。さらに生き残った感染者たちにおいても35%程度の人たちにおいて数週経っても何らかの症状が遷延しているというCDCの報告もあり、こうした人々の長期的な症状の推移やケアにも着目されなくてはならない。

 さて、そんな世界が日進月歩を競いながら、感染者たちへせめて報いようと懸命に働いている最中、日本はというと「Go to キャンペーン」以前から既に第二波が襲い掛かっていたのだが、今や東京のみならず全国各地が、本格的にその波の中に置かれてしまっている。政治はこの感染症がさらなる猛威を振るおうとする兆しを前にして、第一波のときの都市封鎖要請に伴う経済停滞の悪夢がプライミング効果を発揮しているのか、怯えたように対策を放棄しているようにもみえる。

 ナシーム・タレブ氏による「講釈の誤り」という概念は、人間が「過去について根拠薄弱な説明をつけ、それを真実だと信じることによって、のべつ自分をだましている」傾向を説明する。政府が希望的観測に浸るのは、その実、下手に第一波を乗り越えたという実績に過信を得たからなのかもしれない。しかしその効果は、専門家会議の意見なども踏まえながら、迅速に人々の移動を抑えたことで発揮された側面も大きいという不都合な事実を、どうにか無視して自らをだましているようにもみえる。

 瀕死の観光業や飲食業の振興事業と、次なる被害者を出さないための政策とにある利害対立はもちろんあることを承知しながらも、この「Go to キャンペーン」は医療資源が薄弱な地域へと感染を拡大させ、地域の医療へ多大な圧迫を成しうることには、前回にも言及した。無論、感染者の拡大が続くようであれば、東京や大阪、名古屋においてすら、医療機関への負担が耐え切れなくなるかもしれない。地域の医療機関の間においても感染対策実施に差があり、発熱・上気道症状患者が一気にCOVID-19対応が可能な病院へ集積させられる可能性も否定できないからだ。そうなった場合、COVID-19に対応可能な病院における疲弊は、最終的に院内感染などのリスクを増大させ、気が付いたときには地域の医療を支える基盤まで根こそぎ破壊されかねない。

 実際のところ、新型コロナウイルス対策分科会の尾身 茂会長は、開始前に実施の判断を伸ばすことを提案していたという。また東京都医師会は、法改正を以て法的拘束力と補償を伴った飲食店の休業規制案を採択するよう、政治へと注文を付けている。生活のために致し方なく営業を続けている店舗も中にはあるだろうし、エピセンター化した地域では感染可能性を下げるという意味では有効なのかもしれない。そこに旅行業への支援も加えることが、望ましいのではないだろうか。

 社会における利害の対立を調整し、社会全体における最適な在り方を模索するのも、政治に課せられた課題ではないだろうか。有権者として、またそれぞれの価値観を以てして、今後もCOVID-19に対する政治的な方策については、注視していこうと思う。

 しかしウイルス感染が市中で生じているということは、再生産数(ある患者さんから別の人々へ感染させる人数)を加味すると、場合によっては指数関数的に感染者が増大することにも等しい。

 山中 伸弥先生による情報発信を参考にすると、社会状況により再生産数は変化する。現時点ではまだ電車通勤の方々も多く、飲食店も再開しているところが多く、実際に感染者数が増大していることからも再生産数はかなりのものになるのでは、という疑念が絶えない。8月がどうなるのか、と背筋が凍りそうになる7月最終日……。

第1話:「1. COVID-19:第二波が高まる最中に」はこちら
次回:「6. 境界線と距離とグローバリズム」はこちら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?