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ばかものよ


ひさしぶりの日記を書きはじめている。気づけば桜は散り去って、暖かな陽射しが感じられるようになっていた。本当なら鴨川で日向ぼっこでもしながら、のんびり寝転がれたらよかったなあ。ここ数週間で社会状況も、身の回りの環境変化も大きくあって、さまざまな流れに揺られながら日々を生きている。

なかなか休日を取れないこともあり、読書ができないことがストレスになっていた。読みたい本がたくさんあるけれど、本を読むための精神的な余裕が作れなかったことが原因だろう。そんなときは、自分のnoteを見返したり、友だちのブログを毎日読んでいた。

noteや日記を読み返していると、自分の精神状態が本当に良くなったなあと思う。むしろ自分でも怖いくらいに、心が落ち着いていなかったんだなあ。春の陽気な暖かさは心を穏やかにしてくれた。難しいこともたくさんあるけど、自分のペースを忘れずにのんびりやっていこう。

最近は食に関するエッセイや詩集を読むことが多く、時代としては大正から平成までを生きる人たちの作品だ。武田百合子さんの「ことばの食卓」なんかも好きだけど、特に茨木のり子さんの詩集を図書館から借りてずっと読んでいた。彼女は19歳のころに敗戦を経験していて、戦時下での体験や感情が彼女の詩には溢れている。「わたしが一番きれいだったとき」という代表的な作品では顕著にその様子がうかがえて、心を揺さぶられた。

友だちの影響から歴史を断片的に学んでいるのだけど、日本の時代感と一緒に、文学などのフィルターを通してみても本当に面白い。高校では日本史や世界史をまったく勉強してこなかったので、とても残念に感じるほどだった。彼女の好きな作品はたくさんあるけれど、自分の教訓として留めておきたい詩をひとつ、ここに載せておこう。


『自分の感受性くらい』

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ





ここ最近の関心は雑多にあって、文学ではドイツやフランス文学の作品を中心に読んでいたし、歴史については「COTEN RADIO」を毎日のように聴いている。ポッドキャストで簡単に聴けて、自分の関心ごとだけを重点的に楽しめるので、すごくおすすめ。

あとはナチュラルワインについても学んでいたり(「自然派ワイン入門」という本が面白いよ)、宗教(特にいまはイスラム教)についても本を読んでいる。

他には野菜についても学んでいて、最近ではヤーコン、カーボロネロ、アレッタっていう春の野菜?を知った。職場が変わり、ご飯が食べられることが本当に嬉しくて、食べながら味を知り、季節ごとの野菜を学んでいこうと思っている。

ヤーコンは見た目以上に美味しい食材だというのが衝撃だった。梨のようにみずみずしく甘味もあって、シャリっとした食感が心地いい。果物は種子の伝播のため、鳥などに食べてもらえるように外に実り、甘さを蓄えるらしいのだけど、ヤーコンは根菜なのに果物のような甘みもたっぷりと含まれているのが面白い。

カーボロネロはケールの仲間で、黒キャベツと呼ばれている。一般的なキャベツよりも苦味があり、香りも強いのが特徴でビタミンも豊富。繊維がしっかりしていて崩れにくく、見た目の彩としても良い。

アレッタとはケールとブロッコリーが掛け合わされた野菜で、栄養価も高く、菜花と同じように食べられてとても美味しかった。菜の花と言ってもたくさんの種類があるらしいので、春のうちにたくさん食べておこう。

どの食材も絶対に自分では買わないものだから、面白い発見があるのですごく楽しい。それぞれの味を知り、育ててくれている農家さんまで思い出せるようになっていけるといいなあ。それこそコーヒーと同じように、産地まで想いを馳せることができれば、食べることへの幸せをもっと感じられるようになると思う。地に足の着いた生活を、これからも続けていけるように。


ここまで読んでくださってありがとうございます。 楽しんでいただけたなら、とても嬉しいです。