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移住と暮らし

先日、前職時代の友人たちが、城崎に遊びに来てくれた。

そんなに長く会社に務めていたわけではないけれど、仲良くしてくださっている方々が多くて、本当に嬉しい限りだと思う。中途採用で唯一の同期であった、イエメン人のタレックも来てくれて、次は一緒にエジプトに行こうと誘ってくれた。(さすがに難しそうなので、今度レバノン料理を食べにいく約束をした)

タレックはイエメンの生豆を卸す会社を自分で立ち上げていて、もうすぐ日本に届くニュークロップを僕も取引させてもらう予定にしている。インフラが整っていないことや、各地で内戦が続いていること。関所ごとで税金を取られてしまうことなどが理由で、安全にコーヒーの生豆を輸出するにはかなりコストがかかってしまうらしい。価格は高いけれど、その分とてもおいしいので、楽しみにしている。

学生の頃から日本に住んでいたこともあって、日本語はかなり流暢だから逆に英語やアラビア語を教えてくれたりする。彼と一緒に働いていた頃はとても懐かしく、楽しかったことも、怒られたこともいろいろあった。僕が会社を辞めることになったとき、彼一人を残して本当に大丈夫なのだろうかと心配していたのだけど、なんとかうまくやっているようで何よりだ。

いくら日本語が上手だといっても、やっぱり言葉で詰まってしまうことも多く、仕事に時間がかかってしまうのは仕方のないことだった。ある日、かなり説教を受ける日があって、会社のキッチンで一緒にコーヒーを淹れて話を聞いていたこともあった。随分としおれた様子だったので、まだ今日月曜日やで と言うと、What!? という彼の返事にめっちゃ笑った記憶がいまでも残っている。

すごくいいやつだから、彼を応援したい気持ちもあるので、ぜひ頑張って欲しいと思っている。
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そんなことはさておいて、城崎は本当にいい街並みだなあと改めて実感した。正直、そんなに見るべき場所があるのかというと、街自体は小さいので1日あれば十分だったりするのだけど。

温泉に入って、おいしい料理とワインを飲んで、街をぶらぶらと歩いてまわる。都会から離れて、緩く流れる時間を楽しむにはもってこいな場所だと思う。実はもうこの街にきて、およそ1年が経過する頃だった。

会社勤めに疲れ果てて、上司や代表と相談した結果、5日間だけお休みをいただけることになったのがきっかけだった。都会から離れて、どこか遠くの田舎に行きたい。そう思って飛び出したのが城崎だったのだ。(実際にはそんなに遠くはないけれど 笑)

城崎では鳶の鳴き声に迎えられ、雄大で自然豊かな円山川の河川敷を、吹き抜ける風を浴びながら自転車で駆け回った。夏の光が強い日だったけど、あまりの気持ち良さに思わず笑みが溢れて、ハミングを口ずさんでしまうほどだった。

城崎の街に帰ってきてからは、汗を流すように温泉に浸かり、湯上りには浴衣に下駄を履いて街を歩き回った。夜になると街に流れる大渓川の柳並木に光が灯されて、からころと歩く下駄の音が街中に響いた。この季節になると、毎日数分程度の花火があがり、お店でご飯を食べていたのにもかかわらず、花火の時間だけはみんな外に出て夜空に輝く景色をじっくりと眺めた。黄色やオレンジの光に合わせるように歓声があがり、その数分間は儚い一瞬の夢のようで、随分と引き伸ばされた時間が流れたようにも思えた。

真夜中に近づく頃、旅館に泊まる人たちは宿に戻り、あれだけ騒がしかった街が途端に静かになる。昼間の賑わいに比例して、街中のシャッターが閉まる夜にはしんと静まり返る雰囲気が、僕はとても好きだった。物悲しいようで、一日の終わりを迎えるような、それでいて、どこかにまだ夜は続いていく期待感があるような。城崎の街にも、そんな空気が流れたような気がしたのだ。

大渓川にかかる石造りの欄干に座って、夜風を浴びながらビールを飲んだ。なぜだかあの夜の空気は、心の奥底にある素直な言葉を引き出してくれる。きっと誰といても、あの空気に浸れば青春のひと時を味わうことができることだろう。将来の夢を語ったり、いまがどんな気持ちで、これからどう生きていきたいのか。僕もその言葉を語るうちに、自然と心の糸はほぐれて、なんとなく、ここに住んでみようと思い立ったのだ。

よくよく考えてみれば、家族がいるわけでも、実家があるわけでもない。どこに住んでも迷惑をかける人はいないし、バリスタという手に職があれば、正直どこでも生きていけるような気がした。帰ってからは会社を辞める決断をして、秋になる頃にはもう移住をしていたように思う。案外なんとでもなるもので、移住をして良かったと思うことの方が大きかった。

仕事をベースに暮らしを考えるのではなく、暮らしをベースに仕事を考えてみる。もしくは、どちらをも満たせる環境を模索するために、移住という選択は自分にとって必要なものだったのかもしれない。思い出に浸ってしまったけれど、もうしばらくはここに住んでみようと思っている。

ここまで読んでくださってありがとうございます。 楽しんでいただけたなら、とても嬉しいです。