しゅん

主にトラウマ発症から立ち直りまでを書いていこうと思います。 困っている誰かの一助になれ…

しゅん

主にトラウマ発症から立ち直りまでを書いていこうと思います。 困っている誰かの一助になればと思います

最近の記事

私は母のサンドバッグ

小学3年生くらいの話。なんだか知らないけど突然、母が出生の話をしてくれた。 ばあちゃんからお前は間違って生まれてきた子供だったと言われたそうだ。そりゃ女ばっかり7人目だもんな。でもね。それを小学生の私に言うことではないと思う。小学生がそんな話されてどう思う?存在を否定されて、否定されてきた人から生まれた私はどういう存在?って思ってしまった。あとで書くけれど、私は常に自分に自信がなく生きてきた。何をやっても最後はうまくいかない。うまくいきそうになると自分でぶっ壊す。自分に何が

    • 私には夢がある

      ちょっと趣向を変えて。。タイトルの夢。それは経済的自由を得ること。会社ではありがたいことに、仕事をさせてもらってお給料をいただいています。まぎれもなく、今の自分の人生を作っている源泉です。 高校を卒業して、家の事情で仕方なく就職した。地元では一番といわれる会社に入ることができた。それはありがたいこと。でもそれはそれで。自分の生き方には大きく反していた。今はコロナの影響で早く帰ることができるけど、そうじゃない時は、夜の12時を回っても帰れないことはしょっちゅう。何のために働い

      • 幼児期の記憶③

        幼児期の記憶シリーズ③です。 就学前だったと思います。大きなプール公園に連れて行ってもらったことがあります。プールが終わった後、コンビニでコーラを買ってもらったのを覚えています。まだ缶とプルタブが離れるやつ(世代がわかってしまう?) 母も同じくコーラを。私はアリの巣を見つけてずっとアリたちの動きを見ていました。そしたら、何を思ったんだか、母が飲みかけのコーラをアリの巣に注いでいるではないですか!?子供ながらに目を疑いました。そんで、うっすら笑っている母。もう怖くて怖くて。

        • 幼児期の記憶②の続き

          女の人が苦手と書きました。具体的に書きたいと思います。 ①19歳くらいだと思います。同級生の女の子とラブホテルに行ったことがあります連れられて?部屋に入って、これから一戦。と思うのが普通かと思いますが、なぜか帰ろうっとぼそっと言ってしまいました。どうしたら良いのかわからずってのもあったんですが、男の本能は無いのか?って疑われそうな一件でした。やっぱりすることに対して「何されるんだ?」の気持ちが大きく、耐えられなくて発してしまいました。女か?って笑われそうですが。本当です。当

        私は母のサンドバッグ

          幼児期の記憶②

          母の姉妹会が月1回くらいずつあったかな。 母自身は7女。私のいとこも女だらけ。いわゆる女系なのかな。だから男である私はきっと女の子と違った反応するから楽しかったんだと思う。 幼稚園生のころだ。なんの話から始まったかは覚えてないのですが、「しゅんちゃんのちんちん取っちゃうぞ~」と言いながら台所から包丁を持ってこられたのを覚えてる。別の叔母はハサミ。 大泣きしたのを覚えてる。そこにはもちろん母親がいる、そしてばあちゃんも。叔母は4人か。誰一人助けてくれることはない(もちろん

          幼児期の記憶②

          虐待のニュースをみて考える

          もう珍しくもないくらいの頻度で虐待の報道がされる。 多くの人が親のくせに子供を虐待するなんて。と思っていると思います。 私もそう。 でもね、虐待とまでは言わないとは思うけど、それに近いことを私もやってた。ただ、その時は自分が自分じゃないみたいな感覚。やったことを覚えていないというか(いまはちゃんと思い出しています) 後でわかったことだけど、子供のころ(主に4歳以下)に親から虐待を受けると、その衝撃というか、ストレスを回避するために自分の中に別人格を作ってしまうらしい。

          虐待のニュースをみて考える

          初めて買ったCD

          ドラゴンクエストⅤ オーケストラバージョン。 感動して涙がでました。 #はじめて買ったCD

          初めて買ったCD

          幼児期の記憶①

          うんちをした後、おしりを拭けなかったから3歳くらいだと思う。 わたしはいつもトイレに行くのが怖かった。うんちをした後、母親を呼ばなくてはいけないから。子供ながら母親に声をかけてよいものか?ダメなのか?を常に気を配っていたというか、顔色を窺っていた。 それほど、母親が怖かった。突然キレるし、罵声に怒声がほんとに酷かった。なんで僕が生まれてきたんだろう?とおよそ、幼児が考えることではないことをずっと思っていた。

          幼児期の記憶①

          トラウマをキーワードに

          昨日の続きです。 トラウマと聞いたとたん。これだ!と気づいた。 この日を境に私が幼少のころに母親にされてきたことの記憶が開いてきた。 パンドラの箱を開けてしまったっぽい。 それはもう絶望の毎日。 ごめんなさい。書くと決めたのに、まだ覚悟ができてないみたいでした。 次は幼少期の記憶を書いてみます。

          トラウマをキーワードに

          すべてが怖い

          前回の続き 人と話すのが怖い、車を運転するのが怖い、妻が怖い、子供が怖い、会社に行くのが怖い、メールするのが怖い、友人も怖い。とにかく、見えない恐怖の感情しか湧きあがらない。 そんなもんだからいつだっていつもびくびく、おどおど、会社でも家でも。 上司や同僚、妻、子供とにかく誰から構わず大声を出していた。自分を守るため?かな。 そんな中、妻が耐え切れなくなって、別居することに。そりゃそうだ。 子供に手をあげ、妻に不安を与え。。そしてその時は記憶に無いというマズさ、、、

          すべてが怖い

          見た瞬間

          前回の続き。 あぁ似てる~ パパの遺伝子強いね 笑 なんてのんきなことを言っていたのも 束の間。 この日から 人を攻撃する。嫌味を言う。子供たちに大きな声で怒鳴る。 子供とガチの口喧嘩をする。 妻に怒鳴る。人に嫉妬をする。女の人が怖い。人との会話が怖い。 人を信用できない。人から攻撃されてる。 妻と別居することになる、約1年半くらいこのような症状に悩まされた。 当然、こんな状態では人とうまくできるはずがなく、どんどん人が離れていった。今となってわかることだけ

          何が起こった?

          2人目の子供が生まれて1歳くらいになったときに、自身の兄弟の写真をみたら、子供たちにそっくり。そこからすべてが始まった。

          何が起こった?