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7/5 粗品と太宰治

毎週日曜日に、YouTubeで霜降り明星の粗品のチャンネルを見るのが日課になっている。


粗品と言えば、今やTVで見ない日はないとも言えるほど押しも押されぬ売れっ子芸人だが、ギャンブル狂いで多額の借金を背負い、口座には十五円ほどしかないとトークでネタにするほどの金欠というのは有名な話だ。


YouTubeでは彼のギャンブル狂いの様が克明に描かれている。土曜日に競馬の予想動画を上げ、日曜に外した報告をする動画を出す。その際負けた馬券を視聴者に見せると、およそ六十万円から百万。多い時には二百万近く注ぎ込み、塵芥と化した金を嘆き、何とか広告収入を得ようと八分近く喋り続けて動画を引き伸ばし、最後に競馬引退宣言をした後「ヴェァァアアアアアアアアッ!!!」と椅子から転げ落ちる、というのがいつもの流れだ。


視聴者からは「新たなサザエさん」と呼ばれ、僕自身も粗品の動画を見ないと、週末という感じがしないほど、彼の動画にはお世話になっている。何がそんなに魅力的なのかと言われると、一言で言えば粗品の「他人事感」がたまらなく好きだ。


話は変わるが、最近太宰治の「人間失格」を読み返した。太宰と言えば劣等感と罪悪感、人間不信に満ちた陰惨な文豪という印象だったが、とある評論家に「主人公が道化を演じて人を笑わせているが、その時点で人間のことをよく分かっている」と評されていたのを見て、そこからもう一度「人間失格」を読むと、彼の印象が以前とガラリと変わった。


要するに太宰はお笑い芸人のように、自らの不幸に対して一歩引いた視線を持っているのだ。ズタボロになっている自分を俯瞰し、なんならその不幸を誇張すらして他人に言いふらす。その適度な「距離感」がユーモアを生み出し、読むものを釘付けにさせる。ケラケラ笑いながら腹を切って内臓を見せびらかすような、あっけらかんとした狂気こそが、彼を日本文学を代表するカリスマへのし上げたのだろう。


粗品もまた太宰と同じ様に、自身の不幸に対して徹底的に他人行儀を貫いている。というのも彼が競馬をしている、と言ったが、実際に競馬をしているのは「生涯収支マイナス1億円君」という粗品とそっくりの彼の友達だからだ。またこのマイ億君には「複勝生活激アツ君」「トリプル馬単キャリーオーバー君」などの友達がおり、更に彼らを追跡してその負け金額を調べる「競馬警察」という警官まで存在する。ある意味小説家よりも一人遊びを極めている。


粗品と太宰治。令和と昭和の破滅型天才であり、どちらも私生活は破綻している。だか二人とも、それすら芸の肥やしに変え、笑いと文学に昇華させてしまう。その溢れ出すユーモアと、生きる上での逞しさに勇気をもらっている人は、きっと僕だけではないはずだ。

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