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7/12 ホラーの構造、恐怖の心理

黒沢清の「CURE」という映画を見た。殺した死体に十字傷を刻むという連続殺人犯を追いかける刑事が主役のサイコホラーだ。抜群の構図、効果的なシーンの見せ方、どこか異界のようなロケーション。全てが絶妙に絡み合い、質の高いホラーを生み出していた。ここ最近見た邦画の中ではトップクラスだと思う。

中でも一番魅力的だったのは、萩原聖人演じる「間宮邦彦」だ。それぞれの殺人には直接手を下した犯人がいたが、皆がこの間宮に洗脳された末の犯行だと言うことが中盤に判明する。刑事が彼を取り調べしようとすると「ここどこ?」「あんただれ?」「何の話?」と延々と繰り返して、まともな意思疎通が取れないような素振りをする。そしてくたびれた相手に「あんたの話を聞かせて」と言い、話術を駆使して洗脳をかけようとする。動機も過去も信念も見えない、徹底的に不気味で空っぽの存在として描かれたキャラクターだ。


間宮の目的は何だったのか、間宮の持つ力の正体は何なのか、仄めかすようなシーンをいくつも見せながらも、確証的なものは一つもないまま唐突に映画は終わる。コメントでは「それっぽい見せ方をしすぎ」「何一つ説明がされてない」などの不評もあったが、僕はこれこそがホラーの醍醐味だと感じた。


ホラーとは説明ができない、理解の及ばない不気味な現象に巻き込まれることだ。「これはこういうものだ」「これが原因でこうなっていた」ということが明らかになると、そこが恐怖の天井になり、それ以上のホラーは生まれない。ジェイソンや貞子のような、最初は恐怖の象徴として描かれていた存在が、シリーズを重ねるごとに恐怖が薄れ、最終的には愛されマスコットキャラのような扱いになってしまうのも、彼らの生まれが明らかになり、その存在が皆の中で「説明できるもの」になってしまうからだ。因みに僕は高校生の時「貞子3D」を映画館で見て爆笑していた。


物語に置いて「説明ができない」もので満ちた悪役というのは、見るものに忘れられない恐怖を覚えさせる。「ダークナイト」のジョーカーなどはそれらの最高傑作の一人だろう。常にデタラメな過去ばかり語り、素性も動機も不明のまま社会に混乱をもたらす。演者のヒース・レジャーの狂気の役作りも含め、映画史だけでなく僕の人生においても色褪せることのない最高の悪役だ。ジョーカーと比べれば野暮ったいが、間宮もこの領域に属する邦画の名悪役だったと言える。


構造化されないことが、ホラーの構造だ。禅問答のような感想になってしまったが、大事なことは論理的には語れないのが常だろう。

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