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酒と本の日々:濱野ちひろ「聖なるズー」 集英社,2019

夢中になって読み切った。

ドイツにある動物性愛者の団体ゼータを中心に、著者が接した動物性愛者ひとりひとりへの丁寧なインタビューの書で、著者がDVのサバイバーであり、その傷の癒えないまま性を考える手がかりとして研究テーマに選んだのが動物性愛。

動物性愛については、僕は「獣姦」という用語で変態視されていた時代に知った知識のままだったので、はじめて知る動物性愛者たちの繊細なセクシュアリティに心身が揺さぶられる経験をした。現代に生きる彼らの動物との全人間‐動物的コミュニケーションを聞くと、はるか人類が誕生の頃に他の動物とともに暮らしてきた歴史が重奏して、異種結婚譚をへて自然と人間の交歓ということがごく自然に納得される。

この本で語られる動物性愛を要約してしまうと、常識的で忌避的な見方に矮小化されてしまうので興味がある方には内容は読んでもらうしかない。

いくつか驚いたのは、動物性愛にも同性愛もあればポジティブとパッシブの区別(タチとネコ)があるという複雑なセクシュアリティがあること、それらも動物との交信のなかで自然と役割が決まること。

西欧の長い禁圧の歴史の中で、彼らの一部も積極的に権利獲得のための政治活動に参加していること。そのために、LGBTで差別に苦しんだ者が積極的に動物性愛を擁護し、自らそのセクシュアリティを選び取るという選択もありえること。

キリスト教が「獣姦」を厳しく差別しているために、キリスト教系の動物保護団体が激しく彼らを糾弾しているのだが、その場面からこの本の物語がはじまるために、そのキリスト教者たちの狭隘さが際立つ。彼らは動物保護のためなら、その実態をしらないまま、動物性愛者の自由を攻撃することしか知らない。

その点、人獣共通の八百万の神を抱く日本人はタブーはあるもののキリスト教圏の人々のような嫌悪感・差別感を抱くことはなさそうで、実際数々の異種結婚譚や日本の動物アニメは動物性愛理解のきっかけとなるという。

自分の動物性愛を人間の恋人にカミングアウトし、恋人がそれを受入れ、男と女と犬の間の異種ポリアモリーの家族を営むエドヴァルドとティナとバディの物語は感動的だ。彼らが森に遊ぶ描写は、人と自然の間のあらゆる種を越えたフェロモン、アロモン、カイロモンの交歓する世界を見せてくれる。

著者のDVのトラウマが、動物性愛者たちの性の自然さや、お互いをありのままにすべて受け入れるというカップルのあり方、異種の間での暴力や支配を解消しようという意識や努力に触れながら、徐々にほどけていく経緯もこの本の縦糸となっていて、それを読むことも感嘆する。同じトラウマを負う者どうしのピアのつきあいでもなく、その回復と癒やしの過程は、動物性愛という自分のトラウマの圏外にある広い宇宙に存在を許される多様性によってもたらされるものだ。このようなトラウマの回復の過程をはじめて知った。

ちょうど別の本で、「我と汝」のフーバーが馬との交信の過程を語っていることを知った。それは明らかに天啓のようにして異種が互いに理解する瞬間なのだが、人間であるフーバーがそれを言葉にしてしまった瞬間に失われたという。フーバーが一瞬の恩寵と感じたその時間を、動物性愛者たちは異種の壁を乗り越えるための知と感性のすべてを動員することで獲得し、そこに至福を見いだしている。著者はそんな彼らを羨ましくもあるという。その羨ましさが伝わってくる著作である。

                                                                                     (2019/12/19)


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