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その感想、ほんとに外に向けて言う必要があるものですか?【HSPとネガティブフィードバック】

繊細で敏感な心の持ち主であるHSP(Highly Sensitive Person=人一倍敏感な人)は、時々ひとつの言葉でもひどく狼狽したり、負の感情を抱いてしまうことがあります。

以前こんな記事を書いて、

その後日本におけるHSP研究の第一人者である明橋大二先生にお会いする機会もあったのでこのことを相談した結果「人一倍敏感な人」などという表現をするようになりましたが、たぶんこの表現でもそれなりに繊細に捉えてしまう人はいるんだろうなあ、と思っています。

ただ、だからといって「『人一倍敏感な人』と言う表現をやめてくれ」と言われたら、たぶんいよいよもってHSPを適切に表現する言葉がこの世からなくなると思います。

僕自身、このnoteとNPOのブログで定期的にそこそこの長文を発表しています。ときどき感想をいただくのですが、「Shunさんの文章に救われました!」と言う意見もあれば、先に引用したnoteのように「こういう表現ってどうなの?」と言われることもあります。僕は普段子どもたちと関わる中でグサッ!と刺さる言葉を投げかけられても動揺してしまうので、もちろん「どうなの?」と言われるとかなり気にしてしまうのが事実です。

ポジティブフィードバックとネガティブフィードバック

ちょっと話が変わりますが、僕は仕事柄よくフィードバックというものをしています。で、このフィードバックには2種類、ポジティブフィードバックとネガティブフィードバックがあります。グロービス経営大学院のホームページに用語解説があったので一応引用すると、

ポジティブ・フィードバックとは、①被評価者の意欲や能力が良い方向へ増幅されるフィードバック。②被評価者にとって望ましい内容のフィードバック。
ネガティブ・フィードバックとは、①被評価者の意欲や能力が望ましくない方向へ増幅されるフィードバック。②被評価者にとって望ましくない内容のフィードバック。

という意味です。まあだいたいお察しの通りのものだと思いますが、これに照らし合わせると僕がやるフィードバックは9割方「ポジティブフィードバック」です。ネガティブフィードバックはしないことはないのですが、正直手を出すのにはめっちゃくちゃ勇気が要ります。

なんでかといえば、ひとつまちがったらそれは「ネガティブフィードバック」じゃなくて、ただの誹謗中傷になりかねないからです。

たとえば「英語のワークを週末20ページやろうと思ったけど5ページしかできなかった」場合。これは誰が見ても15ページできなかったというのはいかようにでも指摘できます。でもそれって誰よりも本人が一番痛感していることでもあります。なので、たとえば「何もできなかったより5ページできてるだけOK!」みたいなフィードバックをする。これがポジティブフィードバックです。またはできなかった理由を一緒に考えて、改善策を出してあげるのもポジティブフィードバックと言えるかもしれません。

リフレーミング(違った見方で物事を捉えること)をすると、ネガティブなものでも案外ポジティブに変化させることができるものです。

HSPとネガティブフィードバック

で、ここからが僕の言いたいことです。

たしかに、文章を読んでいてある表現で不快に思った、その書き方はさすがにどうなの?と思うことはよくあります。僕もそうです。本を読んでその中身に「はぁ?」と思ったことなど数しれずあります。

でも、文章の中でちょっと不快に思ったり、えっそれってどうなの?ということを書き手や本の著者に伝えるとき、いくら自らの繊細さや気分を害されたとて、「その感想は本当に表に出す必要があるのか?」ということは、必ず考えるべきだと思います。

繰り返しになりますが、ネガティブなフィードバックはちょっと見せ方に失敗した瞬間ただの誹謗中傷に変わります。そのネガティブフィードバックがもとでまったく関係のない第三者が不愉快になったり、SNSだと炎上してしまうかもしれません。

逆に言えば、ネガティブフィードバックするときは、それ相応の覚悟を持ってフィードバックしなければならないということになります。よくTwitterなんかでその人の文章や作品を批判して、それが作者の目に入ってリツイートされたらその批判ツイートを消す光景が見受けられますが、僕はそういうのを目にするたびに「その覚悟がないならハナからツイートしなきゃいいのにな」とよく思います。

少し話を戻しますが、僕はネガティブフィードバックを発動するときは「目的があること」「フィードバックをする相手に良い影響を与えることができること」と言う2つを重視しています。ここの判断にめっちゃくちゃ勇気が要るわけです。逆にこの2つに自信を持てないのなら、ネガティブフィードバックはしないことにしています。なのでネガティブフィードバックに手を出すのは月に1度あるかないかぐらいの頻度に落ち着きます。

「言わなくてもいい」ことを言わないことが自分を相手を守る

ネガティブフィードバックをする側される側双方がHSPなとき、する側もされる側の言葉に傷つき、またそのネガティブフィードバックによってされる側も傷つき、下手するとそれを目にした第三者のHSPも傷を負うことがあります。書かなくてもわかりますがこれ、誰も何も得をしていません。

言わなくてもいいことってほんとに「言わなくてもいい」のです。それを言ったことで事態が好転するのなら、それは「言わなくてもいいこと」ではなく「言ったほうがいいこと」にほかなりません。反対に、言った結果相手がひどく落ち込んでしまったり、そんなに?と思うほど平身低頭で謝罪されたりした場合は、「言わなくても良かったのかもしれない」と疑ってもいいと思います。

ちなみに、僕は仕事柄人前に立って話すこともよくありますが、そのとき時間が余ったからと言ってなんの準備もなく思いつきで話し始めると、だいたいは「言わなくてもいいこと」になってしまいます。今日も人前で余った時間をなんとかしなきゃと思った結果、ひどくトンチンカンなことを話してしまってものすごく反省しているところです。

それは、本当に言わなきゃいけないことですか?

たとえ繊細な心を持っていても持っていなくても、発言する前に考えることは誰だってできるはずです。それで「言わなくてもいいな」と思った瞬間、それが自分はもちろん相手をも守ることになるのです。もし、どうしても言わなくてもいいことを言いたいのなら、人目につかない自分だけのノートとかに書くと平和になると思います。

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