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HSPの「深く考える」と優柔不断の違いについて

昨日、HSPの4特性「DOES」のうち「D」にあたる深く考えるということについて、自分の実生活を例に出して解説したのですが、

今日、言及という形でこんな感想をいただいていました。

で、その中で、「優柔不断か悩みやすい人であって、あまり深く考える人ではないと思った」という言及がありました。これは自分の文章が稚拙だったゆえに明らかに誤解を招いているところもあるので、補足がてらこのエントリを書いている次第です。

別に本人の中では「ぐずぐず」悩んでいるわけではない

まずひとつ主張をしておきたいのですが、僕は自分のことをそう大して「優柔不断」とは思っていません。確かに昨日昼食を買うときや高価な買い物をするときに深く考えることを書きましたが、断っておくと決められるときはきちんと決められます。

たとえば、僕がよく行く丸亀製麺はうどんを注文してその場に並んでいる天ぷらから何か取るスタイルの店ですが、あそこでうじうじと行列を気にすることなくいつまでも何の天ぷらにするか悩んだ、という経験をした記憶はまったくありません(ちなみに大体ちくわ天かかしわ天を取ります)。

僕が先のエントリで昼食を悩んだり、高価な買い物について深く悩むのは、決まって「判断材料がたくさんあるとき」の話です。

とくに仕事前(中)のランチの話であれば、これからあと何時間仕事に集中しなきゃいけないのか、その仕事の内容はデスクワークなのか身体動かす系なのか、今自分はどういうものを食べたいのか、おにぎりとうどんのセットにするとして価格はいくらなのか、それ電子マネーでチャージせずに払えるのか、これだけ考えてランチを取ったあとにもし仕事中空腹になったらどうするのか・・・と、傍から見ればそんなの気にしなくてもいいじゃんと思う内容でも「深く考えている」わけです。それで余計に脳のリソースを使って疲れてしまう。

でもそれは、仕事の能率であったり気分によってムラが出ないように(=それで職場や仕事に支障がでないように)ランチを取る必要がある、というある種のこだわりでもあります。逆に休日のランチであれば、まず「仕事に集中できるのか」という考え方をする必要がないのでおそろしいほど悩みません。この間の休日にファミレスで知人とランチしたときは、メニューを一読してさっさとチキンステーキにドリンクバーを付けて注文したほどです。

ちなみに「優柔不断」を手持ちの辞書で引くと「ぐずぐずして物事の決断のにぶいこと」という意味があります(『広辞苑』より)。これ結構悪い意味で書かれていますね。ただ先述したように、「あらゆる状況や判断材料を加味して物を選んでいる」ことに時間をかけているのであって、別にぐずぐず物を決めているわけではありません。そういう意味では「優柔不断」とはまた違うと僕は考えています。何よりも、人を待たせていたりその後の予定がある場合も含めて、別に際限なくずーっと悩むわけでもないことも付け加えておきます。

まあ、その「あらゆる状況や判断材料を加味して物を選んでいる」というのがぐずぐずしていることだ、と言われたらそれまでなんですけど。

「深く考える」特質でよかったこと

もうひとつ、前のエントリでは、深く考えることでよかったことについてあまり言及できなかったので、こちらで。

深く考えるということはそのぶんいろんな可能性や方向性に気がつける、という見方ができます。自分は教育関係者なので日々中学生や高校生と関わっているのですが、生徒との会話からふとした出た言葉が気になってちょっと考えるうちに「もしかしてそういうこと?」と裏のメッセージに気が付きやすい、という利点があります。

あと自分は文章を書くことが好きなので、こうした発信することに関しても深く考えるという特質が活きています。これは手前味噌なのですが、実際HSPの文章をこうして発信したことで、最近は「勇気づけられました」などと丁寧なメッセージをいただく機会も増えたのは、自分が深く考える能力を持っていてよかったなと思える瞬間です。それと、逆にこちらがなにかの感想や意見を求められるときもいちいち(別に考えなくてもいいところまで)深く考えることがあるので、たまに「その発想はなかった」などと言われることもあります。

「優柔不断」の話に戻ると、広辞苑で「ぐずぐずして物事の決断のにぶい」と書かれてこそいますが、リフレーミングをすればそれは「あれこれ判断材料を吟味して、慎重によく考えて行動している」というような言い方もできます。何も考えずに行動したとしてもうまく行かなかったりする上に、「もっとしっかり考えて行動すればよかった」と後悔するのがオチです。たとえその行動が失敗に終わっても、優柔不断と揶揄されてもしっかり考えて行動したときのほうが、後悔とか反省の度合いも幾分か少なく済むことも何度もあります。

100文字ほどの簡単な感想に対して、2000文字も思ったことを書いてしまいました。そう、これこそが「深く考える」ということなのです。

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