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『僕はイエローでホワイトでちょっとブルー』を読んで

最初にこの本を手に取った時、LGBTQの話かと思った。なぜなら、表紙に中性的な子どものイラストが描かれていたからだ。

ジェンダー問題や多様性に関する話なのかな?と勝手な予想を立てつつ、この本を読み始めた。


LGBTQの話が全くなかったわけではない。むしろLGBTQに収まらず、一般的にいわれる「生きづらい人々」への視点があった。


英国で暮らす筆者と配偶者(配偶者という書き方にも工夫が感じられる)と、その2人の間に生まれた息子。この3人が中心となって物語が進められていく。


中学生になる息子が学校で体験した出来事や、休暇に日本で過ごした時の話など…英国に住む中学生とその親の日常が描かれている。

しかし、その日常の中には我々日本人では知り得ることのない非日常が存在していた。



移民・生活保護・ネグレクト・階級…。様々な観点から差別と捉えられる言動を息子の話から観察できる。筆者は息子の話や友人の様子を見て、保育士である筆者の目線から話を進めていく。



具体例を挙げることはしないが、読破して思ったことがある。

「子どもの言動は、
  周りにいる大人を反映する」



差別的な発言を日頃から聞いているから、それが日常だと思い社会の中で差別的な発言をしてしまう。それを教師や友人に注意されてもわからない。止められない。なぜならそれが彼らの日常だからだ。



子どもは本当に大人をよく観察している。乳飲み子の頃から。



「生きる」ために言語を獲得し、「生きる」ためにコミュニケーションを取る。
そのコミュニケーションは一体誰が教えてくれるのか??



大人から見て盗むのだ。それは大人も子どもも逃れられない宿命である。

子どもは親の写し鏡である。

考え方や発言、
あらゆる箇所で親の片鱗を表す。



だからこそ、「子どもに見られて恥ずかしくない」行動をとらなくてはならないのである。


私は、過去のブログで
「今の自分はかっこいいか?」を常に自問自答しろと書いた。ここにも通ずるものがあると思う。



子どもの成長を促すのは、
「発育」だ。食事を与えて運動をさせる。健康な子にするのが発育である。


我々は「教育」をしなければならない。親だけではない。大人全員がだ。

なぜ子どもがお年寄りに席を譲るのだ。

我々大人が優先して譲る姿を見せるのだ。

それが彼らの道徳心やモラルを形成する。



繰り返し言おう。

子どもは大人をよく見ている。我々の言動を良くも悪くも反映する。


だからこそ我々が道徳心を持って、モラルを守る姿を貫き続ける必要がある。

それが、我々大人全員がすべき「教育」である。


大人は一度、この本を読んでほしい。
我々の言動は軽くない。襟を正すいい機会となった。

なんと、この本は続編があるらしい。息子の中学生活の続きだろうか。楽しみである。

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