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学校で子どもの幸せを守るには? 

今回は、研修で学んだ「子どもとの向き合い方、その心持ち」を自分なりに整理して記していく。

テーマとしては、
well-being(子どもにとっての幸せ)が大きなものとなる。机上の空論になるかもしれないが、明日からの活動の中で実践していき、自分の眼で効果を確かめてほしい。


まず、子どもは社会情勢に影響を大きく受けていることを念頭におく必要がある。コロナによる会話の減少は子どもの成長に大きな影響を与えていることはいつまでもない。他にも、共働き世代の影響もある。

子どもと大人の「  」は、全てにおいてズレが生じている。ことを念頭においておこう。



子どもにとっての幸せも、子どもからすれば無意識的に「親との時間」であったりする中で、大人は「生き抜くスキル向上」などに焦点をあてて家庭教師や塾などに時間を費やす。習い事などで埋め尽くされて疲弊して帰宅しても、家に親がいない。これでは子どもの幸せにはつながらないのだ。

これは教師も同じことがいえる。子どもと教師のものさしも大きくズレていくのだ。だからこそ、子どもからどう見られているのかを「聴く」べきである。正直な子どもの評価を受け入れるべきである。その覚悟が必要だ。


しかし、教師はなかなかこれができない。

なぜなら教師は、


・学生時代におりこうさんだった人が多い
・能力がある人が多い故に1人でやる方が得意
・生徒の前で弱みを見せられない


という属性が主にあるからだ。



これは今の教師だけに責任があるわけではなく、受けてきた教育がその教師像を造ったのだ。皆さんもご理解いただけるだろう。教師とは崇高で尊い職業であり、人間的にも能力的にも素晴らしい人がやる職業だと認識されているだろう。
そして教師とは「師」であるため、子どもには整然たる態度で挑まなければならないと。

この教師像から、我々は脱却しなければならない。
時代が大きく変化するこのVUCAの中、挑戦し続ける姿勢を養う必要がある。
そんな大業を担う我々が、最も挑戦し続ける必要があるのだ。

だから、子どもに「聴く」必要がある。


教師は非力であると心得よ。



最近、教育の世界でも心理的安全性という言葉が飛び交っている。子どもの幸せ「well-being」だ。

皆さんにとって、「安心・安全」とは何だろう。


色々な「安心・安全」が考えられるが、1人として全く同じ「安心・安全」はない。それだけ違うのだ。我々であっても違うのだ。


そんな中、教師1人のイメージを子どもに押し付けることをしていないだろうか??


自分の理想の教育を押し付けていないだろうか?


自分が「いいこと言ってるなぁ」と思っている時はとても危険。価値観の押し付け秒読みである。


「教師の押し付け」をしてはいけない。

子どもの幸せを最優先にするべきである。


well-beingの実現のために、子どもと向き合おう。



「なんで勉強しないといけないの?」

この質問に、子どもが納得するように答えられるだろうか。

私は今日の研修に参加するまでは以下のように答えていた。

「勉強したくないなら、しなかったらいいじゃん。勉強したくなるような目標を見つけてからでいいじゃん。」


これが正解か否か、それはわからない。
しかし、原点に戻って考えよう。なぜ我々は教育に携わっているのか。なぜ国が制度として教育を取り入れたのか。

国のためになる人材を生むためである。

言い換えると、

「自分と誰かのためになる生き方をできる人を増やすため」である。


この「自分と誰かのためになる生き方をできる人を増やすため」に、学校で学ぶ必要があるのだ。


まず、勉強をすることで自分の選択肢が広がるだろう。得意科目が見つかったり、予期せぬ才能が開花したり。これらのディスカバリーは、挑まないと生まれないものだ。


もう一つ、自分の尺度がわかるということが挙げられる。学ぶことにより、自分と社会の距離感や規模感、自分の立ち位置がわかる。そうなると、自分の置かれている立場や生活環境などもわかる。



この二点を伝えなければならないが、伝わるかどうかは非常に難しい。

ならばこれだけは伝えよう。

自分と誰かのためになる生き方をするために学べと。



我々の役割は、子どもの自己決定を見守り、自己決定後も応援し続けることだ。


今までの教育は、自己決定をさせて自己責任にしていた。我々が受けた教育がそうだ。無理やり決めされられたのに責任は自分でとれと。そういう自己決定は自己決定ではない。払拭しなければならない。



では、子どもの自己決定を見守るにはどうすればいいのだろうか。言葉通りになるのだが、見守ってやればいいのだ。


自己決定のプロセスに向き合う必要がある。助言やなどは必要ない。子ども自身が自分のすべきことに気づくまで、根気強く見守ってやるのだ。


見守ることは、誰にでもできることではない。子どもと距離の近い教師でなければ、見守ることは放任へと変わってしまう。見守るとは対話することである。



そんな関係を築くには、どうしたらいいのか。
子どもに近しい存在だと思ってもらうには、一体どうすればいいのだろうか。

「自分の学生時代の失敗談を語る」ことだ。


教師の失敗談は間違いなく子どもとの距離を近づけ、また教師の器を大きくする。

教師の属性を弱めてくれる。失敗談にはそんな力がある。成功体験ではいけない。ただの自慢話になり、距離が遠のくばかりだ。

プライドの高い教師にとって、「スキを見せる」ような行為は困難かもしれないが、一度挑戦してみてくれないだろうか??


また、子どもとの距離を近づける魔法の言葉を教えてもらった。

「うれしい」

である。


こどもがテストでいい点取ったら、

「いいね!」ではなく「やったー!〇〇くんがテストでいい点取って言ってくれたのがうれしい!」とする。


子どもと同じ目線にならないと、「うれしい」は絶対に出てこない。教師と子どもの境目を越えられない。その境目を越えるために、「うれしい」と思えるように意識して過ごさないといけないのだ。



子どもに限らず、大人も教師も傷を負って生きている。過去につけられた傷は完治しない。その事実を認知しておくことは重要である。


だからこそ、
「今まで」を否定してはならない。

だからこそ、
「これから」を信じてやろう。

だからこそ、
「自分と誰かのためになる生き方」を伝えていく必要があるのだ。


我々教師も幸せになれるように。

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