ドトールコーヒー

 日曜日の朝。いつもの時間に目が覚める。前夜に寿司屋でよく冷えた八海山の小瓶を2本気持ちよく飲み干しても、あるいは夜遅くまでAge Of Empires 4のイングランド領主ラッシュオーダーを研究しても、年のせいか朝は決まった時間に目が覚める。これはとても便利な体の変化だ。

 私は平日と同じ時間に、同じように朝のルーチンをこなし、私服に着替え、ノートPCを仕事用バックパックに入れた。バッテリーも十分ある。

 ダイニングルームでは妻がテーブルの上にボウルや麺棒、強力粉などを出してパンを焼く準備をしていた。彼女は元々ケーキ職人として働いていたので、使うのはすべてプロ用の道具で、技術もプロレベルだった。

「ちょっと出かけてくるね」
「いってらっしゃーい」

 妻と簡単な挨拶を交わしてからバイクに乗り家を出た。家にいればパン生地をテーブル叩きつける音やパン作りのBGMとして流す大音量のYoutubeが、気になって集中できないので、(さらに冗談などを言って私にちょっかいを出してくるので)私は自宅を出て喫茶店や図書館で作業することをよく好んだ。これはお互いにとってメリットしかない良い選択だった。彼女は私を気にせずパン作りに没頭できるし、私も同じだ。

 私は駅ビルにあるドトールコーヒーの喫煙ルームで作業することにした。ドトールでアイスコーヒーとジャーマンドッグを買って作業することが、良い日曜日のはじまりになる。日曜日を有意義に過ごすためのスタートとして悪くないはずだ。

 ドトールはいくつかある喫茶店の中ではコーヒーの値段が安いせいか、日曜日の早い時間から客が多い。そして、この店の喫煙ルームはこのご時世の中で貴重な場所として、多くの喫煙者が憩いの場として利用していた。
 
 ざわざわとした話し声や椅子を動かす音、不定期に起きる大きすぎる咳払いがボサノバ調のBGMに混ざり合う中、私はできるだけ静かな場所を探して、喫煙ルームの一番奥にあるカウンターに席をとりノートPCを開いた。 
 
 しばらくすると、私の席の背後の方で、年老いた男2人と女1人のグループがかなりの音量で会話を始めていた。その会話はおそらく店内のほとんどの人が、強制的に聞かされただろう。

「俺が言っても全然聞かねーんだよ!」
「だからあそこの家は駄目なんだって!」
「ほんとよね!」

(年取って声でかくなるのはしょうがないけど。うるさいなぁ・・・)

 老人たちはほとんどひっきりなしに他人の悪口を、怒鳴るように大声で喚いていた。彼らの会話には世の中のあらゆることへの批判と不満が込められ、際限なくあふれる湧き水のように続いた。私はうんざりした。

 それから数分後。がっしりした体格のよい、日に焼けた労働者風の年老いた男が2つ隣の左側の席に座った。年老いた男は競馬新聞を広げたかと思うと、スマートフォンを取り出して操作を始める。その男のスマホからは中国風のBGMが聞こえてきた。麻雀ゲームだろうか。彼はイヤホンを使うつもりは無いらしく、私は左側から強制的に中国風のゲームBGMを聞くはめになった。私はまたうんざりした。

(イヤホン使えよ・・・)

 更に数分後、今度は右側にやはり1席空けて年老いた背の高い女が座った。女は少し腰が曲がっていたが、そんなことは関係ないとばかりに、大阪人を思わせる黒と金の派手な服を着ていた。

「ペチャッ、ペチャッ」

 年老いた女が唾液の入り混じった舌打ちをする。これは老人によくあることなのでしょうがないことだ。本人の意思とは関係なく無意識に発せられてる。私だって年を取ればそういう体になるかもしれない。と思いつつも、私は老女が早く店を出ていくことを神に祈った。
 老女は舌打ちをしながら煙草に火をつけ、それが吸い終わると間断なく煙草に火をつけていた。それはまるで、エネルギーとしてニコチンを補給しているようにも見えた。

 ボサノバ調のBGMに加えて、大声の悪口、中国風のゲームBGM、唾液の入り混じった舌打ち音が、まるで最低のDJが最低のプレイをするようにミックスされ私の耳に届けられた。

 私は集中力を高めて周りの騒音に対抗しようと試みたが、なかなか上手くいかなかった。残念ながら、人間の体にノイズキャンセリング機能はないのだ。

 今度は背後のテーブル席から、小綺麗な白いシャツの中年男とまだ大学生ぐらいの若い女の会話が耳に入ってきた。男女は丸テーブルに向かい合って座り、ごく普通の音量で会話をしていた。どうやら中年男が何かの入会案内をしているようだ。中年男性は営業らしく、慣れた口調で入会のメリットを説明していた。

「多くの人がですね。副業としてですね。月10万円以上稼いでいるんですよ。」
「・・・」

(あやしいなぁ)

 やがて空席も少なくなり、私の両隣にも客が座った。右隣に座った30代ぐらいの眼鏡をかけた華奢な女は、参考書とノートを取り出すと一心不乱にシャーペンを走らせていた。女は何かを書き終わるたびに、頭を上げてシャーペンをテーブルに叩きつけた。その音が響く。

「カタン!」

 ドトールの席はさほど間隔が広くないため、見ようとしなくても隣の机の上が視界に入ってくる。ふとした時に、一瞬だけ右隣りの女のノートが視界に入った。私は見たことを後悔した。そのノートにはおそらく日本語ではない、見たことない文字列(それはぐちゃぐちゃした線が集まっただけの文字ではない何かだ)が並んでいたのだ。それはまるで邪悪な呪文のようなものを連想させ、私は恐怖した。

(え、こわい)

 オーケストラの演奏がクライマックスを迎えるように、店内の喧騒も盛り上がりをみせていたが、一人また一人と店を去っていく。私の作業を妨害していた音も少しづつ消えていった。

 気がつくと店内は落ち着きを取り戻し、日曜日の朝にふさわしいボサノバ調のBGMに、コーヒーカップを置く音や椅子を動かす音が程よく混ざり、心地よい環境音を作り出していた。ようやく求めていた環境になった頃、私が予定していた作業も終わった。次はこれぐらいの時間に来るのが良いのかもしれない。
 
 私は店を出た。おそらく妻のパンがきれいに焼けた頃だろう。昨夜からの雨は上がり、晴れ間が見え始めている。私は今日がよい日曜日にりそうだと予感した。

※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません

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