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2020年10月28日:心赴くまま

休みが明けて仕事2日目。今日も気分が乗らないまま仕事に行き、早く仕事終わらないかなー帰りたいなーと思いながら仕事をして、そして、念願の仕事終わり。

いや〜〜〜疲れた。

特に足。ふくらはぎとかもうパンパン。足の裏とか段々厚くなっている気がする。自分の面の皮と同じくらい・・・にね。

自分の面の皮と同じくらいにね!!😉


あれ聞こえてた?聞こえてないと思っておもわず二回も言っちゃった(๑˃̵ᴗ˂̵)。さて抱腹絶倒のユーモアあふれる冗談はこのくらいにして少し話題を変えよう。ネガティヴな話ばかりしても面白くはないだろう、、、そうだろう?(なんかぺこぱみたいになった)

今日でnoteを続けて4日目となる。三日坊主の代名詞と言われるこの私が4日続いているのである。これは奇跡と言っても過言ではない。五千年前なら神の子として私は崇められたであろう。

しかし、私は続けようという意思でやっている訳ではない。色々と書き尽くしたいという気持ちで今書いているのである。でなければ仕事の後の疲れた状態でこんなことなどしていない。明日も仕事である。普段ならくつろいでダラダラしている。

思えば私は何かやらねば・行動せねばという気持ちで何か物事をしても続いたためしがない。そう義務的なこと思った瞬間、たとえ好きだった物でもやりたくなくなってしまうのだ。

よく自己啓発書では「アウトプットをすぐにしろ」「行動をしろ」「習慣化できる仕組みを作れ」と「せねば・すべき思考」に基づいて述べられている。確かにどうしてもしなくてはいけないタスクとかがあるときはその考え方が役に立つ時もある。しかし、あえて言わせてもらうと、やっぱり何かしたいという気持ちが出てこない内は無理に行動しなくても良いのではないかと私は思う。スピリチュアル的になってしまうが、私は心の声というのは案外当たると思っている。やりたくないことをどんな方法論で解決しようとしてもやっぱり長くは続かないのである。

例えば、本の中で「集中力が続かないのは、部屋の中が散らかっていたりしていてそちらに気が散る。だから部屋を綺麗にしよう。」と書いてあった。当時の自分は字面通りそれを実施しようと、やらなくてはと思っているもの(確か資格の勉強だった気がする)を図書館に通い学習していた。最初は集中は続いて捗るのだが、数日経つと異変が起きたのである。身体が動かないのである。図書館に行こうとなんとかしようとしても気持ちが乗らない。気づけば布団に篭ったまま半日が過ぎていた。

この状態を過去の自分が解決するとしたら、よく自己啓発書が書いてある「やる気というのは行動をしてから出るものである。だからまず行動をしろ」という行動して解決するという方法をとっていた(だから身体が動かないのは行動してないからだと思ってなんとかしようとしていた)。しかし、今の私ならこう言うだろう。

やる気が出ない・やりたくないという気持ちをまず大切にした方がいい。それは今の自分がするべきではないもの、しなくては良いものだと心が教えてくれている。まずはゆっくり休みたまえ。そして、気が向いたら自分が何が好きなのか・得意なことは何か・大切にしていることは何かじっくり考えてみなさい。


少し話は変わって、実はnoteは以前からやろうとは思っていたのである。理由はアウトプットをしなくてはという気持ちに駆られていたからである。しかし、アウトプットすること自体どうしても気が向かなかったのである。結局、パソコンに向かって何も描かずにその日は終わった。別の日も挑戦したが結果は同じだった。


打って変わって今はどうだろうか。

メチャクチャ!ドチャクソ!バチクソ!に文章が書きたいのである!


集中力が切れるとされる汚くて散らかっった部屋の中にいるにもかかわらず。休日はnoteで書きたいお題を書き上げようと思っている(気分屋の私なので今書いている途中で飽きて書かなくなるかもしれない、、、)。

noteユーザーの中には昔の私と同じく、「せねば思考」に囚われている人はいるのではないだろうか?ここのユーザーは上昇志向が高く真面目と聞いている。おそらく私の文章も一語一句漏らさず読んでいることだろう(笑うところじゃないよ?)。特に本の要約系を書いている人は一人ぐらい心当たりがあるのではないだろうか(何を隠そう、以前私も本の要約をやろうとしていたのである)。


かなしいかな、一度染み付いた思考や考えというのはなかなか変えられないもので、私は未だに「せねば思考に」囚われている。「これをやらなきゃなー。あれもやらない」とって実態のない不安に襲われる。1日何か成長したという実感がないと後悔の念に襲われてしまう。


さてだいぶ長々と書いてしまったが、最後に自戒の念を込めて次の言葉で締め括りたい。


心の声を聞いてそれに従って生きること。

何かに日々追い立てられ駆られていた過ごしてきた人は心の声が小さく聞こえないかもしれない。

急には無理かもしれない。

でもちょっとずつなら変えていけるかもしれない。

気になったお店に入ってみる。

前からやってみたかったことを一日中、やってみる。

紙に好きなことやりたいことをひたすら書いてみる(私はそれを書いた後、紙をクシャクシャにして、壁に投げつけて寝た。とてもスッキリした)。

少しずつそうやって自分を許していけば、次第に心の声は大きくなるだろう。

そして、慣れれば心の声をすぐキャッチして軽やかに動けるようになる。

自分らしく生きていこう


心赴くままに









(フラグ回収決まった、、、!!!)












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