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interview6/親父の金言。

中根さん(「ギャラリー世田谷233」オーナー)

三軒茶屋駅から歩いて10分、
世田谷線沿いに「ギャラリー世田谷233」(以下233)というお店があります。
ボックスタイプの空間を中心に貸し出ししているギャラリー&カフェなのですが、
そこのオーナーの中根さんが、なんだかカッコいい。
渋くてフランク、奥行きのある方で、
ちょい悪オヤジ(死語?)という感じです。

6年前、私が大学を卒業し会社に入ってすぐ、
中根さんとお話ししたことを覚えています。
「中根さん、ついに私会社員になりました」
「そうか、会社員か。会社員はね~、一言で言えば“やばい”よ」
「“やばい”という片鱗が、既に見えてます! 早く落ち着きたいです!」
「でしょう。でもね、落ち着くことはないよ~。
『やばい!大変!』っていう状態がずーっと続くのよ、会社員って」
「えーーー!!」
そうして私は、社会の荒波にダイブ。
会社勤めは中根さんの言う通り“やばい”の連続で、
文字通り忙殺されていると、よくその会話を思い出していました。

6年前の些細な会話がずっと頭に残っていたことは、
なかなかすごいことだと私は思うのです。
きっと中根さんご自身にいろいろな経験あって、
言葉に重みがあったからではないかと勝手に思っています。

私はちょっと前、会社を卒業しました。
人生の節目に、中根さんともう一度お話をしてみたいなと、
久しぶりにギャラリーを訪れました。

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(取材:2021年12月)


人生の節目に会いたい人。

――(入口を開けながら)こんにちは、お久しぶりです。

中根
……(一瞬止まる中根さん)ああ、すごい久しぶりじゃない。

――覚えてます?

中根
覚えてますよ。きえちゃん。一瞬分からなかったけど(笑)。そう言われれば変わっていない。

――あはは、そうですかね。私最近、5年半務めていた会社を辞めまして。それを友達に言ったら「人生の節目に中根さんだよ」って。そういうわけで、久しぶりにご挨拶にきました。

中根
そうだったんだ。それはお疲れ様です。人生の節目に(笑)。

――中根さん以前私に「会社に入ると“やばい”状態がずっと続くよ」って言ってくださったの、覚えてますか?

中根
ああ~あはは。覚えてる覚えてる。

――実際に社会人をやってみて、「ほんとに“やばい”じゃん!」って思いました。折に触れ、その言葉が脳裏に……。

中根
決してネガティブな意味だけで言ったんじゃないんだけどね~。

――今考えればあの言葉って、社会人をこっくり経験してきた人にしか選べないワードだったなって。そう思ったら中根さんのこれまでが気になったんです。よかったら、身の上話と、私にまたアドバイスをいただけませんか。

中根
うん、いいよ。

――突然のお願いなのに、ありがとうございます! ではお言葉に甘えていろいろ聞かせていただきますね。


ギャラリーの始まり。

〈ガタンゴトンガタン…(世田谷線が通る音)〉

――路面電車の音。やっぱりここ、落ち着く場所ですね。

中根
でしょ。喫茶店許可も取っていて、ギャラリーの作品を見ながらコーヒーを飲んでゆっくりできるようにしてんのよ。よかったら一杯ごちそうするよ。

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――え、いいんですか。ありがとうございます。たしかに233に来る人って、ギャラリーを見にくる人もいれば、ちょっと仕事をしにくる人なんかもいますよね。時間がゆったり流れてて居心地がいいから、ゆっくりしたくなるのかも。


中根
そう、ホントにいろんな人が来てくれてるね。最近だと動画や映画制作関係の人が多いかも。そういう人たちとのご縁で、映画のグッズ制作や資金調達(クラウドファンディング)をお手伝いしたりしてるよ。

――さすがです。中根さんを頼りにしたくなる気持ちは、なんだかよく分かります。233の始まりについて聞いてもいいですか。

中根
233は大学時代の友達と2人で始めた場所なんだよね。大阪に住んでいた大学の友人が、阪神淡路大震災の後に、神戸の元町っていう駅の高架下でこういうレンタルボックのビジネスを見たのが始まり。当時俺はWEB制作とライター業のフリーランスだったんで、お店を開くなら東京でってことで。当時三軒茶屋に住んでいて、すごく好きな街だったから三茶でやろうと。条件の合う場所を探すのに結構時間がかかったね。先にお店のチラシを作って配ってたから、「いつオープンですか?」って結構問い合わせをもらったりする中、ようやく辿り着いたのがここ。

その一台が青天の霹靂。

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――オープン前からいろんな人に待ち望まれていたんですね。中根さんはオーナーになるまで、ずっとフリーランスだったんですか? やっぱりアート系の道を?

中根
いやいや全然。大学は経営学部で、卒業後は金融業界、いわゆるリース会社に就職して、そこでずっと働いてた。いろんな部署を経験したけど、営業が一番長かったかな。コンピュータ業界、建設業界、養豚場からスキー場まで、いろんな会社にファイナンスを提供する仕事をしてて。仕事も人間関係も大変なことが多かったし、個人ではとても扱えないような大きな金額を動かす仕事だったから、やりがいもあったし楽しかったし、それこそ「やばかった」(笑)。

――なんだか意外。こういう場所をつくる人だから、美大に行ってクリエイターになって……みたいな道かと思っていました。どちらかと言えばお堅めの会社の、いわゆるサラリーマンだったんですね。そこからどういった転身を?

中根
そうなのよ。10年近く働いた1990年代の終わり頃、インターネットが世に出始めてね。うちの会社でもPCとか、関連した商品をお客さんに貸してたんだけど、ある日、会社にリースが終わったMACのパワーブックがたくさん運ばれてきて、「欲しい人には販売します」って。当時まだパソコンって高価な時代だったんだけど、リース契約が終わって5年落ちぐらいだから結構安くて。それを買ってパワーブックを使ってびっくり、めっちゃ楽しいってなって(笑)。

――めっちゃ楽しい?

中根
そう。それまで俺、Windowsのパソコンだったんだけど、Macって発想が全然違っていて、「ゴミ箱」にドロップするだけで削除できたり、アイコンを自由に変えられたり(笑)。今では当たり前なんだけど。とにかく自由度が高くて楽しかった。そこからホームページ作りにハマって、これは「みんなが自由に発信できる時代がくるぞ!」って。それでしばらく独学でHTMLを学んで、35歳くらいの時に思い切って会社を辞めて、WEB制作と、文章を書くことも好きだったから、ライターのフリーランスになったわけ。

――「新しい時代が来るぞ!」って会社を辞めるのは、すごい思い切りですね。会社に対して何か思うところもあったんでしょうか。

中根
そうね、規模的にも大きな企業だったから、個人の裁量もそれなりに与えてもらったけど、やっぱり自由にできないことも多いなっていう歯がゆさはあったかも。地方への転勤はなかったけど異動はいくつか経験したし、体調を崩してしまうような人もたくさん見てさ。環境や人間関係のせいでその人が実力を発揮できないっていうのはもったいないな~って。

――自由を求めていたころに、自由を体現するようなMacのパワーブックに出会って、一念発起したってことですね。それにしてもそこからフリーランスに転身する勇気がすごいです。

中根
辞めようと思い始めてから2年ぐらいはいろいろ考えたけどね。それに実際フリーランスになってからは本当に大変だったよ。ライターもWEB制作も、ちゃんとしたスキルも経験もない、全部独学だからね。だからフリーランスとして営業もしたけど、とにかく友達に頼って仕事を振ってもらって(笑)。当時30代半ばだったから、友達に管理職に就いているのが割といてね。Web制作とライター業、報酬云々じゃなくて何でもやるからって。広告会社のコンペとか、メーカーのプレスリリースとかメルマガとか、そこでもらった仕事をこなしながら、フリーランスとしてのクリエイティブのスキルを身に着けていった感じ。とにかくその日の仕事をこなすのに一生懸命だった。

人と人をつなげる理由。

中根
そしたら大学時代のゼミ仲間が、ギャラリーをやってみないかって誘ってくれて。話を聞いたら、いろんな人が作品を自由に出せる“レンタルボックスギャラリー”っていう当時には新しい形態。「みんなが自由に発信できる時代がくるぞ!」って会社を辞めた自分にとっては、まさに理想としていたものだったから是非にと。

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――そうして、233のオーナーになったんですね。それにしても中根さんの人脈、ほんとにすごいです。中根さんはよく、233のお客さん同士を紹介したり、イベントを開いて人と人をつなげたりもされているじゃないですか。ご自身の経験から、そうするようになったのかなと思いました。

中根
それもあるね。いろんな人のご縁のおかげで今の自分がいるから。
あと、233を始める少し前に、友達に表参道のバーに連れていってもらったことがあるんだけど、そこのオーナーさんが、とにかくその場にいるお客さん同士を全員紹介するのよ。「あの方はこういう職業で、あの方はこういうお店をやってらっしゃって」って(笑)。そうやってみんなつながっていく感じが衝撃的だったし、めっちゃ楽しくてね。そこから新しいことや面白いことが生まれていたから、233もそのスタンスでいきたいと思って、「人と作品とが出会う、人と人とが出会う、そうして、やりたいことができる場」にしようと。


みんなのお父さん。

――なんというか、中根さんは心から「自由」が好きで、「自分が自由でいること」「みんなが自由でいること」両方とも大事にされてるんだなと思いました。自分だけじゃなくて、周りも幸せになってほしい、みたいな考え方が素敵だと思います。

中根
ありがとうございます(笑)。やっぱり社会の役に立つ人間でありたいから。

――社会の役に立ちたいって、どういうことでしょうか?

中根
実家が商売をやっていたってこともあると思うんだけど、やっぱり世の中って支え合いで成り立っているっていう気持ちが強いんだよね。
例えばあらゆる世代が、自分の親たちの世代より幸せな社会を作ることができれば、理論上はずっと社会は良くなり続けていくよね。まあ何が幸せかはその人によるし、数値的な判断は難しいんだけど。少なくとも、前の世代が作ってきた社会を悪くはしたくないなと。そろそろ自分もかなり上の方の世代になってきたから、下の世代の人たちに、俺以上にいい人生を送ってほしいなっていう気持ちはあるかも。それは誰かのためでもあるし、社会のためでもあるし、結果的に自分のためでもあると思う。あと単純に人の役に立つって気持ちいいからね。

――そんなこと考えたこともなかったです、志が高くてますますすごい。今の話を聞いてハッとしたのですが、会社で中根さんの言葉を何度も思い出してたのって、中根さんがどことなく“お父さん感”があったからかも。親父の金言。

中根
ははは。みんなのお父さん。いいね。

――いろんな人が中根さんを頼りたくなる理由が分かった気がします。最後に、わたくし30歳に近づいているんですが、ここで改めて何か言葉をいただけますか。

中根
お、まとめにきたね~。30歳か。精神的にも肉体的にもピークの10代、社会人としてデビューして働く20代、そこで何をやってきたかが問われるのが30代。一応経験値はそれなりにあるから、一人前になった気分で、上の人の言うことを聞かず、下の人に上から物言う人って結構見かける。自分もひょっとしたらそうだったかもしれないけど(笑)。
でも本当に一人前の人もいればまだまだの人もいる。この年代を、どれだけ謙虚に向上心をもって過ごせるかどうか。そこを間違えると「やばい」かも。

――うわあ、その「やばい」にはなりたくないなあ。

中根
そうならないように、まだまだこれからもいろんな新しいことに積極的にチャレンジしていくといいと思うよ。あ、これあげる。

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俺が作ったポストカード。招き猫デザインの世田谷線の電車。一応、これ見たら幸せになる、という設定らしいから。俺もたまーにしか見ない。あ、

〈ガタンゴトンガタン…〉

中根
うん、通常バージョンだ(笑)。

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(おわり)



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