見出し画像

トロント、ふたつめの仕事で。

帰国して早くも1か月が経ちました。日本で久しぶりに会う友達からはよく、「カナダに住んで驚いたことは?」とおみやげ話を求められます。これが未だにうまく話せず、忘れていくことも多く、どうにも消化不良です。そこで今時間をたっぷり使って、エピソードトークの用意をしておこうと思います。

カナダに滞在して「自分史上初」という経験がたくさんできました。1人で国際線に乗ったこと、マリファナの匂いを嗅いだこと(街中にただよっているのです)、一人暮らしをしたこと、乾燥機を使ったこと、恋人ができたこと、いろんな魚を触ったこと、いろんな工具を使ったこと……大なり小なりさまざまです。ああ本当に成長したなと思うと同時に、30歳目前なのに未経験なことが多すぎだとツッコミを入れたい気持ちでもあります。特に印象に残っているものをひとつ挙げるとするならば、それは生まれて初めて「仕事をクビになったこと」でしょうか。

ひとつめの仕事(倉庫業)を辞めた後、私はタイ料理屋のキッチン補助として働き始めました。皿洗い、食材の下ごしらえ、前菜づくり、厨房・トイレ掃除と締め作業が主な業務です。「キッチン補助」という名目でしたが、内容的には「ディッシュウォッシャー」という肩書のほうがしっくりきます。カナダのアルバイトにおいてよくあるお仕事です。お店で働く8割方はもちろんタイ人。優しく温かく勤労家、美しさやスピードの求める姿勢は、日本人と通じるものがあり感覚が合っているなと感じました。私はいつも通り真面目に働き、従業員の方々とも少しずつ打ち解けていきました。

働き始めて数週間が経ったある日、店主から出勤日数を増やせないかと話を受けました。当時私は別の仕事も探していたため、申し訳なくもそれをお断りしました。店主は顔を変えることなく穏やかに「オッケー」とうなずき、その後も態度は変わらず、親切に仕事を教えてくれました。しかしその週、翌週のシフト表がなかなか届きません。シフトづくりが難航してるのかもと週末まで待ちましたがメールは一向に来ず、店主に連絡をしました。すると返ってきたのは添付のないメッセージ。そこにあったのは『来週からはこなくていいよ』という一言でした。理由はやはり出勤日数にあるようで、『もう少し増やしてくれるなら続けてほしかったけど』というようなことが書いてありました。末尾に『真面目に頑張った君の姿勢に感謝します』という一文が申し訳程度に添えられていました。

「へえ明日から来なくていいのか……」。『来なくてていいよ』という言葉遣いに一瞬優しさを感じましたが、数秒してこれが「クビ」だということに気づき、血の気が引いたことを覚えています。これまで28年間、バイトも正社員も含めさまざまな仕事をしてきましたが、クビになったのはもちろんこれが初めて。従業員を守る法律がある日本ではそう経験できないことです。「なんてむごいんだ……」海外で働くことの手厳しさを実感し、帰国が頭をよぎりました。数日間はショックでしたが、よく考えたらそのお店では新人が忽然と姿を消すことが多く、自分と同じような境遇にあったのだと気づきました。

こんなふうに書いてしまうと「ひどい店だ」と思われるかもしれませんが、カナダではよくある話のようです。現にひとつめの仕事でも、突然姿を消す社員が多くありました。同僚に聞くと、大抵がクビでした。カナダに長く暮らす友人にこの境遇を話すと「職場と自分の都合が合わなくなっちゃったのね。どちらのせいでもないし、よくあること。私も昔……」と同じような経験談を聞かせてもらえることが多かったです。そうして私は、もう少しこの国で頑張ってみよう、と思えたのでした。

帰国後、縁あって早々にバイトを始めました。トロントでの第三のバイト経験が生かせそうな、ワーホリの延長のような仕事をしています。それは近々お話させていただくとして。トロントに行く前私は、「すべてにおいて仕事が最優先!使えない人材と思われたくない!」という気持ちで、必死にそして慎重に働いていました。しかし帰国してその心構えが、仕事へのスタンスが、明らかに変わったように思います。別に組織の絶対的存在にならなくてもいいか。合わなかったら合わなかったで。良くも悪くも、肩に力が入っていません。

そして私は遠い昔、日本史の授業で習った、天草一揆を思い出すのでした。先生が「この一揆を政府軍が沈めるのに苦労したのは、応戦したキリシタンの農民がとても強かったからです。宗教上、農民の多くが命を落とすことを恐れなかったようです」と言っていたのを覚えています。「どうにでもなれ!」という気持ちが、人を強くすることもある。おそらく史実は違うと思いますが、中学生の私は先生の言葉をそう解釈し、天草一揆からそんな教訓を得てしまいました。
海外での緩い働き方を知ってしまったからか、クビを一度経験してしまったからか。今私は、「どうせクビになるなら自分らしくやっちゃえ!」という気持ちで、奇しくものびのび仕事ができています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?