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回避性パーソナリティ障害の当事者として


初めて証しますが、私は回避性パーソナリティ障害の当事者です。

生まれた環境や親からの遺伝等で幼少期から現在に至るまでの50年間、ありとあらゆる対人関係を避け続けて、32年もの長い間パチンコ、競馬、パチスロをして社会そのものから逃げ続け、今に至ります。

☆特にキツかったのが中学と高校の6年間で、当時親の精神疾患と持病だった気管支喘息により、地元の児童相談所から医療養護施設へ移りました。これが4ヶ所目の施設暮らしで、唯一のメリットは喘息の発作が起きた時に専門の施設があり、そこで治療を受けられるのと3食をきちんと食べられて飢え死が無い事。

★僕自身、保育園と小学校低学年までは全く勉強をせずに遊び呆けていました。
学校から喘息症状を盾にして半分学校から逃げていました。

☆小学校5年生の時に3ヶ所目の施設へお世話になった時に、その時の担任の先生から
『何かしら1つで良いので勉強を頑張りなさい』
とアドバイスを頂き、選んだのが漢字の習得でした。
1年間の施設生活を終えてまた元の小学校に戻る訳ですが、施設の時と全く同様に対人関係から逃げ回り、学校内ではわざと目立たない様に口を貝にして都合の悪い事には押し黙って過ごしていました。

★6年生の時に初めて万引きを覚えてしまい、近所の本屋から読みたい漫画をごっそり盗み、家の本棚に堂々と飾っていました。恐らく一緒に暮らしていた父にはバレバレだったのでしょう。他には3学期に入ってから1ヶ月程度無断欠席をし、父に見つかり一緒に学校まで行き、担任の先生に謝罪した時もありました。

☆漢字と日本史以外の勉強は半ば放棄していて、平均点以上でも以下でもない平凡な成績でした。そもそもが通知表には何の興味はなかったです。

★話を戻して中学と高校時代は施設内の下級生からも半分苛めに近い口の聞き方をされたり、明らかに陰口をしょっちゅう叩かれていたり、学校ではやはり不満はなかったが、対人関係は依然として正常ではなく、回避しまくっており、特に高校時代は3年生にもなると必要最低限の対人関係も保てなくなり、常に集団の中での孤立にとても苦しみました。

☆そして、高校卒業後に就いた会社内に於いても精神的な未熟さは一向に解消出来ずに常に敵を作りだしてました。

★社会人2年目の秋にそれまでの間兄にべったりで、兄の仕事が忙しくなり会える機会が減って行く中、たまたま入ったパチンコ屋で2時間で12000円勝ち、そこから会社での対人関係から回避するのを主目的として、入り浸る様になりました。
最初の1ヶ月で45万円の定期預金を全て遣い果たし、社会人5年目迄にローンカード含めて7社の消費者金融から約300万円と投資詐欺約100万円をこさえてしまいました。

★ここまで追い詰められても会社には回避性特有の、相談をしたくても秘密主義に走る性質により、6年目に人格が破綻して2週間無断欠勤をしてパチンコ、パチスロを資金の限度額一杯になるまでやり尽くし、会社にバレました。

☆一旦は問答無用のクビ宣告をされましたが、当時の新役員の方のツテで借金問題を解決して頂ける法人を紹介され、そこの法人では弁護士費用が無料で専任の消費生活アドバイザーの方と共に任意整理という利息の一定部分を差し引いて計算し直した金額を計7ヶ所分の返済用の銀行口座に毎月一定額振り込みをする形を取りました。

★全ての債権者との折り合いが着くまでの間は月に7万円を返済用の口座にプールしながら一括で払えるモノは一括で、その他は提示された毎月の返済を2年半程度進めて完済をして、冷や飯食いから解放された8年目の末に初めて行った精神科からの自律神経失調症という精神疾患の理由により、会社からの計らいで退職金ありの依願退職扱いになり、半年の休養期間に入りました。

☆その時点での精神年齢は17歳程度の未熟さ満載で、回避性パーソナリティ障害の根っこの部分は全く治っていませんでした。

★2ヶ所目の精神科クリニックを紹介して貰い、重症の不安神経症であるとの診断が下りました。
会社を退職してからまず始めにしたのが、国民年金の全額免除の申請と原付免許の取得による身分証明書の確保でした。実際にバイクを買いましたが、ミッションタイプで運転の仕方がちんぷんかんぷんで11万円をどぶに棄てた格好になります。

☆当時入会していた某宗教の直属の幹部からは何時ぐらいに新しい仕事に就けるのかばかりを言われ、回避性あるあるで、7ヶ月間、その幹部から逃げていました。

★その間は半年分の家賃を口座にプールさせておき、最低限の食費分を差し引いたお金で競馬とパチスロ、時々パチンコの3回権利物を順繰りやり始めました。

☆当然ギャンブルを再開させた事は誰にも明かせず、結局明かせたのは事実上の宗教からの脱退をする直前でした。2005年の事です。

★話を前に戻しまして、失業保険を遣い切った11月末から日雇いのバイトをやり始めるものの、身体が鈍っていた事もあり、3日に一回バイトに入るのが精一杯で、とうとう家賃分を滞納してしまい、離れて暮らす家族に迷惑を掛けてしまいました。

☆そして、とあるツテを通し、バイトを出来る限りやり収入源を確保する事を条件に生保の申請をして、年初の1月4日に正式に受理され、何とか飢え死だけは避けられました。
その当時は週に4日の8時間チラシのポスティングバイトに開け暮れていて約1年間はパチンコやパチスロ、競馬の事は忘れられる程に毎日の仕事が楽しかったです。

★ここのバイト先の方々は皆さん何らかの苦労をされているので、同志に近い感じでした。

☆いよいよバイト生活がままならない様になると、今度は二次疾患として中程度の鬱と躁の状態が身体を蝕み始めており、親戚中に電話しまくって迷惑を掛けました。

★この時点でのギャンブル行動は一種の鎮痛剤となっており、身体に鞭を打ちながら月に3回程日雇い派遣から紹介された仕事を約4年間行っていました。

☆風呂無しアパートで時に銭湯代も無い日も多々ありまして、週に2日入れれば良い方でした。入りに逝けない時には台所でお湯を沸かして頭だけ洗うとかしてました。

★今だから書けますが、バイト収入の大半はギャンブルに消えて行きました。

☆とある精神科のデイケアなどにも通いましたが、疾患の大元である回避性パーソナリティ障害は何とも改善せずに常に虚無感と二次疾患の鬱と躁状態に絶望し、ギャンブルの夢の中に逃げ込む。

★その当時は対策を何も講じていなかった訳ではなく、作業所への定期通所を条件に精神疾患者用のグループホームへ入居し、ギャンブル行動をさせない様に努力していましたが、退去期限の2ヶ月前にパチスロ打ちが再燃し、金銭的に底を尽いて更正施設行きが確定。2009年の春の出来事でした。

☆其処から這い上がり、作業所に通所しながら半年間の施設生活に耐えて地元近くのアパート生活に戻り、今度はパチスロの代わりにゲーセンに3年程通いつめ、その間にパチンコと競馬とは永久におさらば出来ました。
しかしながらパチスロの打ちたい衝動はパチンコや競馬の比ではなく、3年数ヶ月振りにパチスロ打ちを再開してしまい、今に至ります。

★6年半前には精神科病院に措置入院し、携帯電話とアパートを強制解約になりました。
退院後には2度目の更正施設への入所。

その時は、出るのに1年2ヶ月掛かりました。やはり回避性パーソナリティ障害が足枷となり通いのデイケアを無断欠席してパチスロを打ち、その日の内に担当者へ報告。

★退所後は、入院時のカンファレンス通りに通過型のグループホームに入居。
風呂はありましたが、中々に年季が入った佇まいで、慣れる迄に少し時間は掛かりましたが、慣れてからは、今年の初めまで通所していた作業所に行きながら、今度は毎月の工賃の範囲内で程なくして低いレート専門でパチスロをこっそりと打ち続けていました。

☆やはり、回避性パーソナリティ障害の当事者で完治は無いとされている虚無感を少なからず補う形でのパチンコ屋通いでした。
この時点では勝ち負けはどちらでも良く、他に音楽鑑賞しか趣味の無い自身にとってはこの蟻地獄の沼からは易々とは抜け出せませんでした。

★ネット上での断ギャンブルサイトにも参加して、何度も諦める事なく、禁煙と同様に行かない日数を歯を食い縛りながら積み上げては再発の繰り返しでした。

☆今年の誕生日で52歳になりますが、精神年齢は精々30歳前半程度の未熟さです。

★幸いにも2年3ヶ月前より滞在型の単身者用のグループホームへ入居出来て、通所型のグループホームと同様に家賃と公共料金と携帯代金は毎月の入金日に即支払いし続けられています。

☆代表者の方には回避性パーソナリティ障害がある事は伝えてあります。

★残念ながら人格障害は投薬では治りません。しかしながら、二次疾患の統合失調症や双極性障害は時間を掛ければ完治は十分可能の様です。

☆32年間もの壮絶な一切のギャンブルを断つ準備は整いました。
8月以降に新しい作業所への通所が始まります。

★障害者年金と自立支援の医師の診断書は見たことはありませんが、2級相当なのでこの年齢からの障害者雇用などへの許可はもしかすると一生涯下りないかも知れませんが、イチ個人として残りの人生を自分なりに謳歌して行ければ御の字です。

☆僕と同じ様に何らかのパーソナリティ障害で苦しんでいる方も少なからずいらっしゃると思います!

★今回のnoteは自身が全ての持病に対しての踏ん切りを着けたくて長文になった事をお詫び致します。

☆幸いな事に2010年春に生涯治らないと10歳の時に宣告された重度の気管支喘息が完治!以後、一度も発作無しです。
出来る限り努力をして双極性障害と統合失調症に発達障害も完治出来ればまた違う景色が見られると思うので、諦めずに立ち向かいます。

★ギャンブル障害と共に買い物依存も解消し、しっかりとある程度の貯蓄が出来る様に努力致します!
出来れば障害年金の約半額を定期的に貯めてグループホームの退去後の資金に充てたいと考えております!

ではまた!

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