「ノンバイナリー差別」とやらについて当事者が考えること

 こんにちは30代ノンバイナリーです。私にはノンバイナリーのお友達もたくさんいます。あと改めていうのもなんですが、存在しています。パートナーがいて、普通に東京に住んでいて普通に仕事してます。料理もします。いわゆるLGBTQのTにあたりますが、ただただ普通に地味に生きてて、たまにこうやって文章を書いてます。
 そんな私が、インターネット上で、ど差別を喰らってしまいました。
※この記事は心無い差別発言についても触れています。ご注意ください。

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 ノンバイナリーはトランスジェンダーというカテゴリに含まれます。トランスジェンダーは、“生まれたときに割り当てられた性別に違和感のある人”を指すので、私は「トランスジェンダーでノンバイナリー」となります。
 しかし、これはよくノンバイナリーの間でも話題に上がるのですが「なんかうちらってトランスジェンダーって言っていいのか立ち位置微妙だよね」みたいな感覚がある人もいます。トランス男性やトランス女性に比べて性のグラデーションがどっちつかずに見えるように感じるからかもしれません。

 そのせいなのか(これは個人的な話なのですが)Xなどでよく #TransRightsAreHumanRights というタグだったり、 #トランス差別に反対します というタグだったりを目にしたとき、どこか自分とはかけ離れたものに見えて、ノンバイナリーの私をここに含めていいんかな?と不安になることも時々ありました。

 こういったタグをつけて発信してくださる、差別を許さないとはっきり言ってくれる当事者やアライの方々の中に、 #ノンバイナリー差別に反対します というタグを一緒につけてくれる様子を何度か目にしました。ノンバイナリーって私のことなんですけど、お恥ずかしながらなんだかピンとこなくて。特にトランス女性の方が置かれている状況に比べたら、ノンバイナリー差別なんて…みたいな気持ちも(これは個人的な話なのですが)あったのかもしれないです。

 前置きが長くなりました。今日、いわゆるノンバイナリー差別というものを目撃し、それを受け止めた所感を記しておきたいと思います。

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 大好きなパレットークというLGBTQの開発団体があります。マイノリティのことだけではなく、フェミニズムや家父長制、選挙のことなども漫画でわかりやすく発信してくれる団体なのでとても信頼しており、フォローしています。そのパレットークがこんな漫画をXに投稿してくれました。
※現在はXの投稿が削除されてしまっているので、Instagramからシェアします。

 その漫画は、高齢の人(主人公)が、孫のカミングアウトをきっかけに自分もノンバイナリーだと自認したというストーリーでした。高齢の主人公が孫と一緒にTRPに出かけたとき、孫と同世代の若者(おそらくLGBTQ当事者)に「ババアがノンバイナリーってw」と嘲笑されます。こういった心無い発言に対してみなさんはどう考えますかと問いかける意図を持った漫画でした。私はこの漫画全体を見た時、心無い発言には引っかかったものの、「性自認するタイミングは人それぞれであってよいし、年齢は全く関係ないものなのだ」という当たり前のことが描かれていて、嬉しくなりました。

 実際私は、20代後半でノンバイナリーだと自認しました。それは結婚した後でした。子どもを持つか持たないかという話し合いのタイミングで避妊具なしの性行為をしたとき、妊娠によって体が変化することに恐怖を感じ許せなかったことがきっかけでした。排泄物を食べることと同じくらい、それが許せなかったのです。
 幼少期から違和感はあったものの、そのようなカテゴライズを知らず、また機能不全家族の中にいたため自分を正しく表現しようという意欲そのものがなく、「男」と「女」の二つの箱しか知らなかったので、まさか自分に「ノンバイナリー」という箱があるとは夢にも思わなかったのです。同じ畑で白い野菜として育てられ、自分も白色をしているから大根だろうと思っていたらじつはカブだった、という感覚でした。
 しっくりくる場所にじつは名前があり、自分の在り方に名前をつけられた。こんなにすばらしいことがありますか? 

 と、思ってなんの気なしに先ほどの漫画のXの引用欄を見てみたら、信じられない言葉が並んでいました。下記、閲覧注意です(ごめんなさい、記録として残しておきたくて、あえて記しています)


「『女の子だもんね』『お母さんだもんね』にモヤモヤするのがノンバイナリーなら、全員ノンバイナリーじゃん」
「女らしさを押し付けるなとかよくある女の言い訳」
「自分の内面に名前をつけないと気が済まないのか」
「孫がいるってことは母親をやったわけでしょ? 母親だからというジェンダーロールの押し付けに反発してただけなんじゃないの?」


 大変驚きました。こんな直球のヘイトを見て、心が死んでしまった経験をしたのは初めてでした。

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 アイデンティティなんて言葉を、子どもの私は知りませんでした。サカナクションの楽曲でしか聞いたことなかった。ジェンダーアイデンティティを知るタイミングはきっと私は28歳が最速で、あの漫画に登場されていた高齢の主人公は孫と出会ったときが最速だったのだと思います。それだけです。

 ”女らしさを押し付けられたくないだけなんじゃないか”ーーそんなことは言われなくてもクソほど考えました。私はジェンダーロールの押し付けに反発しているだけなんじゃないか、と死ぬほど考えました。でも、私の生き方は、「女性」として扱われたい生き方ではないんだと、苦虫を噛み潰すような顔を毎日毎日しながら考えた末に辿り着いたんです。この漫画に登場された方もきっとそうだったと思います。
 もちろんフェミニズム的な文脈として、ジェンダーロールの押し付けにも反対しています。でもそれは、ノンバイナリーとしての苦しさとは別のものだと整理できるようになりました。それに、ノンバイナリーが親になることもできます。なかには母親を経験したノンバイナリーもいます。

 「自分の内面に名前をつけないと気が済まないのか」にも反論したいです。ーーそうです、気が済みません。だって今まで自分だけ変なんじゃないか、私は気が狂ってるんじゃないかと悩んできて、このモヤモヤどうしようって思ったときに、自分と同じような人が世界に生きていて、自分のアイデンティティには名前もカテゴリーもあったんだ、と気づいたときの喜びといったら! あなたはたまたま自分の内面に名をつけなくても大丈夫だったのです。マジョリティと呼ばれる人々の多くは、内面に名前をつけなくても、苦しくならないでしょう。

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 最近うれしいのは、企業のアンケートだったり、ちょっとした占いの記入欄などで性別を記載する欄に「ノンバイナリー」や「その他」という選択肢が少しずつ増えていることです。少しずつですが、世界が変わっていっていることを実感しています。
 
 でも、得体の知れないものは怖いですよね。あなたのこれまでの常識にはなかった概念だし、自分の辞書には記載のなかった言葉。それがきっと「ノンバイナリー」だったんでしょうね。
 それでも、あなたが投げかけた言葉の先には、生身の人間がたくさんいることを想像してほしいと思います。
 少なくとも、私はいました。一人でも存在しているということはそういうことだと思います。



 

今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!