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最近のできごと(1月下旬〜2月上旬)

■1月31日
 セイユに行ったらイワシの開きが安かったのでトマトとパン粉をのせてオーブンで焼いたらおいしかった

■2月1日
 何に対しても何も感じられない時期が続く。鬱期だ。定期的に来るそれには、どうやったって抗えない。仕事して、仕事に怯えて3時間くらい泣いて、夜になったらケロッとして2時間ほど過集中してタスクをやっつける。そういう生活をここ最近続けている。
 過度に落ち込んでしまう。誰かに叱られたり怒られたりしていないのにもかかわらず、叱咤されるところを妄想して、それで泣く。もうつかれた。

■2月1日②
 鬱期かどうかは、ドラマや映画、本や漫画を読めるか(観れるか)どうかで判断する。鬱の時は何も楽しめなくなり、つまり文化欲が激減した。
 愛蔵版で買った『ぼくの地球を守って』を、オットは一気読みしていたが読めず、アカデミー賞発表までには観たい観たいと思っていた『パワー・オブ・ザ・ドッグ』も観られない。毎週読んでいるジャンプもつまらなく感じている。どこかがおかしい。

■2月2日
 人生が長すぎる。と感じる。今は30歳、90歳まで生きてしまうこと考えるとやっと今3分の1を過ぎたところなのだ。
 それまでわたしは仕事をして、毎日落ち込み、ごはんをつくり、おいしいねとオットと言い合い、何かに過集中してる時のみ自分がどん底にいることを忘れられ、寝て、また起きる。そういう生活を無意味にしか思えず、将来への漠然とした不安が消えない。
 そういう毎日の繰り返しが幸せって言うのなら、私は幸せなのかもしれないけど、幸せをかんじられないのは病気だからなのかな。精神科のジャコペン先生も「小さな幸せを見つける練習をした方がいい」と言っていたが、自分に欠けているのはそれだ。
 自分のコントロールができなくて、悔しい。

■2月3日
 Hさんと仕事の打ち合わせを2時間くらいした。でも前半30分と後半30分は仕事と関係ない話を、Hさんの話を聞いた。Hさんが好きだし、Hさんとの仕事も大好きなんだけど、こうやって一方的に話を聞く状況に気づくと度々陥る。
 私は話を聞くのが好きだ。だからライターをやってるし、たぶん天職。でも、どういう反応や相槌をすれば相手が喜ぶか、瞬時に判断できる分ドッと疲れてしまう。帰りにHさんからLINEがあり、「ひさこさんは話しやすいので楽しいです☺️」とのこと。よかった、けどいつもケア側にまわる自分に多少嫌気が差す。
 心落ち着く時間は過集中している時か、ベッドで夫の下に足をねじ込んで温まっている時だけ。

■2月6日
 自粛でどこにも出かけられていないので、近所のちょっといい酒屋に行き、ブルーベリー味のあまいワインを買った。冷たいと甘すぎて飲めたもんじゃなかったけど、温めてシナモンスティックを刺してホットワインにしたら最高だった。映画『アメリ』を思い出した。
 夫がホッカイロを脇腹に張り出した。お腹に貼らないの?と聞くと、「脇腹に貼るのにハマってる」とのこと。そういえば、ホッカイロって不燃ゴミだということを昨日知った。

■2月7日
 自分の人生に意味があるのか、そう考えてしまう。夢はないのか? 愛されていることを実感できないまま寂しい気分を纏って死ぬのか。このまま気軽に飲みに行ったり連絡できる友達ができないまま死ぬのか。何もやり遂げずに死ぬのか。そういうことばかりを考える。
 やり遂げるとかやり遂げないとか、人生ってそんなことじゃないはずなのに。

■2月8日
 『エミリー、パリへ行く』シーズン2を一気観した。生理になり、いつも以上に気分が落ちていたので明るいメロドラマを観たかったのだ。
 シカゴ出身のエミリーが1年間限定でパリのマーケティング会社に出向する話なんだけど、恋も仕事も全力で迷ったりしながら楽しんで生きる!!みたいなエミリーが今の私にちょうどよかった。

 アカデミー賞ノミネートが発表されて、『ドライブ・マイ・カー』が結構な数でノミネートされてて、なんだかそれに触発されて、文化欲が戻ってきそうな予感。
 いいぞ、頑張れ。と書いたところでなぜ頑張って生きなくちゃいけないんだろうとふと思った。
 頑張って生きるってなんなんだ。

今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!