ヴォスクオーレ仙台
大学を卒業し、無事Fリーグの舞台に戻ることが出来ました。
ただ目当ての監督は退任。
とはいえ目的は東北という地でフットサルを通じて、たくさんの人に笑顔を届けること、選手としてより高めることは変わらない。
まさかの…
ヴォスクオーレ仙台に入団し、トレーニングが始まりました。
ある日社長から電話が届き、
戦略会議で話し合って、サテライトからスタートして欲しいとの結論になった
と言われました。
元々トップチーム登録という話で来た中で、よくわからないことが起きた。
練習でも全然普通にやれてたし、よく思わない人がいたんだろうな〜と思いながらのスタート。
知ってる顔の人がいますね。笑
スペイン人監督が来るって話が流れてきて、若手が好きらしい。
それってチャンスじゃん。
ってことでひとまず日々なんとか頑張ることに。
その間に宮城県選抜にも選んでもらい、いろんな人と話す中で、また新しい発見ができ、なんだかんだで悪くない日々。
そして本当にスペイン人監督が来た。
ただ練習に呼ばれたのはベテランの選手。
話が違うぞ?若手が好きなのではないか?
うん、今後について考えよう。
って思った頃の練習試合。
たまたま観に来ていた監督から呼ばれ、
何歳だ?
と聞かれて、トップチームに入ることが許された。
トップチーム
登録されるとすぐに試合に出してもらい出場機会をもらった。
順風満帆なシーズンを過ごせると思ったものの、なかなか勝てない。
惜しい試合をすることもあれば、惨敗することもあり、引き分けることすら出来ず、他チームからはボーナスゲーム扱い。
新しい選手達が加わってもなかなか勝ちに繋がることは多くなかった。
そんな僕はまわりのバランスを見ながら、パスを捌くようになり、たまに仕掛けるくらい。
ドリブルしなかったなーって試合もしばしば。
そして入団して3シーズン目にテコ入れがされた。
外国人選手
2人のスペイン人に1人のブラジル人が入団した。
彼らが活躍すれば勝てる。
しかしそんなに甘いものではなく、監督に不満を抱える人も少なくはなかった。
ただ僕の考えは、
監督の指示と違うことをして負けたらそいつのせい。
監督が言ったことを遂行した上で負けたら監督のせい。
そうやってうまくまとめられなかったことがなかなか勝てなかった要因なのかな〜とよく思う。
でも選手同士は団結してたし、それはそれで結果的によかったのかな?
なんとかちょこちょこ勝って過去最高順位でシーズンも終えた。
翌シーズンはスペイン人2人が退団し、ブラジル人が2人入団した。
5人の外国人選手とプレーして、みんなバラバラな特徴。
彼らと同じプレーはできないけど、必要な選手とは彼らを結ぶコネクター役なのではないかと思うようになりました。
変革期
5シーズン目を迎えブラジル人選手は1人だけ残り、その代わりに日本代表クラスの選手が入団してきました。
僕の目指すべき形は明確になったこともあり、プレシーズンから取り組んでいきました。
しかしなかなかうまくいかない。
新しいことに取り組んでいるから仕方ない部分もありましたが、個人のパフォーマンスが落ちている感覚さえありました。
個で勝負できる選手が多く、僕が必要だと思ったサポートが不要になってしまったのです。
一例で言えばアイソレーションした状態での1vs1を望む選手が増えたことです。
そして次はクラブの財政難により、通訳、監督、ブラジル人選手、主力選手が続々と退団していきました。
新しい自分
ずっと続けていたこともあり、段々と形となり、試合に出ればうまく入れるようになりました。
しかし、思うような出場機会が来ない。
好き嫌いがあるとはいえ、正当な評価をされている気はまったくしなかった。
短い時間でアシストしても、ゴールを決めても変わらなかった。
でもネガティブになることはまったくなかった。
自分のプレースタイルを確立できたことで、不安も何もなかったから。
そんな中ライセンス制度により、仙台はF2降格、最終的には一時休会となった。
退団
5年もいるとその土地に愛着は嫌でもある。
チームが苦しいこの状況で残ってプレーすることも考えた。
でも選手としての幸せを考えた時にここに残るのは選択肢にありませんでした。
退団リリースでは契約解除となっています。
この時に僕は仙台と複数年の契約を結んでいたため、契約解除という形になりました。
そして海外でフットサルをしてみたいということもあり、マレーシア、中国などでクラブを探しましたが、そのタイミングでコロナウイルスが流行したために頓挫。
行くクラブがないぞ〜となりながらも、先輩から紹介してもらい、トルエーラ柏(現しながわシティ)への入団が決まりました。
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