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盈虚

あたら夜の月と花とを同じくはあはれ知られむ人に見せばや

後撰和歌集・源信明

 今日もまた一睡もできなかった。暁暗を引き裂くようなカラスの声がひとつふたつと聞こえる。それが引き金となったかのように、遮光カーテンの隙間から覗く空はしだいに白んでゆく。
 春眠暁を覚えず、などと歌ったあの詩人はさぞ能天気な人物だったに違いない。春こそ不眠の季節であるというのに。逆に、春はあけぼの、と歌った清少納言は私と同じく、春には不眠に悩まされていたのだと思う。春は、あけぼの。能天気な人物にとっては、あけぼのなど、睡眠を妨害するものでしかなく、寝ぼけ眼はその美しさを決して映しはしない。あけぼのの美しさに打たれるのは、それが私たちの徒労を終わらせてくれるからである。寝なければならないのにいつまでも眠れないという苦しみから解放されるためには、あけぼのを待つしかないのだ。待って待って、夜の底が漸く白み始めたときの感動こそが、「春はあけぼの」なのではないか。
 六時に設定しておいたアラームが鳴り響く。私は昨夜の自分を嗤った。私はほんとうに眠れると思っていたのだろうか? アラームがなければ寝過ごしてしまうとでも?
 アラームは鳴り続ける。解除しなければならないと分かってはいるのだが、身体を動かす気になれない。なにもかもめんどくさい。スマホは手を伸ばせば届く距離にあるというのに、私は布団を頭まで被り、アラームが鳴り止むのをただただ待った。
 大学二年生になってからというもの、なぜか大学に行くのが億劫になり、私はすでに一ヶ月ほど家に引きこもっているのだが、もはやこれ以上欠席すれば留年が確定するというところまできていた。別に、大学生活における人間関係に悩んでいるわけではないし、勉強が厭になってしまったわけでもない。大学に来ない私を心配して連絡をしてくれる友人もいるのだが、どうしてもベッドから起き上がることができないのである。友人には、大学だるいから今日もサボるわ、と連絡をして、天井を眺めるだけの日々が続いている。彼は私のことを、ただの怠惰な人間だと思っているのだろう。それでいい。
 やがてアラームが鳴り止み、窒息しそうなほどの静寂が部屋を支配した。私は布団から顔を出し、机の上に置いてある腕時計を見た。つい先日、二十歳の誕生日プレゼントとして、実家の父親から送られてきたものである。その秒針は、ジ、ジ、ジ、という音を刻み、眼球が動く音までもが聞こえそうなほどの闃寂に等間隔に穴を穿ち、私の憂鬱を一層深く、濃くしている。呼吸が浅くなる。
 腕時計の横には、一緒に送られてきた手紙が未開封のまま放置されている。堕落した今の私には読む資格がないのだと思って、読むことができていないのである。両親は、私が普通に大学生活を謳歌しているものと思い込んでいる。期待を裏切るのが辛くてたまらない。
 それからしばらくは虚無を味わいつつ、カーテンの隙間から射す朝陽を見るともなく見て、時間を無為に溶かしたが、今日こそはなんとしても大学に行こうと自分を奮い立たせ、やっとの思いでベッドから起き上がった。
 コップ一杯の水道水を飲んで時間を確認する。あと10分で家を出なければ授業には間に合わないが、身だしなみを整える気にもなれないので、煙草を一本吸ってから家を出ることにした。マッチを擦り煙草に火を付ける。私が煙草を吸うリズムに合わせて、その先端が蛍の光のように明滅し、私の顔の周りを不気味に照らし出す。私の吐き出す鈍色の煙と、煙草の先から立ち上る露草色の煙が部屋を満たすにつれて、私の意識は次第に朦朧としてきた。遮光カーテンの隙間から煙の充満する室内に射す朝陽はチンダル現象を起こし、私はその幽玄かつアイロニカルな美に呆然と魅入っていた。その光はまるで海中に降り注ぐ光芒のようで、この息苦しい、水槽のような部屋に射す一条の光明であった。
 ふと右手に目をやると、煙草の火はすでに消えていたので、私はリュックを手に持って部屋を出た。太陽はすっかり昇り、世界はすでに目覚めているようであった。私はリュックを背負いながら玄関の鍵を閉め、重い足取りで自転車置き場に向かった。何でもいいから、学校に行けない理由が欲しかった。腕や脚を折るような大けがでもしていればいいのだが、残念ながら、私は身体的にはいたって健康なのである。私が大学に行けば、見知った人たちはきっと、お、珍しいね、などといってからかってくるだろう。すると私は無理に笑って、寂しかったかい? などという冗談を言うことになる。そうしたやりとり全てが厭でたまらないのだ。厭なら無理に笑わなければいい、と思われるかもしれないが、ではどうしろというのか? 君には私の苦しみは分かるまい、などと言って、つっけんどんに応対すればいいのか? 私はそこまで気障ではないよ。
 憂鬱な気分のまま自転車置き場に着き、自分の自転車の鍵を外していると、奥の方からバサバサという音が聞こえてきた。何の音だろうか、と思いながらしゃがみこみ、音のする方を見ると、そこには一羽の鳩がいた。血は出ていないように見えるが、羽を怪我しているのか、その鳩は懸命に羽ばたいているものの、全く飛び立つ気配がなかった。
 私は、この鳩を保護して動物病院へ連れて行かなければならないと思った。野鳥に素手で触れるのはよくないとは聞いていたので、私は急いで家に戻り、ボロボロになったタオルと段ボール箱を取ってきた。タオルを広げ、ゆっくりと鳩に近づくと、鳩は怯えてバタバタと羽を動かして必死に逃げようとしたのだが、すでに弱っているからなのか、容易に捕獲することができた。鳩は思ったよりも堅く弾力があり、私は肉塊という印象を強く受けた。タオルに包まれた鳩は、もう観念したのか、抵抗を止め、私の目をじっと見ている。これまでじっくりと見る機会はなかったのだが、首元は翠色の羽や菫色の羽で彩られており、まるで水たまりの酸化皮膜のようであった。私は鳩を段ボール箱へ入れ、家に持ち帰った。
 さっきまでおとなしかった鳩は、しばらくの間、箱から出ようと懸命に暴れ回っていた。その間、私は片手で段ボールの蓋を押さえながら、スマホで近所の動物病院を検索したのだが、そこは毎週水曜日が定休日らしく、不運にも今日がその日なのであった。とりあえず明日までは私は世話をしようと、検索窓に「鳩 餌」と入力したところで、私はもはや大学には間に合わないという事実に思い至った。しかし不思議なことに、自分が取り返しのないことをしているという意識はなく、むしろほっとしていた。
 やがて鳩も落ち着いたようで、段ボール箱の中からは音が聞こえなくなった。私はガムテープで箱を閉じ、鳩が脱走しないようにして、近所のスーパーに鳩の餌となりそうなものを買いに行った。外は春光が煌めき、東風も清々しい。今朝の自転車置き場へ向かっているときの世界とは、まるで別世界のようだった。スマホで調べたところ、場所によっては鳩の餌が売っているところもあるらしいのだが、近所のスーパーには案の定売ってなかったので、私はかわりに食パンを買った。健康的な餌だとは言えないかもしれないが、今日くらいはいいだろうと思ったのだ。
 私は片手に食パンを持って、急ぎ足で家に帰った。玄関のドアを開け、ただいま、と言いながら部屋の電気を付け(部屋の電気をつけるのはいつぶりだろうか)、鳩を刺激しないようにガムテープをゆっくりと剥いで段ボール箱を開けた。中を確認すると、鳩は眼を閉じてぐったりと倒れていた。ついさっきまでは暴れ回っていたのに、まさか死んでいるわけではないだろうと、段ボールを持ち上げたり、左右に軽く振ってみたりしたのだが、鳩は何の反応も示さなかった。
 私は段ボール箱を床に置き、手を洗ってベッドに入った。全身の力が抜け、虚脱感にとりつかれた。ついさっきまで生きていた鳩が、死んだ。私が無理矢理捕獲して段ボールに押し込んだために、鳩は死んだのだろうか、それとも、もともとすでに瀕死の状態で、元気そうに見えたのは、ただ最後の力を振り絞って抵抗しただけだったのだろうか、などと考えているうちに、久方ぶりの眠気に襲われ、私はそのまま泥のように眠った。
 夢の中の天満月は、呼吸を忘れるほど大きく崇高で、煌々と冴えていた。しかし、その月影は何物も照らさず、昏天黒地の世界からは互いに混淆し、もはや判別することのできない罵詈雑言のようなもの、憎しみばかりが聞こえる。私はどこか高い建築物の屋上から、ただ無言で頭上の月を眺めていた。しばらくすると、月の表面から水が滲み出し、月光が世界を照らすように、滲み出した水が地上に滴った。はじめはごく少量の水が滴るに過ぎなかったのだが、その水量は次第に増加し、やがて窓が割れるように月が決壊した。そこから流れ出る水は奔流どころではなく、まるで水の塊がそのまま落下しているかのようであった。あっという間に大地は水没し、一刻前の騒擾はすべて呑み込まれてしまった。私は屋上から眼下を覗き見たのだが、やはり何も見えない。再び頭上を見上げると、月は元の姿に戻っていた。その静謐な世界の中、私ひとりだけが、勿忘草色の月光に照らされていたのである。
 目を覚ました頃には、すでに夜になっていた。意識はまだぼんやりとしているが、私は自分が空腹を感じていることに気づいた。どうせ食べるものもないので、空腹を紛らわせようと煙草に手を伸ばしたところで、そういえば食パンを買っていたのだった、と思い出した。段ボール箱の脇から食パンを拾い上げ、一切れ取り出して口にくわえて、私はカーテンを開けた。夢で見たような崇高な満月を期待していたわけではないが、そこに浮かんでいるのが朧月で、すこしだけ落胆した。
 窓を開けると、肌寒い冷気とともに、酔っ払いたちの声が部屋に吹き込んできた。声のする方を見下ろすと、ひとりの男が、ソレデサア、アイツガサア、などと上機嫌で語り、一緒にいる連中もがやがやと笑っている。駅の方へ向かって歩いているので、もうお開きなのだろう、と思った。
 食パンを食べ終わったので、私は袋からもう一切れ取り出して、また窓のところで戻ってきたのだが、そのときには酔っ払いたちはもういなくなっていた。静寂の中、私は穏やかな気持ちで煙月を見上げる。すると、
 ――ジ、ジ、ジ、……
 腕時計の音である。
 私はふと、読むなら今しかないのではないか、と思い、腕時計の横に置かれている手紙を拾い上げ、月明かりの下でそれを読んだ。

お誕生日おめでとう。欲しいものはないとのことですが、何もプレゼントしないというのも寂しいので(プレゼントは、する方が嬉しいものです)、何がいいか、いろいろと考えた結果、無難に腕時計を贈ることにしました。気に入らなければお父さんが使うので、今度帰省するときに持ってきてください。もう二〇歳ですか。立派な大人ですね。でも、○○がお父さんとお母さんの子どもであるということは、これからも変わりません。いつでも頼ってください。お母さんはいつも、○○は偉い子だ、すごい子だ、と親馬鹿のように褒めていますが、お父さんは、それがかえって心配で、やさしい○○のことを苦しめているのではないかと危惧しています。あ、やさしい○○という言葉も、ひょっとしたら○○を苦しめてしまうかもしれませんね。ごめんなさい。とにかく、お父さんもお母さんも、○○が生きていてくれたらそれで大満足なのです。たとえ○○が人を殺めてしまったとしても、私たちだけは絶対に味方です。これから辛いこともあるでしょうが、ひとりで乗り越えられないと思ったときには、躊躇することなく、全部投げ出して帰ってきてください。便りの無いのは良い便り、なんて言いますが、それでもたまには元気でやっていることを知らせてくれたら嬉しいです(元気じゃないときももちろん!)。なんだか、自分で書いていて恥ずかしいのですが、お父さんは今、なぜか泣きそうになっています。すぐ感傷的になって、もう歳ですかね。普段、手紙なんて書かないものですから、きっと読みづらいものになっていることと思います。ごめんなさい。いろいろ書きましたが、○○、お誕生日おめでとう。

 私は、くすぐったくてたまらなかった。手紙を丁寧に封筒に戻して、もうお腹は空いていなかったけれど、食パンをもう一切れ、口に詰め込んだ。
 そのとき、床の上に放置されている段ボール箱を見て、私はあることを思いついた。
 私は、キッチンから取ってきたオリーブオイルを鳩の嘴に塗り、鳩を持ち上げた。鳩は、もうすっかり固く冷たくなっていた。私はベランダに出て、鳩の死骸を月に向かって思い切り投げた。

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