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亀は万年

 私は小さい頃から亀という生き物を好いている。子どもの頃は、爬虫類・両生類図鑑を毎日開いては、世界の亀たちを愛でていた。年寄りのような顔、荘厳な甲羅、鷹揚とした振る舞いなど、亀の全てに魅力を感じていた。
「亀は万年鶴は千年」と言われるように、亀は長寿の生き物として知られているが、そうした事実もまた私を一層虜にしたのだと思う。全ての子どもがそうであるように、私も子どもの時分には自分がいつか死ぬのだという恐るべき未来に戦慄していた。どうして私は死ななければならないのか。毎日健やかに積み木をつんだり、図鑑を読んだりしているだけなのに。何も悪いことはしていないのに、どうして死ななければならないというのか。こんな不条理が許されていいはずがない。こんな風に私は死を恐れ、ときに両親を恨んだりもした。
 当時の私は爬虫類・両生類図鑑の他に、宇宙図鑑をも愛読していたのだが、それを読んで、宇宙の歴史は気が遠くなるほど長く、それに比べれば人の一生などあまりに儚いものであるということを知った。「偏に風の前の塵に同じ」である。
 宇宙が生まれてからずっと、私の誕生という忌むべき瞬間まで、私は存在していなかった。そして、私は当然自分が存在していないことに不都合を感じてなどいなかった。自分が存在する前の無に戻りたいが、死にたくはない。幼い身体の隅々まで浸透していたこうした恐怖は、私にとって亀という生き物を一層尊いものとした。
 今振り返れば、人間の一生と亀の一生にはなんの違いもないが、当時の私——多分5歳くらいだったと思うが——にとっては亀の一生はあまりに長いものであり、それゆえ、亀たちは死の恐怖と無縁なのだろうなどと、稚拙な論理を展開して亀に憧憬を抱いていた。
 中でも私のお気に入りはガラパゴスゾウガメという種の亀で、とても大きな甲羅を背負ってのそのそと陸上を闊歩する亀だ。この亀は亀の中でもとりわけ長寿で、ガラパゴスゾウガメの亜種でハリエットという名前の亀は175歳まで生きたらしい。当時の私は5歳なので、この事実を知ったときの私の驚きは想像に難くない。
 私はガラパゴスゾウガメが欲しくなった。しかし、両親に頼んでみてもまともに取り合ってくれない。
 私は仕方なく、手頃に手に入るミシシッピアカミミガメを買ってくれとねだった。私の記憶が正しければ、ミシシッピアカミミガメの寿命は約25年で、本命のガラパゴスゾウガメにはだいぶ劣る。私にとって、亀の魅力の大部分はその長寿によってもたらされていたので、25年しか生きられないミシシッピアカミミガメはその分——私にとって——魅力を欠いていた。
 水棲だというのもいただけない。ペットショップで見たミシシッピアカミミガメは水の中を忙しなくバタバタと泳いでいた。私はこれを見て、「亀は亀らしく陸上をのそのそと遊歩すべきだ」と憤った。——理不尽な話である。
 とは言っても、亀は亀なので、私は結局ミシシッピアカミミガメを買ってもらった。妹もそれに乗じて買ってもらっていた。別に亀のことなんか好きじゃないくせに!と思った。
 そのときに買ってもらった2匹の亀は、それぞれ「亀吉」と「UFOくん」と名付けられた。どうして亀吉は呼び捨てにされていたのかはわからない。
 私は水槽の中で忙しなく泳ぎ回る2匹を見ながら、もっと亀らしくしてくれ!とお願いしていた。
 ガラパゴスゾウガメが買ってもらえないからということで次善の策として買ってもらったミシシッピアカミミガメだが、晴れた日には庭で散歩をさせたり、たまに歯ブラシを使って甲羅を掃除してあげたり、割と可愛がっていたように思う。ちなみに、妹はやはり亀のことなんか好きではなかったようで、全然お世話をしなかった。
 最初は500円玉くらいの大きさだった亀吉とUFOくんはどんどん大きくなり、数年後には手のひらサイズにまで成長した。私は亀らしくなってきたぞ、しめしめ、と思っていたのだが、やはり動きは俊敏で、その点はずっと不満だった。
 家の中の水槽で飼うにはあまりに大きくなってきていたので、2匹はやがて庭で生活するようになった。広々と暮らしていたからであろうか、亀たちはさらに大きく成長していった。
 しかし、ある日のことである。九州に超大型の台風がやってきた。私は家の中から、強風で乱舞する木々を見ながら、風、すげえ、と幼稚な感想を抱いていた。こういう光景はいつまでも見ていられた。私は庭にいる亀たちのことなど、全く考えていなかった。
 台風一過、庭に出てその荒れっぷりを見て回っていた私は、亀たちが姿を消していることに気づいた。亀たちを入れていた容器は無事だったので、それが壊れて脱走したわけではない。どうやって脱走したのかは謎である。風に乗ってどこかに飛んでいったのかもしれない。あれ以来、2匹の姿はみていない。
 私は、彼らの寿命が約25年程度だということで落胆したわけだが、彼らがこうやって私の前から姿を消したことによって、彼らの死は私に隠されることになった。
 彼らは今も生きているのかもしれないし、あるいはすでにどこかで死んで甲羅だけが残っているのかもしれない。その生死は、これから何十年たったとしても、重ね合わされたままであるだろう。つまり、私が老人になったときでさえ、彼らの生死は私にとって不明なままであり、それゆえに、彼らは未だ死んでいないという可能性は常に私にとって開かれたままなのである。
 25年しか生きないとされた彼らは、その失踪により、無限の生を獲得した。ガラパゴスゾウガメよりも長生きになった亀吉とUFOくんは、人類滅亡の日にひょっこり現れて、われわれの滅亡を嘲笑うかもしれない。

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