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村上さん顔うちわお焚き上げ➓「KANJANI∞ 五大ドームTOUR EIGHT×EIGHTER おもんなかったらドームすいません💧」

まだやってたん?と思いました?
まだやってたんですよ。あと6枚かな? まだまだありますからね……

何せ、最近関ジャニ∞さんは、デビュー18年周年のスタジアムコンサート『十八祭』をされていたじゃないですか。

これは、驚くべきことなんですけれど、このお焚き上げはまだ8周年にすら届いていません。ひゃー。

そんなわけで、粛々と続きを見ていきたいと思います。「お焚き上げ」が何かわからない方は、マガジンor前回記事をご参照ください。

グループにとって充実の年でありながら、言及を避けることはできない「震災」の年

裏面。野球のユニフォームを模したデザイン。OPとEDだけ野球場がテーマなんだけど、全体通して何が野球なのかはさっぱりわからないコンサート。

2021.11.23-12.31 「「KANJANI∞ 五大ドームTOUR EIGHT×EIGHTER おもんなかったらドームすいません💧」

遺影も撮りました。

あ、そう、ブロンドになったんですよ。葉っぱも増えているし、いかに更新してなかったかがうかがえる。

村上さんのほうはといいますと、格段にあか抜けましたよね。

それもそのはずで、11月末から1カ月ほどで北海道・福岡・東京・愛知・大阪のドームを回っているスケジュールからだけでも、だんだんと活動が充実した時期のコンサートだったことがわかります。
事実、この年には日本テレビ系列の「24時間テレビ」のメインパーソナリティーに就任したり、同事務所の別グループNEWSに所属していた錦戸亮さんがNEWSを脱退し、関ジャニ∞の活動だけに専念していくことになったりと、本人たちにとってもスケジュール以上に激動で、その方向性を固めて充実した年であったようでした。

「充実」とはいったもののこの錦戸さんの掛け持ち問題に関してはデリケートだと思っていて、NEWSの現場を通して錦戸さんに出会った錦戸さんのファンにとっては、そのルーツが絶たれることになるのは悲しかったろうなと思います。錦戸さんのファンは、そんな思いを抱えて臨んだ公演だったのかな。
なお、この際NEWSの他メンの気持ちは慮りつつ、NEWSの他メンのファンのお気持ちは正直どうでもいいと思っています。だって、掛け持ちがあったことそのものは何も本人のせいではないし、それに対する他メンのファンたちって究極の「他者」ですので。

記憶にある他の例でいうと、現・7ORDERの森田美勇人くんがジャニーズ事務所在籍時代はLove-tuneとTravis Japanを兼任して活動し、のちにLove-tuneに専念するのを選んだことがありました。当時知り合った人にトラジャ他メンのファンがいて、森田さん在籍時に、あいつは掛け持ちだから中途半端な奴、みたいなことを言っていて、直感的にウゲーと思った。なので、それを今この場を借りて強調したい。
NEWSやTravis Japanのメンバーが腹に思うことがあったり、悲しい気持ちになるのはわかりますが、その人たちがその思いを腹にしまったまま笑顔を向けてくれているのに、勝手に嫌っている、しかも「嫌い」という言葉を使わず「中途半端」といかにも客観的な言い回しで否定するのは、嫌う理由が欲しいだけなのかなって。要は、重用される人へのねたみかなと思いました。

関係ない話がながくなってしまったんですが、要は、錦戸さん自身がそういった内的だけでない外的な重荷から解き放たれた年だったのかなと思いました。
それでかどうかはわからないけれど、後述しますがこのコンサートの完成度は相当高いです。2つ前の「関ジャニ∞ DOME CONCERT 2009-2010」は‟神セトリ”と言いましたが、今回はそれに比べてセトリのよさというより、パフォーマンスが数段上達していました。後で触れますね。

とにもかくにも、充実しているなと思いました。
あ、またもや忘れているので観直したんですよ。今後はこのパターンで行くと思う。ハマって5年も経つと中だるみ気で、記憶も確かじゃない。

ただ、この公演では、どんな中だるみ気でも忘れられない重大なことがあります。
それは、見出しにも冠している東日本大震災が起きた年の年末のカウントダウンコンサートだったことでした。
11年前のあのとき、「不謹慎」という言葉が日本中を席巻し、エンタメやそれに携わる人が、初めて不要不急の扱いを受けたのだった。「不要不急」という言葉がコロナ禍の今一般化しましたが、あの時はたくさんのエンターテインメントが「不謹慎」の名の下に一度タコ殴りにされました。
それにしても、先の外野オタの話じゃないけど、「不謹慎」というまだ主観性のある言葉から、「不要不急」といういかにも一般論の顔をした強迫観念の強い言葉を生み出すって、人間ってつくづく卑怯だなと思い知らさらされます。

でも、それは違う、そうじゃないんだとエンタメ界の興行主さん、スタッフさん、演者さんが殴られながら立ち上がってくれ、やっと私たち観客も「どんなにつらくて悲しいときも楽しんでいいんだ」「それが生きるために必要だ」と顔を上げたタイミングでのコンサートだった。
そういう意味で、まず特別です。
内容の話になるけれど、あの公演で歌われた渋谷すばるさんのソロ「あ」に救われた人はどれだけいただろうか。新しい命を迎える喜びを歌いながら、聴衆に「生まれてきてくれて日々感謝」という主題ではありつつ、それを通して「生き残ってくれてありがとう」と言っているのではないかとあらためて思いました。

と、いうけれど、私自身は当時大分県に勤めていて、正直言って東日本大震災の被害は1ミリも受けていません。
ですが、前々回話した「毛抜きを持ったまま寝た友人」がブログを通じて交流していた、東北在住の友人がいまして。その毛抜きの友人は、その子のことをずっとずっと、本当に心配していました。連絡がつかなくて、確認のすべもなくて、でもやがて無事がわかって、比喩抜きで崩れ落ちるくらいよろこんでいた。
私自身はまったく交流がなかったんですが、関ジャニ∞を通してしか知らない遠くの人が生きていたことに、言いようもないほど安堵したのを覚えています。

で、この公演の、東京ドームで初めてその子に会いました。
マクドナルドの前で、はじめましてとあいさつをして、再会を喜んでいる毛抜きの友人のそばにいただけの短い時間でしたが、いざコンサートが始まって、渋谷さんの「あ」を聞きながら
「(毛抜きの友人の友達)ちゃん、生きててくれてありがとう!」
と、心から思いました。

そいつは、それから仲良くなり、一緒に現場にいくほどになります。離れていますけど今もずっと友人です。

DVD収録されている大阪のオーラス、先述の「あ」の中で、渋谷さんがこんなことを言います。歌詞にある「おめでとう」「ありがとう」を客席に唱和させているときのことです。

このクソみたいな世界で、ここは今間違いなく世界で一番平和

同コンサート内「あ」歌唱中の渋谷氏の発言より

努めて意識せずとも、また彼女の顔が脳裏に浮かびました。
歌なんて、こんなことで、大切な人を亡くしたり、大切なものがすべて流されてしまったりした悲しさは絶対癒えなかったはずだとはわかってます。
が、あのとき彼女が、そんななか東京まで来て、会えたのは間違いなく関ジャニ∞の、エンタメの力なんだなぁ。私視点の身勝手な話ですが。

彼女にとって、関ジャニ∞のコンサートが「耐えられないほど人生で一番つらいことの只中でも行こうと思える場所」だったから、私は彼女に初めて出会えました。

そんなわけなので、「あか抜けてはりますなぁ」な村上の笑顔を見ていると、ちょっと捨てるのが惜しくなります。(捨てるけどな)
そんな公演でした。

目を見張るほどのバンドの上達とセトリの洗練度が、「目の前の手間暇=成果」は幻想だと教えてくれる

先ほども言った通り、今回は神セトリというよりも完成度の高いパフォーマンスでした。京セラカウコンは若々しい情熱で客席を巻き込んで燃え上がっていく感じだったのに対し、今回は1つひとつが成熟しつつありました。

目を見張ったのはOVERTUREから始まるバンドナンバーで、シングル楽曲「LIFE~目の前の向こうへ~」から4曲たっぷりバンドナンバーで聴かせます。これ、当時にしては結構長かったんじゃないだろうか。しかも、「宇宙に行ったライオン」「ツブサニコイ」あたりはかなりサウンドを鳴らす系で、ある程度クオリティが担保されないと「好き」だけでは聞いていられないと思われる。もちろん、だから定番の後半じゃなく、一番コンディションの良い冒頭に持ってきたとも考えられますが。

この「最近の界隈のバンド」というのは「最近の(ジャニーズ)界隈の」という意味ではなくて、自界隈のという意味です。語弊あってすみません。

本当に考えさせられたのは、宝塚ファンもやっていると特にだし、いろんなアイドルが台頭する中で「実力」を取りざたすじゃないですか。内外。
この彼らの場合、1人ひとりの楽器スキルそのものは、専門でやってきてるプロから見ると大したことないと思うんです。実際、バックバンドの「モンじゃいオーケストラ」(とは)たちの技術レベルと比べたら、当然雲泥の差なわけで。
ですが、この7人が集まってやるということが、単に技術だけ磨いた人たちを寄せ集めた7人と絶対違う、単にエモいとか尊いを超えた迫力あるサウンドに仕上がるのを改めて目の当たりにして。そういえば吹奏楽部時代、1年生だけのアンサンブルで部内コンテスト結構いいところまで行ったよなとか。そういう経験も思い出したりしました。
未熟が集まって、安定・成熟を超える何かが生まれるときがある。だから音楽っておもしろいんだよなと。

なぜエモいとか尊いとか、ファン目線の話を超えるかというと、環境が恵まれているというのもあるが、やっぱり一流で最先端の仕事が常に身近にあるからかなと思っていて。それが対‟芸”に対する精神性を育てるのかなと分析しています。
美容師さん向けによく使う言い方だと、「手」より「目」が鍛えられるというか。いいもの、悪いものに対する感度やストイックさ的なことです。
長くそれだけやっていて、技術は高いのかもしれないけれど、サウンドの塊になった瞬間にダサくて聞いてられないみたいな例が最近痛切にあったので、10年前の、今の時分よりずいぶん年下になってしまった彼らのサウンドなのに、特にまぶしく鮮やかに感じられました。

メンバー間の‟拮抗”から宝塚のようなスターシステムを想った

上記のような調子で、結構思うことがあふれて、昨晩はずっと観ながら騒いでました。フォロワーごめん

上記の通りなんですけど、あんなに下町感のあるヤンキー7人のグループから、どうしようもなく宝塚感を感じてしまった。
それは、今でこそそういうグループは多くなってきたけど、キャリアや経験に格差がある子たちが寄せ集められた中で生まれる、同僚でありながら年齢の上下関係が圧倒的にあって、その中で横並びにライバル関係でもあるもの。当時は結構めずらしかった気がします。V6さんが世代差があるけれど、線引きがされていましたからね。
特に、同い年3人の年長者の中では多少の適性の差はありつつ経験の格差はないものの、年下半分の中では「Jr.黄金世代特需」で場数を踏んだ人とそうでない人がいるのが、いかにも宝塚のスターシステムっぽいわけです。

さらには、東京組と違う関西ジャニーズという競争枠の中で、その集団を代表して選ばれたメンバーであるということで。いっぱいいる中から、いろんなグループに属する可能性があったのではなく、関西ジャニーズという集団の中から1つの目標をつかみとった8人という意味では、宝塚受験の経験を重ねたりしました。あの子たちの後ろには、夢半ばで道を分かったたくさんの仲間が、東京の子たち以上に色濃く見えてくるのです。

ちょっと余談ですが、芸人さんなんかでも、大阪から東京に‟進出する”のが売れるとされる前提条件になっているのが個人的にはいつも理不尽だなぁと思っていて。なんで一回その労力経なあかんねん、と。
だから、大倉さんが自分の活動の傍ら後進のプロデュースに尽力する気持ちすごいわかりますね。
あのワンクッションの遠回り自体、「要らない苦労」だったんだろうなと。
そう考えると、かつての事務所の中間展望のまったくない日和見なプロデュースにイラっとしはするけど、結果論ではそれによって生まれた特性、ひりひりするようなスター成長譚に私は惹かれたんだろうなという発見も、ありました。

ただ、その一方で「アイドル」という立場に疑問を感じさせる種もある

このコンサート自体は完成度が高いものですが、目をつぶれない「歪み」も発見してしまった。

当時はまったく気付かなかったけれど、ラストから2曲目の「Hi & high」。明らかに様子が違いました。ラストから数えて2曲目にラインナップされるということは、クライマックスにふさわしい曲だったはず……、そんなおぼろげな記憶を懐かしみながら終わろうとしていたら。
衝撃でした。
ハッピーで親しみやすいのにユニークで。なんちゅう名曲。普通に聞いて帰ってた当時の私、ダサすぎる……

そして作者としてクレジットにある「RONDONRATS」とは、広島県を中心に活動するインディーズバンドだとわりました。どんなに検索しても何の情報もなく、やっと見つけたエイター兼当バンドファンの方のブログ、Twitterのボットで間違いないと判明。

同公演収録DVDブックレット(私物)より一部を撮影

でね、当時気づかないはずなんですよ。だって、別立てでクレジットがないんやもん。
それはそれで「かっこいい!」と楽しんだ記憶はもちろんあるけれど、彼らに内部提供される座付クリエイターのロックサウンドの文脈で聴いてましたよね、普通に。
離れたことで耳が反応したようです。それか、多少は耳が肥えたか。まだまだ現役じゃよ。

そのファンの方によると「本人による告知は禁じられているらしい」とありました。その人のブログしか出典がないから、真偽はわからない。
もちろん、そういう契約で合意のもと請け負ったのかもしれないけれど、だとしてもそもそもの発注姿勢そのものに、大変強い嫌悪感を覚えました。
真偽は定かではないんだけど、公式サイトや公式アカウントからの発信が一切ないことが、ほぼその証拠と言っていいと思う。

万が一まだ‟偽”の可能性があるとしたら、アイドルに楽曲提供したことはブランディングの妨げになると、ご本人たちが秘匿している可能性。まあ、編集者としての経験上、だいぶトリッキーですけど。最初から受けねーよそんな仕事。
実際にファッション畑のクリエイターに、美容専門誌のものづくりは解釈違いとのことでお断りを受けるケースはあります。うちの力不足でご依頼料が折り合わず決別するより、私は割と好意的に受け取っている。
クリエイターって、基本的に信念で動くはずなんですよ。

禁止って、要は、売名に使うなということでしょ? びっくりする。

もちろん私のような個人に大きな事務所の事情ははかり知れないけれど、自分がクリエイターに育ててもらったから、携わったクリエイターには売れてほしいし、新人の方にはうちの仕事が受けられないくらい忙しくなってほしい、みたいな気持ちで発注しているんだけどな。
どんなに大きな事務所さんだって、もとをたどればベンチャーの時期があったわけじゃないですか。
それが、別に商圏もかぶらない小さな才能を、依頼しといて、なんやねんと思ってしまった。これは、10年越しにショックすぎました。

で、このこと自体は事務所さんの運営方針だとして、彼ら自身に直接影響することではないと思うんです。看板を掲げて発注されてしまっている以上、「やっぱ高飛車だよね」みたいに、その小さな界隈での評判は落ちるだろうけど。

ただ、問題は、対等に契約にいたらない無名のインディーズから、これだけの名曲を受け取ったという経験は、彼らが大人になっていくうえで、自分の人生やあり方を疑問視する種になったのでは……?と思ったりして。

この期に及んで検索除けのために引用で失礼するけど、そういうことです。
ずば抜けて目と耳がいいはずの2人に、あの曲はどう映ったんだろうなと思ってしまいなどしました。

いや、いやな話で締めるつもりはなかったんだけど。びっくりだよね。「怪盗紳士の殺人」の和泉宣彦かよ。
同事務所もSNSやYouTubeに着手しているし、世の中のクリエイターが自分で発信するすべを持ったことは本当によかったなと改めて思います。才能が握りつぶされにくい時代にはなっていると思う。
メディアも版元もエージェントも、ナメた契約してっとさくらに殺されるからな、マジで。
それだけでも覚えて帰ってください。

でも、ちょっとずつ私にとっての担降りのきっかけだったりも入ってくるから、これまで以上に苦み多めになっていく可能性はあるかな。

それでも、大切な1ページには変わりないので。友達にも出会えたし。
思い出をありがとうございました。

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