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村上さん顔うちわお焚き上げ❾「KANJANI∞LIVE TOUR2010→2011 8UPPERS」とその他

時候の挨拶よりも定型化しておりますが、大変ご無沙汰しております。

本業は編集職とはいえ自分で書くタイプの編集スタイルでして、おかげさまで昨日も1本他社様への原稿を納品したりして、本業も自著の原稿も、まだまだやるべきことは山積しているのですが……

やっぱり無償原稿こそちゃんと書くべきだよなと。この反省も定期的にしている気がする。

自分が書くと決めたことは書ききる。これだいじ。

しかも、ほかにもいろいろとね、美容の専門性に特化したトピックとかを求められているのは重々承知してます。「美容師はカット料金をなぜあげるのか」っていうトピックを書こうかなと言ったら、たくさんいいねをいただいたことも忘れてはおりません。マジで。

だが、なんか、こんなときだからこそ、無益な文章を遺したくなりました。

前回2009年を「必死に生きた年」として振り返ったのだが

たびたびの訂正で申し訳ないのですが、2008-2009年のカウコンのうちわが発掘されました。このパターン2回目やて。もう言うことないて。

12/31 ウシシもぅ大変!東西ドーム10万人集結‼ 年越しジャニーズ生歌合戦Jonny's countdown 2008-2009

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なんで行ってないのに買ったのかはもはやわからないです。なので、遺影もわからない顔で。

2008~2009年はこれまでにも書いた通り宝塚ごと、就活、卒論などが立て込んでいる時期ではありました。そんな中でもとりあえず村上さんが出るものは押さえておきたかったんだろうな。そんな時期もありました。

2008年のカウントダウンコンサートに行っていないのは確実で、まず、東京で開催される集合カウコンに行ったことがないんです、私。意外とないねんよ。

で、振り返ってバイオグラフィを調べてみると、翌年2009年1月10日が村上さんの一人舞台『if or...』の初演初年度でした。これには行ったんですよね。しかも、母がついてきてくれました。つよい。

当時のフライヤーとかは捨ててしまって、初年度のグッズは確かもふもふのファーストラップだったと思います。それも自分が使う用のしか買っていなくて、割とデイリーに使っていたのでとっくの昔に壊れてしまったので現物はないけれど。

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if or...6回目のグッズですね。これは引っ越しの時に見た。多分キャリーケースの中にあります。

新しい挑戦をする村上さんを少しでも応援したくて、現地に行った友人に買ってきてもらったんだろうな。あ、というのも私、グッズだけの取引はしたことがないのです。オタク長いんですけど、浅い付き合いの人が増えるというか、足がつくのが嫌でね。自意識過剰とも思えますが、多方面で名前を出している今となっては賢明な判断だったなと思っている。

と、書いているうちに「○○担のあの子が買ってくれたんじゃなかったか」と思い出してきました。「一人舞台もするしご祝儀!」みたいな感じだったような。

このことは前にも書きましたが、なぜ彼が一人舞台をここから10年も続けたかは以下の通りです(上記自記事より引用)

後日譚ですが、「壱」と冠したこの『未定』シリーズは、壱のまま永遠に更新されることはありませんでした。翌年渋谷さんは、同社の後輩を連れてバンドコンサートをやることになります。それももちろん大盛況でした。
そのこと自体は2人と事務所でよく話し合って決めたことなのだそうですが、ちょっと出典は忘れちゃったけど、村上さんはこんなことを言っていました。
「いつかすばるが音楽以外もやりたくなったときの居場所を空けておきたい」(ニュアンス)
そうして、翌年からアイドルの1人舞台というには世にも奇妙な『if or…』シリーズが始まったのでした。
内容は「ほぼKOCファイナリストの単独ライブ」と言ってもいいような、無駄にストイックな村上さんの1人舞台は、10年続き、しかもフォーマット化されることもなく毎年“新しい変なこと“をやっていました。
そして、渋谷さんの脱退を控えた2018年の冬の終わり、そっと閉じるようにピリオドを打ったのでした。

私は当時、そんなこと知る由もありません。

オタクにとって、一人仕事はうれしいことです。

ただただうれしい気持ちが早って、きたる初日が待ちきれなくて……

たいそう幸せな顔でうちわを受け取ったような気もします。

そう考えると、一番捨てることがはばかられる1枚です。現地に行ってないのにな。そんなもんです。

2010年は久しぶりにエイター現場のない年だった

で、やっと本題。発掘した2010年のうちわです。

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2010.10.30-2021.1.1「KANJANI∞LIVE TOUR2010→2011 8UPPERS」

個人的に2010年は新卒1年目だったということを除いても、先述の村上さん一人舞台続編『if or...Ⅱ』や横山裕さんのコンサート以外に現場がなかった年だったことがわかりました。

これは、こうやってお焚き上げていてわかったんですが、私のファン歴の中では初めてのことでした。ある人は映画に、ある人はドラマ、単発のドキュメンタリー番組……。もちろん全員での地上波番組もあるようでした。昔からのレギュラーもあるしね。バイオグラフィを見てみると結構発見があります。

また、今脱退しているメンバーに目立った単独仕事がないんですよね。それまで圧倒的なスター性によるスタートダッシュでグループを引っ張ってきた2人でした。7人での仕事も充実しているし当時は気に留めなかったけど、大人になって振り返ると、ちょっと考えるものがあります。

そんな中、唯一のコンサート現場でした。とっても楽しみだったのは、昨日のことのように覚えています。

今見ると「ちょっと早すぎた」未成熟なハードボイルド

で、今その『8UPPERS』コンの映像を観ながら書いています。当作は8人がそれぞれ役名をもった殺し屋に扮して、ミッションを遂行するようなムービーがついた同名アルバムに準拠するコンサートでした。関ジャニ∞お得意のバラエティコーナーも「ウインクキラー」というゲームで、世界観を遵守したもので。髪型の話をすると、大倉さんの進化系リーゼントがいけてます。マルちゃんのパーマもいいなぁ。長髪パーマは今一度流行ってほしいメンズヘアなんですよね~…ボリュームの作りどころが難しいので、マッシュやツーブロでお茶を濁すスタイルが多いんですよね。けしからん

今振り返ってみての後出し感想にはなりますが、個人的に好きなテイストではありつつ、迷走してるなという印象もぬぐえないコンサートでした。

殺し屋をモチーフにしたストーリー準拠のコンサートは全く悪くないが、Overtureの「Oriental Surfer」は世界観にマッチしてよいとして、開口一番の「浮世踊リビト」がどうも…

もちろん曲自体の問題ではなくて、これはシングル「Wonderful world‼」のカップリングなんですが、アルバム「8UPPERS」に入っていないのに突如開幕に使われていたんですね。それが、その後続く「Jackhammer」や、エイターおなじみの「Do you agree?」などに対して浮いていた印象を持ちました。

なんというか…音楽は門外漢から間違っているかもしれないんだけど、感想としては、この曲だけ渋すぎる。明らかに渋いんですよ。当時、いまいちノリきらなかったのは、私が渋谷さんのシャウト全開のロックチューンを愛しすぎているせいだと思っていたんだけど、そのせいでもない。

渋いというのは、解析していくと、当時の彼らの表現に対して抒情的すぎている。懐古主義すぎる。といっても、元々渋谷すばるさんの歌唱力に依ってテイチクエンタテインメントから「歌謡曲」としてデビューしたグループなので、多少の懐古主義は問題なさそうに思えるんだけども。

改めてこの曲を歌うのに対して、ただただ彼らが若すぎる印象を持ちました。青い。メインボーカルの渋谷さんすら読めていない印象。

この曲って、誤解を与えないようにいうとすると、なんていうんだろう…

それこそ宝塚で歌われそうなテーマなんですよね。

切なさに麗しのビーナスは「孤独よ」と僕にささやき
濡らした花弁は桃源郷、夢はパラレル

まあ、一言でいうとダサいんだけど(語弊しかない)。具体的には女性像が当時にしても古すぎる。古いというのは、現代のフェミ的文脈ではなく、シンプルにダサい。前提として、宝塚の曲ってダサいじゃないですか。ただ宝塚だと、ダサいものを設定とイメージ力みたいなもので強行突破しちゃうところがあって、かっこよく聞こえさせる力が働くなと思っていて。で、この曲はその世界観のダサさも抱きかかえて強行する包容力がいるんだと思うんですよね。歌う側に。

そう思うと、イメージできて歌ってんのかな?と改めて観ると思ってしまいました。当時の彼らを覚えているから正直にいうと、全然無理だよなぁ。

ただ、単純に年齢や人生経験のせいだけでもないと思っていて……。たとえばこの辺りはですね

強がる笑顔くれる君だけど この世は罪と罰のせめぎあい
合わせ鏡の奥で見つけた僕に似たシルエット

シチュエーションだけならアレと大差ないわけです。

そんな小さな石で未来ごと売り渡す君が悲しい
僕の心はひび割れたビー玉さ 覗き込めば君がさかさまに映る

ミドサー心のバイブル「硝子の少年」(Kinki Kids様)ですね。あれ、発売当初光ちゃんすら18とかだからなぁ。本人たちの人生の年輪と、曲の説得性は別物だということがわかります。そもそも「硝子~」は歌詞曲が良すぎるという問題もありますが…

ただ、それでもやっぱり私はこのOverture明けの2曲目「浮世踊リビト」が曲としてイマイチなのではなく、単にこの当時の7人の幕開きとしては早すぎたという見解でいたい。

その一方、ストーリー仕立てのコンサートにしたいという演出の意図で、アルバムにないのに2曲目に引っ張り出されてきたのも今思えば理解できます。世界観に入り込まないと魅せられない曲ではあるので。そう思うと何とも惜しいセトリ。

今、1人抜け、2人旅立ち、5人になって苦楽を乗り越えてきた5人が改めて「ストーリー仕立てのコンサート」をやるならと思うと見てみたいし、今なら魅せられるんじゃないかと期待できる曲の1つです。別に同じ設定じゃなくてもいろんなシチュエーションをイメージできる曲だしなぁ。

改めてアルバム本体も聞きましたが(1曲目から順にちゃんとね)、なかなか感想が難しいアルバムでした。

1曲1曲は悪くないし、良い曲もあるんだけど(モノグラムとか好きです)、アルバム『8UPPERS』としての精度を問われると、正直答えられない。

と、12年経ってやっと、そう思います。

今思えば、デビューから走り抜けていき、個人の仕事もそれぞれに入る中で……

スタートダッシュが圧倒的な子もいれば、あとから追い上げる子もいます。傍目に俯瞰してみるとただの成長速度の差にしか見えないけれども、近くで寄り集まって生きてる彼らにとってその差はどんなふうに見えていただろうと。

たった8人といったって、彼らは仲間でありライバルなわけで。「それまでのスター」が少し歩みを止め、引っ張ってもらった子たちが頑張った2010年。

私たち呑気なファンには「まんべんなくお仕事きてうれしい!」な年だったけれど、先に走って引っ張っていた子が苦しかった年かもしれない。それゆえに、それがわかるからこそ何か違う見せ方を模索していたのかもしれない。

”8人が横並びに追いついた今やからこそできるのがストーリー仕立てのムービーじゃないか”

そんな意見が出たのかもしれない。

追いついた人のうれしさと、受け入れた子たちの痛みと喜び、その葛藤。

そんなふうに思いながら見ると、ちょっとうちわを捨てられないような胸の痛みを禁じえませんでした。

全然捨てるけどな。

あの日の自分は大人のつもりだったけど、自担の村上さんにたくさんお仕事が入ることしか見えていなかったのだと気づかされます。

うれしかった。誇らしかったです。

が、10年経って、それはそれで誇っていいんだと思う一方で、彼を愛した日を振り返ることで、チームとは何かを考える機会をもらいました。

というか、時を経て教えてもらっているような気持ちです。

全員が一緒には歩いていないけれど、それでも今もそれぞれから学ぶことがあるぞ!というのは声を大にして言いたい。

一緒の日々からも、それぞれの日々からも。

かいかぶったりかいかぶられたりして 自分の理想に当て填めたりした
夢は叶ったり叶わなかったりする
鏡の中の僕は見栄をはったらそれなりに見えて
それでも大人になったら自分の場所を見失っていた
終わりなんてないって思ってた
終わるはずないって思ってた

だとしてもや。たとえ誰かが今この瞬間、自分の場所を見失っていたとしても。そんな今すら、一人ひとりの生きざまに勇気づけられ、刺激をもらっています。

8人全員、今でも最高で最強の関ジャニ∞だぞ!!!!!!!!

これ、最終回?笑

次回からまた失速すると思うけど。ご清聴ありがとうございました。

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