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趣味の宗教|学びのコツ(2)「人による」

はじめに

私は宗教を趣味として学んでいます。義務でも教養でもなく、何かを批判する材料でもありません。

同じように、宗教に興味があったり勉強しようとする友達もいるんですが、「このまま進むと問題アリかも…」と思うような人がちらほら。問題というのは、例えば偏見を持ったり、間違った情報を信じたり、更にされらを広めたり糾弾するなどです。特に、それを悪意なくされると、いたたまれないので、宗教を学ぶコツというか心構えをいくつか紹介しておきます。

ポイントは

  • 情報源を見る

  • ひとくくりにしない

  • 見比べる

  • 急がない

です。書いてみるとなんとも単純ですが。それくらい出来てると思う人も、ぜひ振り返ってみてください。今回は「ひとくくりにしない」についてです。

ひとくくりにしない

「XX教は〇〇を信じている」といっても、XX教の中にも色々な宗派があったり、同じ宗派の中でも個人によって、信仰の内容やその強さのようなものも異なります。時代によっても異なります。そして、自分で考えるのと他人から見たのも異なります。

例えばこういう想像をしてみましょう。
大晦日の夜、あなたは友達と待ち合わせて明治神宮に行ってお祭りを楽しんだりカウントダウンしたり。そのあと、絶景と話題の海に行き、初日の出をバックに写真撮影。家に帰って、寝正月をすごしましたとさ。。。

さて同じ日、日本の宗教を勉強した、とある外国人Aさんがその初詣を見ました。そして、こう思います、「深夜から明治天皇を祀る神社に参拝し、朝は浜辺に行き天照大神とされる太陽を拝んでいる!日本人はやはり神道の熱心な信者だ!」

いかがでしょうか、大きなズレがありますよね。このように、自分で考えるのと他人から見たのは異なるのです。

また、その初詣の中には、敬虔な気持ちの人ももちろんいるでしょう。その中にも、「受験に受かりますように」もいれば「とにかく作法を間違えないように」もいれば「神様ありがとう」もいるでしょう。さらに、「こいつらわかってねーな、初詣は自分の欲のためにするんじゃねぇよ」もいるかもしれません。ただ日本文化を見に来た外国人もいるかもしれません。でも、Aさんからすれば、すべて等しく、天皇を拝む熱心な神道信者として見えているわけです。

さて、反対にあなたが、キリスト教会でミサに集まった人々、イスラム教の聖地に巡礼する人々ヒンドゥー教寺院でお祈りするインド人を見たとき、「XX教徒、〇〇人は熱心だ」と思ってはいないでしょうか。もっと大きなくくりにすると、「一神教の人はルールに厳しい」なんて思う人もいるかもしれません。これは、さきほどの例と全く同じことが起こっているのです。

宗教を学ぶと「XX教はこういう教えだ」と知っていく機会が多いでしょうが、それは宗教に宗派に人に地域に時代に…よって異なるということを忘れないようにしておきましょう。


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