瀬戸忍者捕物帳 5話 『神室心中』1
多くの人が忙しく行き交うこの街は江戸・・・とどこか良く似たまた別の世界・瀬戸(せと)。
禁断の愛に苦しみ自ら命を絶ってしまう事もしばしば。この材木店を営む竹田屋でもそんな悲しい事件が起きてしまう。
竹田屋は質のいい材木で評判の材木店で、街から少し離れた所に山を所有し、そこから材木を運んで来ている。竹田屋の主人・信三(しんぞう)の娘婿・道広(みちひろ)は休業日にも関わらず、山まで出かけて調査をするという。玄関先で草鞋を結び準備をする道広の後ろで、無表情に立つのは道広の妻・雪(ゆき)だ。
「じゃあ行ってくるよ。夕方に帰ってくる。」
と言った道広に対して、雪はその名が示す通りの冷たい目で道広の背中を見つめていた。
そのとき、家の奥の方からドタドタと足音を立ててやってくる青年がいた。
「すいあせん、道広さん、はい、お弁当と水筒です。」
そういった青年は弁当箱と竹製の水筒を包んだ風呂敷を渡した。少し滑舌の悪い青年は名は勘太(かんた)という。よほど慌てていたのか、息を切らしていたが、ニカっと八重歯を見せて笑った。
「すまんな、じゃいってくる。」
風呂敷を受け取った道広は雪とは目を合わさずに立ち上がり、そのまま店をでていった。
「いってらっしゃい。」
雪は感情のこもらない声で、道広の背中を見つめながら素っ気なく言った。
グレーの大きな雲が空を覆い被さり、少しどんよりとした天気にこの瀬戸の街はいつもより活気がないように感じる。
女同心・茜(あかね)と忍者同心・皐(さつき)、それに今日は餅つきの竪杵(たてぎね)を武器として使う岡っ引きの虎吉(とらきち)も一緒に瀬戸の街の見回りみ当たっていた。
ところがこの日の皐にいつもの笑顔は無く、この空模様のように少し曇っていた。
「ねえ皐。 」
茜が一歩後ろを歩く皐に声を掛けるが、返事が返ってこない。
「ねえ!」
また大きな声で茜は言うが、皐は地面に目線を落としたままだ。
「聞いてんのか!?」
とうとう茜の手が出てしまった。皐の腹に肘打ちをくらわした。
「あいだ!殴ることないじゃないですか!」
慌てて笑顔を作る皐。
「なに、あんた珍しくポーッとしてさ。」
足を止め振り返った茜は皐の表情を正面から見た。それに伴い皐と虎吉も歩みを止めた。虎吉の方もこの日の皐の態度に違和感を覚えていたらしく、
「そういえば今日はいつもより無口だな。」
と皐の方を見た。
「そ・・・そりゃあ僕にでも悩み事の1つや2つありますよ!」
と頭をポリポリ掻いてはにかむ皐。そんな皐の様子を怪しむ茜は眉をひそめ、皐の顔にぐっと近づいた。
「昨日の道念さんにお金を騙しとられた夫婦の事なんだけどさー。あたし何もできなかったから・・・今日の朝、謝りに行ったんだ。そしたら、逆にすごい勢いで感謝されて・・・例の5両の水晶、タダで貰ったんだって!それどころか今まで毟り取られたお金も戻って来たらしいんだ。ねえ、あんた、またあたしに内緒でなんかやったんでしょ!?」
至近距離で皐の目を睨む茜の表情に、思わず苦笑いを浮かべてしまう皐。
「別になにもやってないですよー・・・」
「ホントに?」
「ちょっと・・・忍び込んでお話ししただけです。」
「やっぱり 忍び込んだんねーか!」
茜は再び皐の腹にパンチを食らわした。
「うっ!ちょ・・・ちょっと、茜さん、最近ちょっと乱暴じゃないですか!?女性はもっとこう、おしとやかに振る舞うものですよ!ねえ虎くん?」
皐は横にいる虎吉に助けを請うた。
「お、俺に振るなよ!お前が毎回毎回、茜姐さんを困らせてるからじゃねーのか?」
「さすが虎!あたしの苦労を分かってくれるのね!」
茜は表情を明るくし、虎吉の手を握ろうとしたが、虎吉の拒絶反応が再び現れた。
「うわあー!ちょっと!姐さん!」
慌てて手を引っ込める虎吉だった。
「ああそうだ、虎が女性恐怖症だってこと忘れてたわ。なんか、あたしの周りって、八重さんもそうだけど、クセの強い人達が集まって来るわね。」
「茜さんも人のこと言えないと思いますよ?」
と突っ込みを入れた皐に対し、
「うるさい!」
とまた皐の頬にパンチを入れる茜。
「ほら、こういうところがー!なんで僕ばっかり殴るんですかー?」
「あんたはなんかこう、殴りやすいのよ。」
「どういう理由ですか!」
「で、何なの?何か悩んでることがあるわけ?」
と茜は皐を問いただしたが、皐は珍しくまごまごした様子でなかなか答えようとしない。実は皐は茜に心の内を打ち明けるかどうかを迷っていた。それは昨日の夜のことだ。
長上寺の詐欺師・道念が言ったこと、それは衝撃的なことであった。詐欺師ではあるが特殊能力を持つ道念が言うには、道念は人が纏う『気』のようなものが色として見えるという。
綺麗な精神を持つものの気の色は明るく見え、そうでないものは黒く見えるらしい。また、精神は澄んでいても、皐のように戦時中に人をたくさん殺めた者も、その死の気が体に纏わり付いて、黒く見えるらしい。
道念は皐以外にもこの街に黒い邪気を纏ったものがいるといるのだ。それが、茜の先輩にあたる、同心・黒田である。
(まさか、黒田さんが烏天狗?)
皐は最悪の可能性も考えた。
全て道念の主張によるものなので何処まで信憑性があるのか分からないが、仮に黒田を烏天狗だとしたら先日の烏天狗模倣犯事件も辻褄があう。
烏天狗の犯行に見せかけて犯行を行った欣二は虎吉から逃げ出したあげく、その後に本物の烏天狗に殺されてしまったのだ。あの夜は街を細かく区切る木戸が閉めらめている中で本物の烏天狗の犯行が行われた。つまり、烏天狗はあの時間に木戸内にいた誰かということになる。もちろん同心黒田も犯行現場と同じ区画にいた。可能性としては十分にあり得ることだった。
だがこのことを茜に打ち明けたとして茜は信じるだろうか?何しろ情報の出所があの詐欺師・道念なのである。皐は昨日の夜に道念と向かい合って、彼の特殊能力を本物だと思っているが、茜は道念の力をまだインチキだと思っているだろう。また、仮に茜がこのことを信じたとしたら、間違いなく黒田の事を調べようとするだろう。もしも本当に黒田が烏天狗であったなら、そんな茜に対し危害を加える可能性もある。最悪の場合は茜の父・大助と同じく消されてしまう可能性すらある。そんな危険な事に茜を巻き込むべきなのか。
また一方で、茜にとっても皐にとっても憎い仇である烏天狗の正体を突き止るチャンスでもあるのだ。烏天狗を捕らえられればさらなる犠牲者が出ることも防ぐことが出来る。茜と協力して、危険を承知で慎重に黒田の周辺を調べ上げるということも選択の内の一つだということも考えていた。
皐はそんなジレンマに陥って、昨日の夜から一人悩んでいてまだ答えを出せずにいたのだ。それが今日皐が無口である理由であった。
茜は相変わらず皐の目を見て答えを求めている。おそらく納得のいく答えを皐が口にするまで永久に追求されるだろう。皐は意を決した。
「茜さん、虎くん。実は聞いてほしいことがあります。」
と皐は二人に切り出したが、そのとき虎吉はどこか別の方角へ目をやっていた。
「おい、向こうの方を見てみろよ。何か騒がしいな・・・また事件か?」
虎吉が指をさした先には幅30mほどの川がありそれを渡す橋が架かっている。掲げられている看板によると、川の向こうは材木商である竹田屋が所有する山になっているようで、山の名前は神室山(かむろやま)、杉の木が青々と茂っている。そしてなにやら橋の上で人々がごった返している。
茜は橋の上に立つ一人の若者に見覚えがあった。腰に十手を差している。
「あれは、次郎くん?」
茜は橋の上で黒田の手下の岡っ引き、次郎が指揮をとって人々の通行を止めているようだった。
「茜さん、きょ・・・今日は黒田さんはどこへいらっしゃるんですか?」
「黒旦さんは奉行所の方で仕事があるって言ってたから、今日はいないはずよ。」
「じゃあ、僕が茜さんと一緒にいても問題なさそうですね。」
茜達は急いで橋の方へ駆け寄った。
橋の上にいる野次馬達をかき分けていくと、これまた見覚えのある顔がまた一つあった。
「八重さん!?こんなところでまた何してるの!?」
茜に声をかけられて始めて八重はこちら一行の存在に気がついたようだ。
「あっ!茜ちゃん!また会ったね!」
「またあなたですか。相変わらず野次馬ですねえ。」
事件のある所にいつでもこの八重はいるような気がする。皐は苦笑いを浮かべた。
「あっ!虎くんもいるじやないか!あの時はありがとね!」
と八重は興奮気味に虎吉に近づき、また大胆にハグしようとしたが、
「うわあああ!!くるなあ!」
と虎吉はパニックを起こし、一歩二歩後ずさった。
「あ、そうか!女が苦手なんだったね。」
八重は虎吉のリアクションがカワイイと思ってくすくす笑っていたが、茜はこの辺りで何が起こっていたのか気になって八重に尋ねた。
「心中だよお!」
と八重は大げさに言った。ジャーナリズム精神に富む八重が好きそうな話題である。
「この憂き世で結ばれなかった二人があの世で幸せになろうってことかい!なんか浪漫を感じるねえ!」
うっとりと目を閉じて妄想に浸る八重であったが、さすがに不謹慎な八重の態度にに不快感を感じる茜であった。
「だから事件を面白がるのをやめなさいって!人が死んでるのよ!」
茜に注意され態度を改めた八重だが、そうしているうちに次郎の方からこちらに近付いて来た。
「これはこれは。大越さん。」
この次郎という男はいつでも爽やかである。
「次郎くん!今日は黒田さんは来てないの?」
一応茜はそのことを次郎に確認した。
「ええ、事務処理に追われているらしく、ここは僕に任されています。そちらは虎吉さんと・・・あっ、もしかして新しいお仲間ですか?」
と言って次郎は皐の方を見た。無論、次郎からすれば既に皐の正体などもすべてお見通しなのであるが、まるで何も知らないかのように振る舞った。
「あ、えと、うん・・・彼は・・・」
茜は言葉につまって皐の方を見た。
「初めまして、茜さんの岡っ引きの、コウタロウと言います。」
と皐はとっさに機転をきかせて、手を差し出した。今まで見て来て、茜はどうも即座に機転を利かすことが苦手なように思える。ひょっとしたらこの岡っ引きにも忍者同心の名前が皐だと言うことが通達されているかもしれない。ボロが出る前に皐は即興で思いついた名前を言った。
「初めまして、コウタロウさん。」
次郎は微笑みを返し、皐の手を握った。次郎のスッキリとした見た目に反した力強さであった。皐は握手をする時の手の感じでだいたい相手の力量を推し量ることが出来るが、この次郎とかいう岡っ引きの手のゴツゴツした感じは武器の扱いに相当慣れた者の手だと感じた。この時、皐はよもや目の前にいるこの好青年が殺人鬼・烏天狗であろうとは想像だにしなかった。正確に言えば『烏天狗の内の一人』であるが、まさか烏天狗が複数いるなどとは茜も皐も予想だにしない事であるに違いない。
次郎の顔は相変わらず涼やかな笑みを浮かべている。不思議なほど綺麗な顔だ。だがそれが逆に皐にとっては少し不気味に感じた。
「どうかしましたか?」
手を握ったまま固まった皐に次郎は声をかけた。
「あ、いや。宜しくお願いします。」
はっと我に帰った皐は慌てて取り繕った。
「ちょっと、さつ・・・じゃなかった。コウタロウ、大丈夫?あんた今日本当に変よ?」
横からぐいっと皐の顔を覗き込んだ茜は心配そうな表情を皐に向けた。
「だ、大丈夫ですよー!そんなに僕のことを心配なら元気づけのちゅっちゅをいてくませんか?」
皐は左頬を差し出した。
「心配したあたしがバカだった。あんたなんてこれで十分よ!」
と皐の左頬をぎゅうーっと引っ張る茜。
「はは!面白い方ですね。コウタロウさんは!」
次郎は親しみのある笑顔を見せ、次に虎吉の方へと顔を向けた。
「虎吉さん、先日の事件では大活躍されたそうですね!」
「あ、ああ。まあ、俺は暴れるしか能がねえけどな。」
次郎のキラキラとした瞳に照れ、虎吉はポリポリと頭を掻いた。そんなザ・好青年の次郎に好意的な印象をもった茜は事件の事についてを聞いた。
「ところで次郎くん、心中ということだけど、事件性はないの?」
「はい、そう思うのですが ・・・。まだ遺体を運び出す前で、現場もそのままにしてあります。良かったらご覧になられますか?」
「あ、うん!ありがとう!」
茜は皐には一度も見せたことのない明るい笑顔で答えた。
そんな茜の笑顔に対し、皐はむっと表情を強ばらせたが、そんなことを歯牙にもかけない茜は次郎の後を付いていく。
「どうやら次郎って奴に負けてるようだぞ、皐?」
いつも女ネタでイジられてる虎吉はわざと意地悪そうに皐に言った。その意見に同意したジャーナリスト・八重もくすくすと笑った。
「そんな事はないです!僕があんなひょろい男に負けるはずがありません!」
珍しく皐が頬を膨らませ不快感を表して茜の後に続いた。
「あらあら、あんなにムキになって!妬いてるのかねえ?」
虎吉と八重は目を合わせると思わず笑いがこみ上げて来た。岡っ引きではない八重とはここで別れ、茜、皐、虎吉の三人は次郎の後へ続いた。
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