瀬戸忍者捕物帳 5話 『神室心中』5
事件が解決したのは良かった事だが、雪と信三にとってはショッキングな出来事であった。まさか自分とこの従業員がこんな殺人計画を立てていたなんて。しかもそれは雪のためにやった事である。雪と信三はなんともいたたまれない気持ちになった。2人にとってはもしかしたら、あのまま心中事件として片付けてくれた方が良かったのかも知らない。しかし、茜には事件である以上は見過ごす訳にはいかなかった。それが同心としての正義であった。
「しかし、道広のやつ・・・死ぬほどあの女を愛していたなんて・・・私なんて道広に取っては本当にどうでもいい存在だったんだな。」
雪は落胆した。こういう事を言うということは、雪にはまだ道広さんに対する愛情が残っていたのかもしれない。心を雪のように冷たく閉ざしていたが、いつかは、もしかしたら道広が雪の方に再び振り向いてくれる。そういう期待をわずかに持っていたのかもしれない。そういう事を想像すると茜はやりきれない思いを抱かずにはいられなかった。
「雪さん。ひょっとしたら、道広さんが自死したのは、雪さん達の事を思ってなのかも知れないよ?」
「えっ、どういう事?」と雪は茜の発言に驚く。
「長い間、恵美さんと関係を持っていたのなら、きっと蕎麦のことも道広さんは知っていたはず。これは私の想像だけど、道広さんの水筒を飲んだ雪さんは、そこに蕎麦の成分が入っていたと分かり、息もできない苦しさの中で、なんとか地面にソバと書いて道広さんに伝えようとした。道広さんなら真っ先に考えるのは店の誰かが仕組んだということ。もしも同心に報告すれば捜索の手はこの屋敷に及ぶ。自分の不倫のせいでこの店に、雪さんに迷惑をかけたくない。そう思って自ら命を絶ったんじゃないかな?後ろめたい気持ちはあったものの、雪さんへの思いが完全に失われたわけではないのよ。」
全て茜の推論に過ぎない。しかし、少しでも雪の心が救われるなら というも思いがあった。茜の推理を聞いた時、雪の目には再び涙が込み上がり床に崩れ落ちた。やはり雪は道広への思いを完全に失ったわけではないのだ。もうこれ以上傷つかぬようにと、自ら雪のように心を凍りつかせていただけなのだ。
「あんた、優しいのね、女同心さん。あなたの名前、茜さんだっけ?」
茜はコクリと頷いた。
「あんた、いい同心になるわよ。一つ、無理なお願い事を聞いてくれないかい?」
「う、うん。あたしに出来ることであれば。」
「人を殺めた勘太の罪は重い。ても、全て私の事を思ってくれての事なんだ。どうか、死罪だけは、勘弁してやってくれないかい?」
窓を隔ててその言葉を聞いた勘太はまた感極まり大泣きしてしまう。罪人の罪を軽くするなど、新米の同心に出来るのだろうかと思う茜だが、やはり彼らのために自分が出来ることはやってみようと決断し大きく頷いた。
「わかった。あたしにどこまで出来るかわからないけど、 でも忘れないで!もしも死罪を免れたとしても、この街からの追放は逃れられない。多分、あなたと勘太くんはもう二度と会えないわ。」
「分かってる。でも命さえあれば 勘太なら生きていけるわ。愛嬌あるしね。」と雪は勘太に優しい笑みを向けた。
「雪さん すいあせん!旦那様、すいあせん!同心のみなさん、本当にすいあせんでした!」
勘太は何度も何度も頭を下げた。そんな勘太の体を雪は窓越しに強く抱きしめた。信三も勘太の背中をバンバンと強く叩き微笑みかけた。しんみりとした空気の中で、3人は最後の別れ挨拶を終えた。
「さて、悪いが縄をかけさせてもらうぜ。」
虎吉は縄を取り出し勘太の腕を縛り、奉行所へ連行する準備をした。だが皐は最後にどうしても分からないことがあった。
「勘太くん、最後に聞かせてください。なんであなたは 恵美さんが蕎麦を食べられないと知っていたんですか?」
皐の疑問に皆がハッと息を飲んだ。
「それもそうだ。なんでお前はあの女の事に詳しかったんだ?」
と尋ねる虎吉。すると、もう何も隠す必要のない勘太は躊躇わずに真実を語った。
「すいあせん 教えてくれたんです。『とある人に』。」
「ある人?誰ですかそれは?」
と迫る皐。
「すいあせん。よく分かりません。ある日おいらが橋の上で 雪さんと道広さんの事で落ち込んでいるとある人が近づいてきて。その人は妙にうちらの事情に詳しかったんです。その人は 彼女が蕎麦を食べると死んでしまう体質だって教えてくれたんです。それでおいらは・・・」
「そいつがあんたに犯行をそそのかしたってこと?」
「何者なんだそいつは?」
皆突然の第三者の出現に戸惑うばかりであった。
「すいあせん、わかりません。名前は『木霊(こだま)』って名乗ってました。神室山、事件が起きた山の近くの小屋で1人で住んでるって言ってた。だから時々、神室山に来るあの2人の事を知っているんだと。会話をしている内に、おいらの事、全て見透かされてるって感じだった。雪さんと道広さんのことも。おいらが恵美さんを憎んでいることも。それで、このそば粉を貰ったんだ。これをお茶に混ぜれば、女の方だけ殺すことが出来るって言って。」
一同は顔を見合わせて驚いた。
「茜さん、その男・・・教唆犯ですよ!」
「そうね、なんで・・・何の為にそんなことをしたのか、女との関係とか、聞きたいことがいっぱいあるわね。」
「話を聞きにいきますか?」
「そうだね。」
茜と皐は目を見合わせて頷いた。
「じゃあ俺はこいつを連行しておく。どうせ俺は推理には役に立てそうにないからな。」
虎吉は面白くなさそうに口を尖らせて言った。
「あれ?ちょっと虎くん落ち込んでますか?」
皐は拗ねてる虎吉の顔を笑いながら覗き込んだ。
「うるせえな!さっさと行ってこい!」
と怒鳴り、勘太とともに去っていった。
茜と皐も、雪と信三に別れを告げてから竹田屋の屋敷を後にし、教唆犯の正体を調べる為に竹田屋の管理する神室山、つまり事件の起きた山の奥まで登っていた。
その時に皐は顎に手を当て考えに耽った。
「僕は違うと思いますねえ。」
「えっ?何が?」
皐の唐突な言葉の意味は茜には分からなかった。
「道広さんについてです。雪さんへの思いが残っていると。」
「ああ、そのことね。じゃああんたはどう考えるの?」
「そうですねえ。男はバカな生き物です。ただ単純に恵美さんの事が好きすぎて後を追っただけじゃないですかねえ。そこに雪さんや他の人への配慮なんて無かったんじゃないでしょうか?」
「つまりは道広さんは正真正銘のクズだと?」
「そ、そこまでは言いませんが。だって本当に店の人に疑いを受けないようにするなら、例えば遺書を書いて『これはすべて僕の仕組んだことです。』とか書けば良いし、あの記号・・・地面に書いた『ソバ』の文字も消しておけば僕らは勘太くんへとたどり着けなかったと思います。道広さんはそこまで考えが及ばず、ただ恵美さんの後を追っただけです。さすがに雪さんの前では言うのは憚りましたけど・・・」
「あら。あんたの脳みそにも他人への配慮って機能があったんだ?」
「あ・・・茜さん・・・ひどいです。」
皐は苦笑いをして頭を掻いた。
「でも 本当にこれで良かったのかな?」
「どういう事です?」
「だって、この事件を解決した事で、誰も救われなかったじゃない?雪さんも、道広さんも、勘太くんも。」
茜は暗い顔をした。皐は昨日から茜がこういう表情をすることが増えている事に気づいていたし、そんな茜が心配であった。詐欺師・道念の件、先輩同心・黒田に言われたことも茜の心に引っかかっているのだろう。
「茜さん、僕らの仕事は罪人を捕まえる事でしょ?勘太くんは理由はどうあれ、取り返しのつかない罪を犯した。茜さんはやるべきことをした。それだけです。そして僕らにはまだやることが残ってますよ。気を引き締めて!」
皐はニッコリと笑って茜を励ました。
「そうだね。勘太くんに犯罪をそそのかした教唆犯。そいつを捕まえなきゃね。それにしても、何者なんだろうねそいつ?」
「不気味な奴ですねえ。二人のこと・・・道広さんと恵美さんをずっと監視してたんでしょうか?」
「でも何の為に?」
「わかりませんねえ。」
とその時、皐はふと足を止め、周りをきょろきょろと見渡した。
「ん?皐?どうしたの?」
不自然にふるまう皐の前に回り込んだ茜は、皐が妙な冷や汗を流していることに驚いた。
「何か・・・気配が・・・」
皐は周囲から不気味な気配を感じていた。皐はこの気配を前日にも感じていた。皐達を監視するかのようなべっとりとした、嫌な感じのする気配だ。
「何か嫌な感じがします。山を下りませんか?」
皐は珍しく弱気である。
「何言ってるの!?殺人を教唆した奴がこの山にいるかもしれないんだよ!?そいつを取っ捕まえないと!」
「茜さん、その正義感は尊重しますが・・・僕は・・・何か良くない気がします。」
皐は額にじわっと滲む汗を拭った。
「何を弱気になってるのよ!大丈夫よ!」と皐を鼓舞する茜であったが、皐は首を縦に振らなかった。
「茜さんは街に戻ってください。僕一人で奴を探します。」
「な!なにそれ!?あたしは足手まといだって言うの?」
「あ・・・いや・・・そう言う訳では。」
「じゃあどういう意味よ!このっ!」
茜は皐の柔らかいほっぺたをぎゅーっと左右に引っ張った。
「いだだだ!わがりまじだ、いぎまじょう!」
茜の強引な作戦に皐は降参してしまった。
力強く歩を進める茜を一歩後ろから心配そうな表情で歩く皐。どうしようもない不安が胸にこびりついて離れないが、何が起きてもすぐに対応できるように警戒は怠らなかった。
しばらく山を歩いていると遠くの上の方で黒い人影が見えた。黒い着物を来た人物が坂の上にいて、向こうの方を向いている。
「何・・・あいつ・・・?あいつが木霊?」
と茜は足を止め皐の方を見たが、皐は目を見開いて体を振るわせていた。坂の上にいる黒い着物の人物はゆっくりとこちらの方を振り返る。
「あ・・・あれは・・・まさかそんな・・・」と皐はうろたえた。
よく見るとその者は面妖な仮面をつけており、腰には立派な刀が差されていた。
「烏天狗!?」茜は叫んだ。
二人の目つきが一気に鋭くなる。
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