瀬戸忍者捕物帳 1-5

「はあっ!はあっ!」っと息も絶え絶えに誰もいない夜の街を甚兵衛は走る。

「もしもーし!もう諦めてくれませんか~?」と皐の声が聞こえてきた。

甚兵衛が振り返ると屋根の上を軽やかに伝って追ってくる皐の姿が目に入った。

「くそっ!化け物が!はっ!」

甚兵衛が前を向きなおると更に彼にとって都合が悪いものが現れた。

女同心・茜だ。

茜の方も、誰もいない町の中を前からいきなり甚兵衛が走ってきたので驚いた。

「えっ!甚兵衛さん!?」

「ぐっ・・・畜生!こんな時に・・・」っと焦る甚兵衛は振り返った。

するともう皐が甚兵衛めがけて飛びかかろうとしているところだった。

「茜さん!いいところに来ました!とおう!!」と掛け声と共に屋根の上から甚兵衛に襲い掛かった。手に持った十手で甚兵衛の脳天を殴り、甚兵衛はそれによって「ぎゃっ!」という声を上げ、気を失いその場に倒れてしまった。

茜は目の前で起こっていることを理解するのに精一杯で、しばらく言葉を発することができなかった。

「皐・・・くん・・・?これは・・・一体・・・?」

茜は戸惑うばかりであったが、皐の持つ紫の房がある十手を見て目の色を変えた。

「あんた・・・」

「茜さん、やはり僕の勘は当たってましたよ!彼が新平さんを殺した犯人です。」

そう言いながら皐は手際よく縄で甚兵衛を縛り上げた。

「この人は新平さんの婚約者のことが好きだったみたいです。それで新平さんにその女性を取られたことに腹を立て、殺したということですね。まったく・・・ひどいことを・・・」

皐が説明しているときも茜は聞いているのかいないのか、呆然としていて、だが表情だけは厳しくなっていった。

「ちょうど茜さんが通りかかってくれて良かったです。この下手人を茜さんにお預けしますね!」

「皐・・・あなた・・・まさか・・・」

「あっ!この姿ですか?驚かせてごめんなさい。そうなんです、なんか巷では忍者同心とか呼ばれているらしいですねえ。もちろん、同心さんのマネ事をするのは良くない事だなあって思ってますよ。」

皐はペラペラと隠しもせず自分のことについてご機嫌にしゃべっているが茜の表情は厳しくなるばかりである。

「そんな怖い顔しないでくださいよ~。今は物騒な時代じゃないですか?だから少しでも同心さんの負担が軽くなればいいなあって思っ・・・うわっ!」

皐が饒舌に喋っている途中で茜は皐の胸倉を掴み、その勢いで後ろの長屋の壁に皐の背中をドンっと叩きつけた。

「痛っ!」

すかさず茜は懐から十手を取り出し、その棒身を皐の首のところに突き付けた。皐は突然の茜の行動に驚いた。ああ、やはり同心の真似事をするのはダメなんだなと皐は少し反省したが、どうも茜の様子が変で、手が小刻みに震えている。

「皐・・・あんたの持っている十手・・・どこで手に入れたの?」

「え・・・ええっとですね・・・これは・・・その・・・茜さん、聞いてください。確かに僕は同心の真似事をしています。でもそれは決して面白半分にやってるわけじゃなくてですね・・・」

「だまれ!!」

茜の一喝に皐は驚き言葉を失った。茜のギラつく目にはうっすらと涙が浮かんでおり、憎しみに満ちていた。皐はますます混乱した。

「あたしの父は同心だった・・・でも・・・一年前に殺された・・・」

その言葉に皐は目を丸くした。

「みんな口をそろえて父は偉大な同心だったという・・・あたしもそう思う。何人もの下手人を捕まえてきたからね・・・。でもある日殺されて・・・犯人はまだ捕まっていない。そして報告によれば・・・犯人は父の十手を奪って逃走した・・・」

その言葉を聞いた皐は胸がえぐられるような思いをした。

茜の話す内容に十分すぎるほど心当たりがあったからである。

「茜さん・・・あなたの・・・苗字は・・・?」

「大越(おおこし)茜・・・殺された大越大助(だいすけ)の娘だ・・・!」

その名は皐にとって聞きなじみのある名前であった。

茜は続ける。

「この街に暗躍する忍者同心・・・あんたの良い噂も知ってる・・・でも・・・もう一つ噂されていることがある・・・父の殺人現場に一人の忍の姿が目撃されたこと。そしてそいつが父の紫の房のついた十手を奪って逃げ去ったこと!」

茜は強い眼差しで皐を睨みつける。皐はそれから目を背けずに受け止めた。

茜は手に持った十手に改めて力を籠める。

「答えろ!皐!!・・・あんたが・・・あんたが父を殺したのか!?」

茜の声が静かな夜の街の中にこだました。

しばらく沈黙が続いた。

皐は柔らかな笑みを携えたまま茜の怒りに満ちた目を見据えた。

「それが・・・それがあなたが同心になった理由ですか、茜さん。」

「そうよ!あたしは父の無念を晴らすため同心になった!答えろ!父を殺したのはお前か!?」

皐は次に出すべき言葉を選んでいるようだった。

「・・・さて・・・どう思いますか?」と皐は訪ね返す。

「ふざけないで!間近で見て確信したわ!あなたの持っているその十手は父の物!その紫の飾りは栄誉を称えられたものに贈られるもの。そして十手についた傷・・・それは間違いなく父が持っていた十手だ!さあ答えて!あなたが父を殺したの!?」

皐は目を瞑り、深く息をついた。

「たしかにあの殺人現場にいたのは僕です。そしてこれはあなたの御父上の十手だ。それは間違いありません。」

「じゃあやっぱりあなたが・・・!」

「待って下さい。茜さん、これだけは信じてください。僕はあなたの御父上を殺してはいない。僕の目を見てください。僕が殺人を犯すような狂人に見えますか?」

問われた茜はしばし皐の澄んだ瞳を見つめた。今までの行動を鑑みるに、確かに自由奔放ではあるが、殺しを楽しむようなサイコパスには見えなかった。

しかし皐の言葉を否定するように茜は頭を左右に振る。

「信じられない!信じられるわけないじゃない!じゃあなんであの現場にいたの!?だれが父さんを殺したの!?あんたもお縄についてもらうわよ!甚兵衛と一緒にしょっ引くわ!」

その言葉を聞いてひとつため息をついた皐は十手を腰帯に差し込んだ。

「そうですか・・・なら仕方がない。」

皐の胸倉を掴む茜の左手首を握り引きはがし、同じく首元に突き付けられた十手を持つ茜の右手首も掴んだ。両手首を掴まれた茜は力で抵抗しようとしたが、やはり女の力ではそれは敵わなかった。

「僕は捕まるわけにはいかない。」

「くそっ!!離せっ!このっ・・・!」

皐は力任せに茜と自分の体をぐるりと入れ替え、今度は皐が茜の体を長屋の壁に押し付けた。

「うぐっ・・・!くそっ・・・あ・・・あたしをどうするんだ?殺すのか?父さんと同じように・・・!」

「ふふふっ!まさか~!そんなわけないでしょ!」

皐の表情は元の飄々としたものに戻っていた。

「残念ですが僕はやらなければいけないことがあるんです。捕まるわけにはいかない。」

「何があったの?正直に話して!」

「ふふふっ。あなたはまだ同心としてはまだまだ未熟なようですねえ。せめて僕を捕まえることができるようになれば話してあげますよ。」

「ふざ・・・けるな・・・!」

茜は尚も抵抗しようとするが、如何ともしがたい力の差がある。

皐は茜の両手首を掴んだまま左右に広げ、さらにぐいっと両手を長屋を壁に押し付けた。それによって二人の顔の距離がぐっと縮まった。

皐は溢れんばかりのニコニコ顔で、しかも至近距離で茜を見つめた。

「ちょ・・・近・・・何するの!?」

茜は少し顔を赤らめながら尚も抵抗する。

「おとなしくしてください。うーんキレイな顔ですねえ。今回僕は下手人確保に協力しました。手柄はすべてあなたの物です。なのにこの仕打ちはヒドイじゃないですかあ~!なのでせめてご褒美をいただかないと!」

「な・・・何が望みなの・・・?」

皐はその言葉を待ってましたと言わんばかりに満面の笑みで、

「ちゅっちゅです!」と答えた。

「えっ・・・?何・・・ちゅっちゅって・・・?」

しかし目の前で皐が口をすぼめて顔を近づけてくることで茜はすべてを理解した。

「いやっ!ちょっ・・・うそでしょ!」

しかし無情にも皐の唇は止まらず襲い掛かってくる。

「やめて!さつ・・・ちょ・・・やめ・・・むぐっ・・・」

皐の唇は嫌がる茜の唇に押し付けられ、皐はしばしの間”ちゅっちゅ”を楽しんだ。

いや、”しばし”は間違った表現だ。結構長い時間、茜はハラスメントに苦しんだ。やられている間、生気を抜き取られるような感覚を茜は味わった。次第に力が抜けていき、皐が唇を離した時にはへなへなと足の力が抜け、ぺたんと地面に座り込んでしまった。

「ふふふっ!ごちそうさまでした。」

皐はぺろりと舌なめずりをし、これ以上ないというほどの満足顔を見せる。

だがやられたほうの茜はたまったもんじゃない。

「こんなこと・・・ひどい・・・あたしの初めての・・・こんな奴に・・・」

茜にとってはこれがファーストキスであった。茜はいつも夢みていた。いつか白馬の王子様のような人が現れて、その人と共に自分は幸せになるんだと。だがそんな綿菓子のようにふんわりとした甘い夢を今日であったばかりの男に、しかも自分の父の仇かもしれないふざけた男にどろどろに溶かされてしまったのである。

「ふふふふっ。とっても柔らかい唇でしたねえ・・・。それでは僕はこの辺で。また機会があればお会いしましょう、茜さん!ではっ!」

そう言い残した皐はさささっと長屋の屋根へよじ登り、屋根伝いにどこかへと去っていく。

茜は飛び去っていく皐に対して、負け犬の遠吠えのように精一杯に叫んだ。

「あたしは必ずあんたを捕まえる!覚えていなさい!必ずよ!」

その声を聞いた皐は振り返り、バイバイというように手をひらひらさせ、満面の笑みと共に闇夜へと消え去っていった。


それから数日後の瀬戸の街。

この街はいつも物騒だ。今日もまた、街の女性から持ち物を奪った窃盗犯を皐は捕まえていた。

皐が奪われた持ち物を女性に返すと女性は晴れやかな笑顔でお礼を言ってくれる。

これが皐にとってもっともうれしい瞬間であり、生きがいを感じる瞬間でもある。

「ありがとうございます!どなたか存じ上げませんが、何かお礼をさせてください!」

「本当ですか!?ふふふっ、それじゃあ・・・ひとつ欲しいものがあります。それをいただけますか?」

皐は女性からこの類のオファーがあった時はいつも決まって要求するものがある。

「な・・・なんですか?」と女性が尋ねると、

「ちゅっちゅです!」と皐は満面の笑みで答え、左頬を差しだした。

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