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挨拶と人望と信頼

つい先日誕生日を迎えたジブです。
最近はいろいろ忙しくて就活に向かって一直線とは言っていない日々を送ってます。

今回はいかに自分が自己承認欲求が自分が思ってる何倍も中に潜んでるのを実感して思ったことをつらつらと書いていきたいとおもいます。

先ほども話した通り誕生日を迎えた僕は多すぎず、少なすぎない人からちょうどいい感じに誕生日を祝われました。
そのほとんどは高校時代に本当に仲の良かった友達、大学での部活仲間などなどです。
少しの人でも祝ってもらえるのは本当にありがたいことですよね。
僕はいろんな人からくるだろうと昨日はいつもの50倍ぐらいLINE開いては一喜一憂してましたね。(嘘です。誇張しすぎました。)

僕が子供のようにはしゃいでるのはどうでもいいのでほっといて、今回大事なのは送ってきてくれた人に何年も会ってない人や今ほとんど喋ってない人からもわずかですがお誕生日を祝われたことです。

言い方は悪いですが本当に仲の良い奴らから祝われるのは想定内だったので嬉しさも想定内ですよね。
でも何年もあってない人やほぼ他人がわざわざ僕のプロフィールを探し、ダイレクトメッセージなりトークなりを開き“お誕生日おめでとう!”と打つという行為を彼らの人生の貴重な時間を言わなくても気付かれないような人に使ってくれたことがすごく嬉しかったです。
そして覚えててもらえたんだと自分が少し肯定された感じに勝手に勘違いして舞い上がってました。

でもよく考えると僕はその人達ってそういえば学校でも1、2番を争うぐらいに人望があり信頼が集まるような人達だった事を鮮明にはっきりくっきり思い出しました。

“あーそういう事だよな” これみんなにも送ってるんだろなーって感心しました。

さっきも言いましたが自分の人生の貴重な時間を意外と面倒なこの作業を、知ってる人ほとんどにしていると考えると本当に感激の雨ですよね。

僕はそんなに仲良くない人たちの誕生日をわざわざインスタやLINEで祝った事はないです。でもこのわずかな意識の差が、自分では測り切れないぐらいの差として人望や信頼に生まれてくるのだと気づいてしまいました。

多分彼らは誕生日のメッセージをめんどくさいなんて思ってないのかもしれません。世のため人のためとか人の幸せが僕の幸せって思える人なんだとおもいます。

僕も少なからず世の為とか言葉では言いますけど突きつけられた現実は厳しいものです。笑

でも人は変われますよねきっと!僕は頑張りますよ。これから人の誕生日をスケジュール帳にでも記していくとします。このnoteに宣言して自分のまだまだ真っ青なお尻を叩かせてもらいます。(叩きすぎてまた青くならないように気を付けます。)

ってことで今回は挨拶(社交辞令でも)がいかに人の感情を動かしてその人へのイメージを爆上げできるかという話でした。
来年には僕も人望爆上げ人間になれてることを願って終わりたいとおもいます。

P.S最近朝井りょうさんのエッセイ集を読んであのなんとも言えない皮肉っぽい大袈裟っぽい比喩の仕方がめちゃくちゃ好きで自分も真似したいなって思いながら書きました。ヘタッピな文章ですがこれからも頑張ろうとおもいます。