自己表現って難しい?

就活のことをし主観的に書く前に、個別の自己紹介でもしていこうかと思います。
3人いるので誰がどんな軸で就活を考えていて、どんな行動をしているかが明確になれば読んでいただける方の読みたいnoteがわかりやすいかな?っていう安直な考えですね笑

皆さんの思考とか経験が似たメンバーがいたら是非コメントして頂ければなと思います!

じゃあ早速自己紹介はじめます。


紹介者:ジブ

幼少期〜小学校

ざっと経歴から話しますと、僕は幼稚園から小学校5年生まで父親の関係でアメリカに住んでいました。今うらやましいな、とか英語喋れるの勝ち組やんって思った方非常に多いんじゃないかと思います。

実際、今となってはメリットは大きいと自分でも思います。でも日本語もままならない子供が異国の地の現地校に放り投げられる気持ちも少しわかって欲しいというのが毎回羨ましがられている時の感情です。

劣等感から始まる人生ってところですかね。毎日何を喋っているのかわからないし、宿題が出ているのかもわからない、遊ぶ人もいないし本当に学校が嫌いでした。

アメリカはみんなバスで通うのでバス停まで毎日泣いてた記憶が懐かしくもあります。

そんな感じの僕でしたが人間って凄くて結局2年もいればほとんど英語にしか触れないと自然と覚えていくもので実際2年後にはアメリカの生活を楽しんでいました。

じゃあいいじゃんって思いますよね。

でも次に日本帰国が自分に重く乗ってきます。

日本に帰り学校が始めると、漢字は出来ない、跳び箱とべない、縄跳び大会は出る種目ない、合奏のリコーダーなんて触ったこともないって感じに何にも出来ないマンなんですよね。

またまた劣等感に幼いながらも感じて生きていました。

でもそんな幼い僕でも自尊心は守りたいと思っていたと思います。アメリカ帰りってことを言い訳にして出来ないことから逃げていました。

そんな時に当時の担任にリコーダーのテストでめちゃくちゃに怒られました笑

”出来ないのはいいけどやろうとしないのはもってのほかだ、次のテストでみんなと同じように吹けなかったらできるまでやらせる”って言われて当時は泣きましたね。

本当うざいな何もわかってないのにって思いながら毎日練習しましたし結果うまく吹けなかったですけどがんばったと褒めてもらったときはほんとに嬉しくてそのとき初めて目を背けずに嫌なことも頑張ろうと思えました。

縄跳びも6年生になる頃には学年で一番になれるぐらいにはがんばってやっていましたね。これは好きになれたからかもしれないですが。

とこんなに偉そうに言っていますがこの後またおんなじような失敗をするので読みながら笑ってやってください。

中学校

中学生の僕を語る前に僕は受験をして私立の中学校に行っていました。

普通に受験したら到底学力が足りないので英語の論文試験があるところです。大学までエスカレーターの一貫校のいわゆるスーパー内部生ってやつですね。あんまりみんなが好きじゃないやつですね。でも僕は今後勉強で高校に入れる気がしていなかったのでこれが最良の選択だったと思います。

前置きが長くなりましたが中学校の僕をどうぞ。

期待を膨らませて中学に入学しましたが小学校と決定的に違うことに僕は気付けずめちゃくちゃ落ちこぼれます。成績は小学校でもありましたが気にしたことなんてなく毎期、字を丁寧に書きましょうって言われてたなーって思うぐらいの記憶しかありません。

でも中学校になるとしっかり成績がつけられ、それでみんなから評価されるようになります。テストも難しくなり、小学校では勉強しなくても解けた問題だったのにしっかりと復習しないと解けない問題になっている。

ほんとに何にも考えずに課題は出さず勉強もしないでご想像の通りめちゃくちゃな成績をとりましたね。

部活はテニス部に入っていていて成績があまりにも悪く勉強が嫌いになりさらに避けるようになった結果テニスに夢中になりました。

でもそうなると悪循環で怒られる、拗ねる、テニスしかしない、怒られるの繰り返しになっていました。

転機になったのは中学2年生の時、全日本中学生テニス大会に団体戦ではありますが出ることが出来ました。でもそれで僕の評価が上がったかと言うとそうではなかったと感じていました。成績をとっていないと先生には白い目で見られ、親にも次はその熱量を勉強に持って行こうねと言われました。

そこで初めて一つのことが出来ないだけで何かうまく行っても評価されないのかとハッとした記憶があります。

そこからはテストの度に学校終わりにマクドで勉強しよって友達を誘ってやっていました。結局良い成績は取れませんでしたが卒業する頃には並の成績ぐらいには自分でもなったと思っています。

高校

例の如く大学まで一貫なので受験もせずのうのうと高校生になり、テニスも続けていました。

勉強も相変わらず並程度、特別なことはありませんでした。

毎日が楽しいといえば楽しく、普通といえば普通でした。

高校二年生では僕の出身校はインターハイに出ましたが、残念ながら僕は試合には出れませんでしたし嬉しくもあり悔しくもありって言う感じですね。


そうこうしている間にいつの間にか先輩が部活からいなくなりキャプテンになりました。初めて自分が組織を動かす事になりました。多くの苦悩や自身の実力と立場の乖離なんかで苦しい日もありましたが、後輩が試合で勝てた時に僕がキャプテンだから成長できましたって言ってくれたときは本当に嬉しかったです。

そこから組織改革や組織について深く考えるようになりました。

でも半年ぐらいが経った時に、授業の一環でいくことのできる2週間の留学プログラムと、試合が被ってしまいました。

それを顧問に言っても試合に出ろと言われ留学に行けなっちゃうと思った僕と数名の部員は相談もせずに申し込み選考に受かってしまいました。

本当に浅い考えしか持てていなく顧問の先生には本当に申し訳ないことをしたと今でも思っています。

もちろんそれが顧問の逆鱗に触れ、退部するか留学をやめるかの選択に迫られました。結果的には部活に残り、留学には行けましたがその代償として、部長と言う地位を失う事になりました。

地位に固執しているわけではなかったしいいと言えばよかったと当時の僕は思っていました。でも時間が経つにつれて自分の作ってきたチームが少しずつ新部長によって変わっていき、自分の描いていた理想とのギャップにしんどくなってしまいました。

そのほかにも、これまで中高5年間で築き上げた顧問からの信頼を一瞬で無くしました。報復かはわかりませんが不当な評価を受け部内での順位も落とされました。


未熟だった僕は2ヶ月ぐらいほんとに部活では厄介者だったかもしれません。でもどうしようもない感情と自分への怒り、情けなさを隠すことはできませんでした。

そこからは信頼と言うのをものすごく大切にするようになり、真摯に向き合い嫌なことから目を背けないことを意識しています。

部長を辞めて悔しさや信頼を失って組織を動かせなくなってもどかしさを友人と話し泣いたことなんかもありました。そんな僕を支えてくれた友人には本当に感謝しています。

でもここまで読んでくると、”じゃあ何で留学行ったんだよ”ってなりますよね。

もちろん留学に行ったおかげでものすごく貴重な経験や成長ができました。そこでの経験を全国のフォーラムで発表もしました。

それだけでなくもっと深く学ぶために個人的に企業に電話しヒアリングにもいきました。そうやって自分の興味にのあることは少々怖くても恥ずかしくても絶対にやるようにしています。断られる怖さや恥ずかしさを劣等感を持って今まで生きてきた僕が初めて積極的に物事に挑戦することの楽しさや経験できる物事の膨大さを知った瞬間でした。

今では部長を辞めさせられたことも留学もいい思い出です。でもこの二つの出来事が今の自分を大きく形成していることは間違い無いです。


大学

心機一転、大学生になってテニスサークルにでも入ろうと思っていた時にたまたま新歓に行ったヨット部に今は入っています。上下関係厳しくて毎週末潰れてみんなになんで入っているのは疑われることが多いですがめちゃくちゃ充実しています。

本当に初めの2年間は部活のことしか考えていない高校の延長戦みたいな感じの生活でした。でもそこで組織構造や部内での立ち位置、より全体のレベルアップのための構造などいろんな観点から競技だけでなく人として成長できました。

そしてに最近はずっとコロナウィルスの影響もあり部活ができないのでゼミ活動に励んでいます。商学部でイノベーションについて研究しているので技術革新はもちろん、組織改革なんかもいろんな視点から考える機会があります。

そして段々と就職活動が始まり始めました。

ずっと対策をせずにみんなが始めている事に焦りを感じ何となくで始めて今に至ります。

長々と書きましたが僕はこんな感じの人間です。

ここまでくると自己紹介なのか自伝なのかわかん無いですね笑

言ってしまえばここからが本題なのかなーと思っています。


価値観

やっと本題です。

これを初めから書けばいいんですが少し背景もあれば面白いかと思い長々書いてしまいました。

価値観や就活の軸や価値観が一番難しいと僕は感じています。

僕は善人である事、方法論や最適な環境を求めるために知識を増やす事何事にも挑戦してみる事そして人生が自分にとって幸福である事を大事にしています。

善人

一つずつ説明するとまずは善人である事。これは優しい人でいることとは違います。その人のためを思って行動できる人のことです。

僕は性格が悪いと思われることが多いです。自分でも性格悪いなと思う瞬間があります。何でもハッキリ言い、人を批判してしまうこともあります。人に叱ることもあります。現実を突きつけてしまうこともあります。言わなくてもよかったような事を口走ってしまう時もあります。でもこれを感情に任せて言っているかと言うと違います。

争い、憎み、口論が起きようと言ってその人のため、自分の為になると思ったら言います。嫌われることも多くあります。お節介でうるさいのは自分でもわかっています。

でも僕はそう言う人たちのおかげで後から切実に言ってくれてよかったと思い、感謝をしています。

そう言うことができる人が本当の善人なのでは無いかと思っています。たまに感謝をされるその時の為に僕は生きているのかもしれません。


知識を得ること

自分で言うのも何ですが僕は何でも面白いと思うタイプの人間です。詐欺に引っかかりそうですよね笑

でもそう思うようになったのも大学に入ってからです。高校の時も全国大会に出るぐらいには部活は強かったものの大学に入って全国で一番を目指して練習する環境になりました。そうした時にみんなの熱量、取組姿勢、規律、何をとっても高校の時の自分が甘かったと言わざるを得ませんでした。

その時に本当に知っていることって一握りだなーと痛感しました。一生懸命やっていたと思っていたのは今では遊びでやっていたと思うようになってしまってしまいました。

なのでもっともっといろいろ知りたいと思いました。一回の人生を最高に豊かなものにしたい、その為にもっといろんな分野のいろんなもの知りたいと思い本を手にしました。自己紹介を読んでいただければわかるようにずっと脳筋で本当は無縁の僕だったのでお母さんが本を読んでる僕を見て目を丸くしていました。

そうやって方法論や知識を増やすと、人に助言できる幅が広がりました。

そしていろんな方向から指摘できるようになり感謝されることも増えました。だから僕は知識が人を作ると思っています。その人がおもろいかは持っている引き出しの多さだと思っています。なので引き出しを一個でも多くしていく事を大事にしています。

人生が自分にとって幸福である事

幸福って何だろうと考えることが高校生の時にありました。美味しいものに囲まれていて、情報に囲まれていて何不自由ない生活を送ってこれを幸福と呼ばずに何と呼ぶのでしょうか。でも事実、先進国でも幸福度は100%に到底及びません。むしろ途上国の方が幸福度が高いことだってあります。結局幸福かどうかは環境云々より自分の気持ちだなって思いました。

いろいろあるから多くを求め、無い物ねだりに走って幸福度が下がる。逆に何にもなければないなりに幸福に暮らせる。

じゃあ自分にとっての幸福を定義づけしちゃえって思ったんです。

それが不自由のない生活を送れると僕は定義付けました。ご飯が食べれたら幸福、服が着れれば幸福、安心して寝れる場所があれば幸福。自分が少しでも成長し続けれたら幸福これでよくね?って

僕らからしたら当たり前でもそれを持っていない人がいる。それを頭に置いていたら少なくとも幸福度は少し上がるんじゃないかと思います。

なので僕のこの定義を大事にして生きたいと思っています。


就活の軸

いよいよこのnoteも大詰めです。

自分が思っていた3倍は長くなっちゃいました。

では今僕は就職活動で大事にしている事をすこし共有できたらと思います。

自己成長

価値観でも書きましたが僕はいろんな事を知り人として成長していきたいと思っています。自分の価値をあげればあげるほどいろんな経験ができると思っています。

また経験に勝る自己成長の要因はないと思っています。なのでいろんな経験っていうのを大事にしていきたいと思います。

誰かにソリューションを導く

僕はずっと人や組織を考えることが好きです。どうしたらもっと良くなるのか、何か解決できることはないのだろうかと考えることがよくあります。

だから組織構造へのソリューションかその人の悩みのソリューションなのかはたまた全然違う分野のものなのかわわかりませんが何かを最適解に導く事をしたいと考えています。


こんな感じのふわっとした軸しかまだ決まっていません。

壮大な自己紹介から結局この程度しかありません。なのでもしこの記事を読んでこんな事向いてるんじゃない?とか潜在的にこう思ってそうとかあれば是非コメントに書いていただければ跳ねながら喜びます笑


この記事のタイトルについて

ここまで読んでもらうと多々の自己紹介やんってなると思います。

なのでタイトルについても少し触れておきます。

自己表現って簡単なようですごく難しい。自分がこういう人だって断定するのは難しい。なぜかできない。曖昧になる。

それって理想の自分と現実の自分が違うからだと思っています。だから自己紹介で長所と短所をいうのが恥ずかしく、面接でも自分を出せない人が多い。ハッキリと言えない人が多い。

理想と現実を認めたくはありませんが認めるしかありません。是非一回認めてください。自分の醜い部分や嫌な部分。そこを認めて治せるようにしていけば自信を持って自己表現できるのではないでしょうか。

そんな思いから僕なりの自己表現をこのタイトルで書かせてもらいました。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
こんな長くまとまりがない文章から何か少しでも心に響く言葉や考え方なんかがもしあれば僕にとっても幸いです。