プーの呵責

「プーと大人になった僕」を見た。
2018年公開のくまのプーさん実写映画で、
大人になったクリストファーロビンを題材とした作品だ。
間違っても最近話題になったスプラッタホラーの方ではない。

クリストファーロビンは、寄宿学校への入学を契機に100エーカーの森とお別れをすることになる。
その後には、第一次世界大戦に参加。戦後は妻子を持ち、鞄会社の旅行鞄部門でコストカットに頭を悩ませるサラリーマンに。
そして仕事に追われる日々の中、すっかり記憶の隅に追いやられていたプーとうんたらかんたら…というのが雑なあらすじだが、私はもう、ここしばらくで見た映画で一番泣いた。
人生規模で言えば、ギリギリ「僕のワンダフルライフ」を越さなかったものの、犬の死を常に匂わせるあっちが違法なので、正攻法の中では人生で一番といっても過言ではないだろう。

この話を親にすると「そんなに良い話だったんだね」と和んでいたが、プーで泣けるのは別に「良い話」だからではない。むしろ、んな訳あるかい。
トイストーリー3のクライマックスを見て、自分の人生に重ねて泣いてしまった人。すでに、大切な何かを手放してしまった経験がある人。あなたたちは、この映画を耐えきれません。私は一度休憩を挟みました。

要するに「忘れられていた100エーカーの森のみんな」と「手放さなかったクリストファーロビン」によって、「手放したことも今日日まで忘れていた私」は呵責を受けます。そういう映画です。
私には確かにハッピー(犬)とラッキー(犬)とpちゃん(犬)と、マリー(猫)とペンギンと亀とジンベイザメと、そのほかたくさんの武蔵野の森の仲間がいたはずなのに、彼らといつお別れをしてしまったのか。
私は彼らと最後、どんなふうに遊んで、そのあとどんなお別れをしたのか、映画を見たって何にも思い出せませんでした。もし私のところに彼らがきたって、その名前を呼んでやれるかもわかりません。
忘れていたって、手放すことはしなかったクリストファーロビンと、
忘れられても、ずっと待っていた森のみんな。
それに比べて私は、みんなに対してなんて不義なんでしょうか。ここまで育ててもらったのに。
クリストファーロビンはみんなの名前を呼んで、娘を紹介して、今のおしごとの話をしてやれるけれど、私はもうどれもできません。
そんなことを翻って考えるとどうしても辛くて、映画の半分くらいはちゃんと見れてなかった気がします。
すごく良い話で、映像も綺麗でかわいいけれど、廃棄への後悔が残る人間は皆、呵責に遭います。
さっきは森のみんなとクリストファーロビンから、と書いたけれど、多分本当は、小さな頃の自分の幻影から。
みんなも絶対に見てください。良い映画でした。

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