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天職と12ハウスと前衛書というジャンル

以前、星読みユリシスさんのzoom勉強会で天職を見たという記事を書きまして、
そこで自分の天職について考えていたのですが、まだ方向性としてはぼんやりしていて、「どーしていこうかなぁ」と思っていました。そうして思考を使っていくとどんどんネガティブな方向へ行ってしまい・・・
なので、思考についてはよくよく観察し、一旦思い浮かんだ事について
「あれ、今のどゆ事?」
と、ふと我に返って自問するようにしました。

そうすると、いかにこの思考が一方向的で狭い視野での考えであるかを、よくよく自覚できるようになった気がします。(進歩)
私は太陽と月が同じ魚座の新月生まれなんですけど、視野が狭くなって独断的になりやすいそうで。まぁ、だからこそ独創的なアイデアも生まれるという側面があるらしいのですが、一旦立ち止まり、「この思考はどこから来たの?」「この思考の根底にある気持ちって本当は何?」など、冷静に自問自答するよう心掛けています。

自分の気持ちを素直にって言っても、自分の脳内ですら嘘をついている可能性ってありますよね。それをもっと突っ込んで聞かない限り、表面的な回答で自分で自分を知らないうちに欺いて、日々が過ぎていってる事って多々あるのではないかと思います。

特に「エゴ(自我)」という概念をようやく掴んでからは、この思考はエゴであり、本当の事ではない!と、かなり自分を言い聞かせてます^^;
一人黙々と作業する事は、ずーっと自分と対面しているので自分と向き合わざるを得ません。独自のものを生み出そうとか、このイメージを形にしたいと踏ん張っていると、だんだんと気持ちが落ち込んでしまうのが実情です。
(良い時はいいんですがね)

この3〜4月あたり、「片想いの夢」を結構見ていました。この夢がまた切ないのなんのって!
結婚して子供もいるので、「学生時代の胸キュンを感じたいのかなー」なんて思っていたんですね。
それが5月初旬に、とうとう「両想いになる夢」を見ました。笑

一体何の事を象徴しているんだろう?と振り返ってみると、5月のGWで帰省した際、親戚との会話で「やっぱり書道の作品って良いよね」的な事を話していたのを思い出しました。
と言うのも、私は子供の頃から書道に親しみ、そしてお仕事にしてきましたが、近年はいかに「書道と離れるか」をずーっと考えていたんです。

どうやったら書道のお仕事をせず収入を得るか、と。笑
ネットの副業関係から始まり、絵を独学で学んでウェブギャラリーに申し込んだり、ハンドメイド販売のページを作ってみたり、主人の仕事を手伝ったりと違う事をやってみたものの、結局書道から離れらない自分がいる・・・

それが4月末に見に行った前衛書や現代アートが入り混じった展覧会で、文字が書いてある書道作品を見た時に、妙な安心感というか、ハッと目に止まって見入ってしまったんです。

そもそもその作品が素晴らしいというのもあるのですが、平面・立体様々な作品の中で、目が釘付けになった書道作品。周りが抽象的な空間だったので、この読める字が書いてあるという具体性が、会場全体から一際目立っていました。

「Ten・ten 2024in横浜赤レンガ倉庫〜書・今・旬〜」より


その事を5月の帰省時に親戚にポロッと話したんですね。
その後に見た「両想いの夢」だったので、これはきっと潜在意識が
「書道と両想いになった」
と解釈して見た夢なのではなかろーかと。

近過ぎて離れたくてどうしようもなかった「書道」ですが、あの出来事でようやく本当の意味で「両想い」になったのかもしれません。
書道を蔑ろにせず、自分の表現の「土台・ベース」として共に生きていく、と更なる覚悟が生まれました。

と言っても、私がやりたいのは(作りたいのは)、誰が見ても「書道作品ですね」というものではないんです。(展覧会で感動したのに!)

紙に墨と筆で言葉を書いていく書道作品ではないんです。
じゃあ水墨画なのか?書道アートと言われるものなのか?
それも全部違うくて、私がイメージしているのはどっちかというと「抽象画」の分野で、それと書道をどうやって両立していくの?と、悩んでいました。

そして辿り着いたのが「前衛書」という書道のジャンルでした。

「Ten・ten2024in横浜赤レンガ倉庫〜書・今・旬」より


「Ten・ten2024in横浜赤レンガ倉庫〜書・今・旬」より


前衛書というジャンルは以前から認知してはいましたが、あまりにも不思議過ぎて、ずーっと伝統書の中にいた当初は「よく分かんない」と思ってほぼ無視でした。それが10年の時を経て、そのよく分かんないジャンルに自分が飛び込む事になるとは、ほんっっっと思ってもいませんでした。

でもその場所こそが「12ハウス」の分野なのではないかと思ったんですよね。

戦後、伝統書道から枝分かれする形で、
・近代詩文書
・少字数書
・前衛書

と誕生した表現で、「現代書道」と呼ばれるかなり高度な表現方法になります。


有名な作品を紹介しますと、まずは「近代詩文書」
・金子鴎亭「交脚弥勒(井上靖詩)」1986年

「墨痕」栗本高行氏著書より


次が「小字数書」
・手島右卿「崩壊」1957年

「墨痕」栗本高行氏著書より引用

最後に「前衛書」
・比田井南石「心線作品第1・電のヴァリエーション」1945年

「墨痕」栗本高行氏著書より引用


そしてこの前衛的な書道精神の基礎を作ったのが、
・上田桑鳩「愛」1951年

「墨痕」栗本高行氏著書より引用


前衛書に至っては、もはや文字でないし、書道用具すら使ってない(^^;;(キャンバスに油彩とかだし)

この自由さがなんとも言えない!!
書道と絵画の境界線を飛び越える感じ!!

側から見たら、「いや、ただの抽象絵画の真似でしょ」と思われるかもしれませんが、この1950年代はアメリカで「抽象表現主義」という新しい芸術運動が起こり、絵画のメインステージがヨーロッパからアメリカに移行した時期だったんです。この時、敗戦した日本の生活文化である書道・華道・茶道なんかが「オリエンタリズム(東洋的)」として、西洋の人達が芸術表現の幅を広めるために取り入れ
たりして、色々な交流があったらしいのです。

この交流の中で、前衛精神を持った書家達はどんどん西洋の抽象表現を自分の中に取り入れ、書道を解体して再構築する作業が行われ、そして生まれた新ジャンルなんです。

前衛書に至っては、もはや筆も墨も言葉(漢字や日本語)からも解き放たれていて、「書家じゃなくて画家になったんですか?」と、職業すら怪しい世界。
ただ、私的にはこの書家でも画家でもない、曖昧な感じが魅力的で、自分の状況や環境を更に超えていこうとする「作家魂」に心打たれるのであります。
(魚座的かな)

それでもってかなり抽象的でニッチな世界なので、「12ハウス的なんじゃないか?」と、ふと思った次第です。

昨年初めて出品した前衛書道展。
ありがたい事に入選させて頂き、会報誌にも載っけてもらいました。

ベテランの作家さんから、
「ファンタジー賞な作品。このホワホワとした無作為感がいい」
と批評して下さいました。

甲骨文字「夢」
第72回奎星展出品作品


この感想を見た時、「え!!ホワホワ!!??」と、とっても微妙な気持ちになったのですが(^^;;

と言うのも、この会報誌が届く前に「世田谷区民展」と言う展示に同じ作品を額装を変えて出品しまして、その時の素人さんからの感想は「かっこい〜〜〜」や「力強い〜〜〜」だったんですね。

自分の作品から受けるイメージはそっちなんだ・・・と思っていたものですから、ベテラン作家さんからの「ホワホワ感」と言うフィードバックは、予想外の感想でした。

それでふと考えまして、素人の方からの感想は、あくまでも表面の線質や色の感想で、ベテラン作家さんからの感想は、私の内面世界の感想なんじゃないか、と。

表面の線の速さからくるカスレやしぶきではなく、空間全体の世界観を見ての感想だったんだなと。ベテランの方は目が肥えてますし、抽象的な空間の処理力がやっぱり違うんだろうなぁ。

そう考えると、「ファンタジー」や「ホワホワで無作為」なんて、まさに「魚座的」じゃないですか!
「あ〜〜〜、こうやって魚座味は伝わるのかな〜〜〜」と、感じた次第です。


さて、こうして前衛書の道を突き進んでいるのですが、もちろんそれだけで終わろうとは思っていません。
抽象的な空間を学んでから書く「具体的な文字の書道作品」は、きっとまた違った味が出てくるんじゃないかなと思ってます。
抽象と具象を行ったり来たりする楽しさが、ここにはあると思っています。

更に今年の夏以降はアートコンペにも出品しようと進めております。
もう自分は書家でも画家でもどっちでも良い。別に誰が気にするんだって話ですよ。だから、好きなように表現して、作品を作っていく。

今までは知らないうちに、伝統書を学んでいた時期の先生達の目が、自分を監視していたのかもしれません(これも自己妄想ですが)

今後は自分の書道教室でも様々な書道表現がある事を、生徒さん方にも知ってほしい、実践していって欲しいと思います。
伝統書もとっても素晴らしい分野です。(私が言うのもおこがましいくらい)
美しい文字は人を惹きつけ魅了し、温かい心にしてくれます。

そして「芸術書道」の学びは、リタイアしたシニア世代の次なる意欲・コミュニティとして、この国に強く根付いています。書道の展覧会はしょっちゅうあるし、制作者も鑑賞者もシニア世代が圧倒的です。この国の書道文化は、シニア世代が担っていると言っても過言ではなく、人生経験を積まないと見えない・書けないものが書道にはあるからではないでしょうか。

なんか最後は偉そーに語ってしまいましたが、私は大学で専門的に学んだわけでもなんでもありませんので、ただの現場感で言ってます。はい。

色々と長くなってしまいましたが、ようやく自分の中で表現(創作)意識の土台が固まり、これを形として具体的に落とし込む作業に取り組めると思うとワクワクしています。
そうそう、天職の勉強会で、私が天職を全うするための肝が「4ハウス」との事で、それも当時は家族のことを言っているのか、場所なのか、信仰心なのか、何だろうなと思っていたのですが、もしかしたら「表現意識の土台」を大切にするというのも、1つ解釈できるかもしれません。または、いつでも帰って来れる場としての「書道」なのかも。

そんなこんなを一応の文章として残しておけて満足です。笑
なんだか嬉しくて、ダラダラと長文になってしまいました。

またnoteでも、作品紹介をしていきたいなと思っています♪
よろしくお願いします^^


「Ten・ten 2024in横浜赤レンガ倉庫〜書・今・旬〜」より


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