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目に見えないことにこそ価値がある

母親アップデートコミュニティ(HUC)1周年記念イベントの翌日。戦友だとわたしが勝手に思っているHUCの大事な仲間、まきこさんに会ってきた。

彼女の言葉は具体性があって、理論的で、明確で、なのにとても温かい。
自分のことや、周りのことを言語化するのがずば抜けてうまくて、思慮深く、偉ぶらないし、話している時の視線がとても強くて優しい。

まきこさんと別れ際に話していたことが特に印象に残っている。

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話はイベント当日に遡る。

イベント後の懇親会に、NewsPicksやVoicyでご活躍中の、産業医大室正志先生が来られていて。とても大ファンだったもんだから、写真を撮ってもらって、その後少しお話する機会に恵まれた。

そのときに、わたし、大室先生に何してるのって聞かれて、咄嗟に「何もしてない」って答えてしまった。
周りにいたメンバーが、子育てしてる!ってフォローしてくれたんだけど、今わたしが一生懸命向き合ってる子育てのそれって、数値化もマネタイズもできないようなことだったから、その場に参加している人たちと比べると、なんだか何もしていないように感じたのだ。

どういうことかというと、
わたしが普段していることといえば、長男の言語化できない心のモヤモヤや感情の爆発と対峙したり、教頭先生の教育観を知るために面談してもらったり、保育園に次男が過ごしやすくなるための対話を試みたり、末っ子姫の探究心を応援(面白がってるだけだけど)したり。

そこに目に見える結果のようなものは正直なかった。

長男が急に自分の気持ちを理路整然と説明できるようになるわけでもなく、保育園の方針が突然変わるわけでもなく、末っ子姫は自分でそりゃ育ってはゆくけれども、私がしたことで何が変わっていったのかは見えづらい。あたりまえなんだけれども、そのあたりまえがなぜだか大きなモヤとなってわたしの心にまとわりつき、結果的に冗談めかして「何もしてません!」という言葉になって出てきたわけだ。

HUCとかそれに関わる人たちって、当然のように育児しながら、何かしら、社会に価値を生み出してる仕事してて、メインじゃなくても複業して社会貢献したり、お金出しててもやりたいことやって新しい自分に出会ったりしてて、なんかすんごい手応え持って生きてるように見えたから、そんな中で、わたしは上記のことを堂々とやってますって言えなかったんだと思う。

わたしの子育てにまつわるあれこれも、ある種の問題意識を持ってやってることだけど、正直社会インパクトを起こすようなことじゃないし、せいぜい半径5m以内のことだから。そしてどうなったかが目に見えない。分かりづらい。
それはもちろん自分にとって大切なことで、やりたくてやってるんだけど、その価値って、社会的みてどーなのよ?って本心では思ってたのだろう。

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そんなことを振り返っていたら、まきこさんは、

「数値化できることや、お金に換算できることにしか手応えを見出せない価値観がまだわたしたち抜けてないのね。
でも、わたしたちがやってる子どもの心と向き合うことって、数値化できなくても間違いなく価値あることだよね。だから自信もっていいんだって自分に言い聞かせてる」

って言ってくれて、なんかそれがお守りみたいに心にポンっと重しを置いてくれた。

いつも言葉のお守りをくれる彼女に、わたしもいつかお守り渡せるようになりたいな。ってそんなことを思った。

こうやってわたしのモヤモヤが言葉にできたことや、自分を否定しないように気をつけてても否定しちゃう理由をすこしハッキリできたのも、彼女との対話あってのことで。

人と対話すること。

議論して一つの結論を出すのとは少し違って、自分の視点で話し、相手の視点に立ってみる、対話とは、その繰り返しの中で自分なりの答えみたいなのがお互いにふんわり浮かび上がる、そういうものかもしれない。

別れ際、ハグして励まし合って、胸いっぱいで泣けてきた。
そんな旅の終わりでした。


後日、まきこさんが「星の王子さま」の一節を紹介してくれた。

「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」

有名だったはずの一節が、今の私にはとても新鮮に実感を伴って響いた。

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