超合理主義者は才能ある人や情熱ある人を殺すことがある

仕事を効率的にやろうとすると、どうしても合理主義になる。

合理主義は、ある程度はとても効果的だと思う。なぜなら、仕事をさぼって給料をもらっているような無駄な人材を切れるから。

ただし、その仕事をサボっている人が職場のムードメーカーで、その人がいることによって物事が円滑に運ぶなら、それは無駄じゃない。ある意味それがその人の仕事だと思う。

だから、見極めはむずかしいんだろう。


では反対に、超がつくほどの合理主義はどうか?


私は、超合理主義はヤル気がある人を殺すことがあると思う。必ず殺すわけではないけど、ある程度スペックが高くて向上心がある人まで殺してしまうのは、正直マイナスだと思う。

仕事は合理的に考えたほうが効率的なのは間違いないが、必ずしもそれが結果に反映するとは限らない。

例えば、何がしかのコラムを書くとして、PVを稼ぐことがゴールならば、SEO対策さえすれば良いことになる。

この場合、ウィキペディアを適当にコピペしてSEO記事を書けば良い。

それでPVが上がったら、合理主義の人は満足なのだろうと思う。なぜなら、無駄を省いてうまく目標を達成しているから。

けど、合理主義ではない無駄な熱量を持っている人は、コラムを書くとしても、情感たっぷりに書く。無駄なことをたっぷり書く。

それは本来要らないこととみなされるから、合理主義の人はうんざりする。

でもそこには、ウィキペディアみたいにただの無機質な情報ではなく、生々しい感情がある。

そういうのを世の中では『オリジナリティ』というわけだけど、超合理主義の人にとってはこういうものは無駄なので、NGになってしまう。

今まで、オリジナリティたっぷりの面白い人々が、こういう合理主義のフレームワークによって殺されていくのを、何度か見てきた。

そういうとき私は、金のために、狡猾に相手のフレームワークに従った。クズ人間だった。

だけど、オリジナリティたっぷりの人が滅多切りにされるのを見るたびに「この人は絶対面白いのに…」と残念に思った。

でも世の中は面白いもので、そういうオリジナリティがある人を切りまくったメディアは、すぐにネットで死んだ。まあ当たり前だろうなと思った。因果応報だ。

なぜか?

だって、どんなにSEO対策して見繕ったコラムでも、オリジナリティもないし、絶対的に『つまらない』からだ。そんなもの、誰の心にも残らない。

しかし超合理主義者は、Googleの検索順位さえ上がればいい。だってそれがゴールだから。誰かを感動させるなんて、どうでもいい。目標を達成して、自分が稼げれば、他人の心象などどうでもいいのだ。

いかにつまらないメディアでも、大手がやってるとある程度は注目されるのは、嘆かわしいことだと思う。気持ちも、命も、魂もない、表面上うまく見繕ったというものが、多くの人に読まれる。

こういう無意味なメディアがGoogle検索上位にくることが多いが、2ページ、3ページ目と下っていくと、有名ではないけど心がわくわくするようなサイトに出会うことがある。そこには、地味ながら情熱があると思う。

AIの技術がもっと進化したら、その記事の内容に関して、本気で愛情を持っているかどうかでソートされるようになってほしい。


さいごに、、


超合理主義者の人は、ヤル気がある人や、情熱がある人を殺すことがあると思う。

なぜかといえば、お互い気持ちがわからないから。

超合理主義者は、最低コストで目標達成できればいい。そこで、ヤル気ある人や情熱的な人が「こうしたほうがいいです!」と言っても、無駄であれば排除される。

それが続くと、ヤル気ある人たちはヤル気がなくなる。こうしたらもっとエンドユーザーが喜んでくれるんじゃないかな?とか、そう思っても無駄になってしまう。

だって、超合理主義者はエンドユーザーのことなど考えていない。自分に直接関係あるクライアントや上司にさえ気に入られていればいいのだから。


上司が超合理主義者だったら、本当に注意したほうがいいと思う。

上司のいうことを遂行したすえに幸せになるのは誰なのか…それを考えたら、自ずと答えはわかると思う。

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