車いす
私の亡き父は車いすに乗るのを嫌いまいした。歩行困難者で、ゆっくりとしか歩けないのですが、車いすに乗ることを生涯拒否したのです。
正直な話をさせてもらえば、ヨロヨロゆっくり歩かれるよりも、車いすに乗ってもらった方が、介護する側は楽なのです。車いすに乗ってもらうと、介護者のペースで進むことができます。そして、何よりも「介護している感」があるのです。事情を知らない第三者から見て、「ああ、この人は今、介護しているんだな」という事がわかりやすいのです。
ヨロヨロ歩いている老人の後ろを、ただついて行っているだけの中年男性を想像してみてください。その人が何をしているのかわかりませんね。見ようによっては不審者です。高齢者を狙った強盗かもしれません。
しかし、私の結論を言うと、父は正しいのです。
問題がないのなら、高齢者が歩くといいうのは大変貴重な運動の機会なのです。歩くことで健康が増進され、寿命が延びるのです。介護者が安易に車いすに乗せることは、その貴重な運動の機会を奪うことになるのです。歩く意思と能力のある人を無理やり車いすに乗せるのは、介護者のわがままです。
父を介護する中で、私は何度も他の人からジロジロ見られる経験をしています。私は父の歩行を忍耐強く見守っていたのですが、通りすがりの人にそれは伝わりませんでした。映画やドラマでは、車いすを押したり、食事の介助をしたり、わかりやすい介護が描かれます。しかし私の経験から言うと、介護のほとんどは、第三者の目から見ると何をしているのかわからないことばかりなのです。
おかげで父は、生涯、車いすに乗らずに、人生を終えました。
私も、歩けるうちは自分の足で歩こうと思います。しかしそれは介護者の時間を奪うことになるのです。私がそうだったように介護者はだいたい忙しいのです。私はヒマな人にゆっくり介護してもらいたいなぁ。
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イラスト by freehand
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