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言ってくれるということは、期待してくれているということ~一人じゃ気づけなかったこと~

おはようございます。
人という漢字は、2画でありどちらか一方がどちらか一方を支えているような字体として見えます。よくこの例えはいろんな場面で用いられますね。しかし、現実として二人以上いるときにそれ(支えられている)を当事者が感じられる状況下であるかどうかという事がポイントになってくるのではないでしょうか?そして、支えている側は、相手に対しての優しさが無いと当事者は気づくことは容易ではありません。この時の「優しさ」というのは、「相手に気づいてほしい」「相手に成長してほしい」「もっと理解してほしい」時などです。また、表現の仕方としても色々あります。「口頭・文字・絵・アート・体・歌etc」。上記私なりに思う気づきのメカニズムでしたが、いざ私の場合どんな場面・どんな人から気づきをもらっていたのだろうか?という事をまずは振り返ってみたいと思います。
場面で思い起こすと、自分自身がまず余裕があるときに気づきが多いと思います。気持ちに余裕がある時に何かを言ってもらった、一人部屋で素敵な詩を読んだ、頭を空っぽにしてランニングをしている時etc客観的な状態で身を置くことが出来ていると私は気づきが多いです。
人で思い起こすと、やっぱり家族や本音で話してくれる友人・仕事上で関りを持たせてもらっている人たちでしょうか。私も本気だし、相手も本音でぶつかってくるから、そこで色んな気づきがあるわけです。本音で話せる相手は、本当に貴重です。今は、お酒を借りて本音で語り合うというのは難しい状況になっていたりしますが、こういう時こそ本音で話せる身内や友人・仕事上の仲間は大切だぁと感じます。
だいぶ前置きが長くなりましたが、「一人じゃ気づけなかったこと」ってなんだろうか?と私自身振り返ると、私にとっては「人としての優しさ」だと思ってます。自分も相手も人間なので、「相手を思い、気遣い、察する」事って敏感に察知できる生き物なのではないでしょうか?小手先のビジネススキルや知識は、会得したらそれで満足するだけ。でも、人間の成長・気づきにおいては一生変わるし変化し続ける。人それぞれ気づきのベクトルは違うと思いますが、人が人であり続けるためには人としてどのような理想の人間として過ごしたいのかというイメージがあれば、どんな小さなことでも気づけるのではないでしょうか?これからも、色んな気づきを色んな人・物・事柄から感じ、それを取捨選択しながら自分自身がさらにupdateされていくと思います。これは終わりなき事だと思います。気づきを得て、他社に気づきを少しでも与えられる人間となることが、この世に身を置いている意味・意義に繋がってくるのではないでしょうか?

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