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止まった時計が動き出す

「幸せに生きる方法」を考えるのに、きっかけとなったできごとを以下のとおり紹介します。
 息子が教育先進県の国立大医学部から合格をいただきました。息子の国立大医学部受験は、自分の人生の中で立ちふさがった最も大きな壁でした。そもそも現役の時は、センターの得点から医学部を受けることができず北陸の国立大創薬を受験し合格をもらっていました。そのまま入学するのかと思いきや、行かないと言い出し、広島の医学部専門の予備校にやることに。かつて自分も広島大学入学のため、父親と中国山地を越えましたが、同じシチュエーションでも息子にとっては先行き不透明な道のり。息子が去ってから仲佐家の時計の針は止まりました。見知らぬ土地で努力を重ねた息子は、2度目のセンター試験で、地方国立大医学部のボーダーに達しました。二次は近くの国立大医学部に出願。合格するだろうと思ったら、発表の日に番号はありませんでした。発表日の翌日、受ける予定ではなかった私立大学医学部受験のため、広島へ向かい、広島駅で死ぬほど努力しただろうに報われなかった痩せ細った息子の姿を認め、自然に涙が出て止められませんでした。おそらく一生忘れることはない場面になると思います。この状況の中、私立大学医学部の一次を合格し、二次試験に向かいましたが、そこで力つきました。引き続き、広島でと思ったのですが、息子が予備校を変えたいというので、急遽、岡山に引っ越し。体力、気力は大丈夫なのかと思いました。そんな中、岡山の予備校は、かなり目をかけてくれて、息子はさらに実力を伸ばしてきました。周囲からは、医学部は辞めて薬学部にすれば一流大学に入れる、もう浪人はだめだぞと不協和音も生じ、父としての自分も耐え忍ぶ日々が続きました。息子は、私立、国立、すべて自分で受験校を決めました。どこまでもまっすぐです。初めてもらった私立大学医学部の合格通知は努力の結晶がにじみ出ているように見えました。そして、念願だった国立大医学部の合格。センターの得点からは、岡山か広島で出願して欲しいと思ったのですが、息子が選んだのは、またも北陸の地。配点、受験科目から一番パフォーマンスが発揮できると思ったのかもしれませんが、島根県に類似した風土で外からの視点も養えることからよい選択だったとも思います。この子には、三國志の英雄から一字をいただきました。背水の陣をしいて、巨大な壁と対峙する。ゆくゆくは、東南の風を呼ぶ術も身につけるかもしれません。能力は、自分をはるかに凌駕していましたが、芯の強さも父親を超えたと思います。目指すは、中村哲かな。
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