僕の好きな漫画15「鈴木先生」

佐藤秀峰が影響を受けた漫画、好きな漫画をご紹介する「僕の好きな漫画」第15回目です。今回ご紹介するのは武富健治著「鈴木先生」です。

「鈴木先生」(すずきせんせい)は、武富健治による漫画作品。武富さんの出世作ですね。「漫画アクション」2005年6月7日号より2011年1月18日号まで連載され、単行本は全11巻が刊行されています。2007年、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。その後2011年5月8日号より2012年11月6日号まで、過去を舞台とした『鈴木先生外典』が連載されています。2011年にはテレビドラマ化、2013年には映画化されていますね。眼鏡とループタイがトレードマークの中学校教師 鈴木先生が、生徒たちに起こる些細な事件や重大な事件の数々に立ち向かいます。メジャータイトルであるにも関わらず、コアなファンが多い作品なのではないでしょうか。

実は武富さんとは個人的にお知り合いです。初めてお会いしたのは数年前、文化庁メディア芸術祭の会議後の打ち上げの席でした。僕も武富さんも、過去に文化庁メディア芸術祭マンガ部門を受賞したことがあり、その関係で賞のあり方ついて議論する会議に呼ばれたことがありました。打ち上げの席には同じく受賞経験者の郷田マモラさんもいらっしゃり、武富さんと郷田さんは漫画アクションの編集者数名を引き連れ、一方、僕は掲載誌のモーニングの編集者が来るワケもなく、知らない人ばかりの打ち上げ会場で戸惑っている所、お二人のご厚意で同じテーブルに混ぜてもらったのでした。以来、武富さんと郷田さんと3人で時々お会いしてお酒を飲んだり、仲良くさせていただいております。

実は武富さんと知り合うまで、僕は「鈴木先生」を読んだことがありませんでした。いえ、白状しますと、知り合ってからもしばらくは読んでいませんでした。漫画業界で仕事をしていれば、漫画家の知り合いも増えますし、そのすべて人たちの作品を読むことは物理的に難しくなります。また、漫画家同士がお互いの作品について語り合うことは楽しい反面、作品への心の底からのリスペクトがない限り、どこかでケンカになってしまう可能性もあります。ですので、知り合いになっても漫画家という職業についての苦労や楽しさを共有する以上に、作品論には気軽に踏み込まないのがエチケットだったりします。作品について、自分の感じたことに嘘はつきたくありませんし、「それが武富さんの歓迎しない感想だった場合、どうしよう?」みたいな…。しかし、そこを乗り越えて「鈴木先生」を読破いたしました。

…いや、マジでおもしろいですね…。読み出すと止まらなくて、全巻読み終わるまでの1週間はずっと寝不足でした。武富さんは何度もお会いしていて、非常に紳士な方だと思っていましたが、まさかあんなに変態だったとは…。

ここで、武富さんのプロフィールをご紹介。

幼少時から売れっ子漫画家を目指し、オリジナル漫画を描き続けるが、少年期に白土三平、永島慎二などの作品を知り、次第に文芸路線に作風が変化。
しばらくはメジャー少年漫画も並行して描くが、大学入学後初めて持ち込んだ少年漫画作品がたたかれ自信を喪失。当時、ドストエフスキーや志賀直哉など、純文学に傾倒した影響もあり、文芸漫画への熱意が高まる。 19歳で描いた「面食いショウの孤独」が講談社アフタヌーン誌の四季賞で準入選(掲載はなし)となるが、その後新作コンテが通らず業を煮やして完成させるがやはり掲載とならず小学館に投稿。 

「康子」がビッグコミック賞の佳作に入賞(これも掲載はなし)。以後大島氏の担当で修行。しかしやはりコンテが通らず何作品化を無断で完成させ賞に応募するが、「カフェで」が二次審査落ち、そして今でも自作の最高傑作と自認する「掃除当番」は一次審査落ちし、気力を失う。しばらく教育実習や卒業論文など学業に専念。

この頃から同人活動を本格的に開始。個人サークル胡蝶社を旗揚げしコミケット、コミティアなどに参加。文芸同人誌ぴろうに参加、「M」「J」などの異色作を描く。「蟲愛づる姫君」を自費出版。しかし同人誌の世界でも成功が見えず倦み疲れる。

再び小学館に戻るが、大島氏がちゃお誌に移っており、氏の選択でスペリオール誌の薗田氏が担当に。1年かけて修正を重ね、「屋根の上の魔女」で念願のデビュー(小学館漫画大賞青年漫画佳作入賞)。

その後高田靖彦氏のアシスタントを務めながら1年に1度のペースでビッグコミック新人増刊号に「ポケットにナイフ」「シャイ子と本の虫」を発表。平行して江露巣主人名義で成年作品を発表、ワニマガジン社のホラー漫画誌に数編を発表。福音館おおきなポケット誌で絵本作家による付録漫画「キチキチ町の雪だるま」の製作に絵コンテ名義で参加。

2002年5月、「まんぼう」で2年ぶりに商業誌復活を果たすが、再び沈黙、8月より充電期間に突入。03年2月に、後輩の同人誌に掌編「右馬之佐東行日記」を寄稿。

2003年5月より木戸佑兒氏主宰の劇団東京(n-1)に美術担当で参加。8月より出演も決定。9月に仮公演、12月にハイナーミュラーザワールドの一環として『画の描写』本公演に出演。 演劇活動を継続しつつ、久しぶりの長編漫画『贖罪』の企画を始める。

2004年夏より、漫画活動の本格的復帰を目指し活動開始 2005年春、漫画活動本格復帰。 原作付の単発の仕事を精力的に始める 竹書房のコンビニ用オムニバスホラー漫画(『現役医師の語る病院の怪談』 他)や漫画実話ナックルズに多く参加。 2005年5~6月『鈴木先生』前後篇が漫画アクションに掲載。


昭和45年8月21日生まれ(しし座)

趣味 国内旅行、写真撮影(最近はデジカム)、プラモデル作り、映画(ビデオ・DVD他含む)鑑賞 小説書き 他
影響を受けた漫画家 手塚、白土、萩尾、永島、守美、零士、楳図 他多数
好きな映画作家 熊井啓、ダリオ・アルジェント
好きなアニメ作家 駿、富野、出崎、高畑 他
好きな小説家 トーマス・マン、チェーホフ、森鴎外、志賀直哉、川端康成、横光利一、岸田国士、ドストエーフスキイ モーリアック他

(武富健治公式HPより引用)http://www.oxna.net/sakka.html


武富さんは漫画家としては遅咲き(失礼…)のほうなのかな?と思いますが、地ベタにしゃがみ込む期間が長かっただけに、その後のジャンプ力が凄まじいと言うか、恐らく、読者に訴えたいことが高濃度に膨れ上がっていて、解き放たれた時の表現の純度がすごいことになっている気がします。僕の漫画がアルコール度数30度だとしたら、武富さんは90度くらい。ちょっと口をつけただけで読者を酔っぱらわせてしまう破壊力があります。同業者としては「そんなに一気に排出して枯れ果ててしまいませんか?」と心配になるくらいですが、「鈴木先生」に関して言えば、作品を通じてテンションが緩むことは最後までありません。


「鈴木先生」のあらすじを強引にまとめてしまうと……、まとまらないなぁ…。ジャンルとしては学校モノ、中学教師の鈴木先生とその生徒達の物語です。生徒達が起こすトラブルや学校、教育が抱える問題に、鈴木先生が独特の切り口で迫ります。

「生徒が問題を起こして、先生が解決に導く」というよくある学校モノ(金八先生のような)とも言えるのですが、解決への導き方が非常に個性的で、浅い意味で道徳的でも教育的でもなく、熱血で押し切るワケでもない所がグッと来ました。トラブルを観察し、議論し合いながら結論にたどり着こうとする過程がすごくスリリングで、まるでミステリー作品を読んでいるかのようなドキドキ感があるのです。

例えば「給食のマナーの悪い生徒の問題を解決する」回では、凡庸な作家であればマナーの悪さを注意して終わりにするか、あるいは些細な問題として物語に取り上げすらしないような部分を、「なぜそのような振る舞いをするのか?」とひたすら観察し、その生徒の人格や他の生徒の人間関係、家庭の問題をも巻き込み展開します。

読者はふと我に返ると、自分が謎に満ちた壮大な物語の中にいることに気づくのです。派手なアクションはありません。観察と推理、経験や対話の積み重ねで最終的な結論に至るのです。目の付け所もスゴイですが、「なぜこんな小さなことが、これほど壮大な物語になるのか?」と、その腕前にビックリしました。同じテーマでこれだけ読ませられる作品を作ることが出来る人は、他にまずいないでしょう。こんな観察眼を持った作家さんを僕は今まで知りませんでした。議論好き、討論好きな男性にはドストライクではないでしょうか。

僕は第1話目を読んですぐに物語に惹き込まれてしまいました。絵柄は地味と言えば地味で、垢抜けないというか、正直、ホラーっぽく感じる時さえあります。(すいません…)セリフの量が尋常じゃなく、漫画の常識ではあり得ない膨大さで、読みやすいかと言えば、読者に取って壁となる場合もあるでしょう。(すいません…!)事実、Amazonのレビューを見る限り、好き嫌いが激しく別れる作品のようです。「生理的に受け付けない」「読みにくい」とネガティブな言葉も並んでいました。

それを凌駕する作家のパワーというか、「これは只者ではない」感、異形のモノ感が画面から溢れており、僕はその「個性としか呼びようのないもの」に強く惹き付けられました。だって、見たことがないモノだったのですもの。

物語は個々の生徒の問題に触れながら、それ徐々にクラスの問題へと発展していき、やがて学校の問題へと突き進んでいきます。中学生の性の問題や、教師が持つ生徒への恋愛感情など、デリケートな部分にも躊躇なく正面から取り組む姿は読んでいて清々しいばかり。性教育や避妊に対する主人公の考え方は一般論からすればかなり独特ですし、登場人物の多くが女性の処女性にこだわる点や、教え子への恋愛感情に悶々をする姿などははっきり言って変態的(すいません!)ですが、でも正論ばかりを振りかざすのではなく、その正直な魂の告白には心を揺さぶられました。ドストエフスキーが好きというのも何となく納得です。人間の業やどうしようもなさを直視する姿勢は「生理的に受け付けない」と片付けてはいけない気がするのです。そして、それらを動的な展開で見せるのではなく、静かに、だけど激しく、知恵と論理で解決していくところがたまらなくクールでした。ギャグもしっかり入っていて、堅いばかりでもありません。エピソードごとにクラス内の生徒達一人一人に丁寧にスポットライトを当てていった結果、物語の中盤辺りでは登場人物全員が奇跡的にキャラ立ちしており、その人間関係が複雑に絡み合い、一言では説明できない物語が成立しているのです。

そうだよ、言葉で説明できないから漫画があるんだよ。「ああ!これが漫画だ!これが作家だ!」と僕は感動してしまいましたよ。同時代の作家にこれ程ストレートに嫉妬を感じたことは久しぶりでした。また、読者としては「すでに10巻程度で完結していることが分かっている名作が目の前にあり、それを一気読みする快感」を存分に味わいました。通勤の電車の中で、仕事の休憩時間に、深夜に睡眠時間を削って、鈴木先生と一緒に過ごした一週間はとても幸せでした。

誰かとか会話していても端々に鈴木先生の話題が登場してしまうし、夢にも出てくるし、何か仕事で悩んだ時には、「こんな時、鈴木先生ならどのように解決させるのだろうか?」と日常に浸食して僕の思考に影響を与えました。個人的な体験と重なる部分もあり、鈴木先生の彼女が妊娠し、学級会議でそのことを生徒達に追求される「鈴木裁判」編では、僕は泣いてしまいましたよ。喜びでも悲しみの涙でもなく、溢れ出した感情を消化するためにただただ涙が出てしまったというか、僕が個人的な体験で感じていたことの一部はこの中に書いてあり、これは自分のために書かれた本だとさえ感じたのです。ああ、この作家さんは何でこんな気持ちを知っているのだろう?この人と会って話し合ってみたい!…と、武富さんと知り合いであることを思い出しました。

あえて弱点を考えると、恋人の麻美さんの描写が極端に少なく、あれだけ生徒と熱心に向き合う鈴木先生の対応としては、そちらには関心がないように見えてしまい、彼女がかわいそうでした。
仕事に夢中で恋人を放ったらかしな男を作者まで無意識に肯定してしまっているかのようで。

いえ、本当にすばらしい作品ですので、ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。 

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