僕の好きな漫画10「地雷震」

今回は僕が絵を描く上で最も影響を受けた高橋ツトムさんの「地雷震」をご紹介します。

まずはWikiより


「『地雷震』(じらいしん)は、高橋ツトムによる漫画作品。『モーニング』(講談社)1989年20号に読み切り版が掲載された後、『月刊アフタヌーン』(講談社)1992年11月号から2000年1月号にわたり連載された。コミックス全19巻。2003年に文庫版全10巻、2009年に新装版全10巻も発行された。作者のデビュー作であり出世作。2008年11月より、『月刊アフタヌーン』の増刊にあたる『good!アフタヌーン』において続編となる『地雷震 -Diablo-』の連載が開始された。

刑事・飯田響也を主人公にしたハードボイルド作品。全28話で、コミックスでは連続する最終2巻以外はすべて1巻内でストーリーが完結する構成がとられていた。登場する犯罪者はカリスマ性を持った確信犯的な人物が多く、犯罪者の心理を描くことを重視している点に特色がある。

作者のデビュー作であるため、巻を追うごとに絵が上達していくさまが見受けられる。後期には少年事件やカルト教団、臓器移植など、当時社会的に話題となっていたトピックも扱われた。 」

高橋ツトムさんは、僕の漫画家としての直接の師匠です。20歳から福本伸行さんの職場で2年3ヶ月間お世話になった後、徹夜が辛くて福本プロを脱走し、半年間、貯金を切り崩す極貧無職期間を過ごした後、23歳から1年ちょっと高橋さんのお世話になりました。親分肌ですごくいい人。漫画家としてだけではなく、人間としてとっても尊敬しています。

福本さんがロジックで物語を構成する人だとするならば、高橋さんは感情で物語を紡ぐ人。特に物語を一体となった絵がすばらしく、漫画における絵の重要性を改めて認識させてくれます。言葉やセリフによる説明を極力省き、絵によって伝えようとする姿勢は、ネームを描く上で大きな影響を受けました。作風的には非常でハードでぱっと見は男性的な印象がありますが、登場人物の行動原理は論理では割り切れない場合が多く、実は理論武装しただけの感情に基づいています。内面的にはとても女性的な作家さんなのではないかと思っています。

僕が作画を手伝っていたのは11巻から14巻までの4冊のようです。大分、昔のことなので記憶が薄くなってきていますが…、懐かしいな…。
ちょっと振り返ってみます。


第11巻

File20「Mother of Crime」

ニューヨークを舞台にした連続幼児誘拐事件を扱った物語。
高橋さんは実際にNYに取材に出向き、仕事場には膨大な数の資料写真がありました。
それまでは福本さんの仕事場では資料写真はほとんどなく、雑誌の小さな写真から想像を膨らませて描くか、まったくの脳内イメージで作画することが多かったので、まずは資料の多さに驚きました。
この仕事場で「写真をじっくり見て絵を描く」という当たり前の経験をした初めてしました。
で、写真の多さもさることながら、高橋さんの絵に対するこだわりがスゴく細かいのです。
「ここにベタを入れろ」とか「ここはトーンを何番を貼れ」とか、そういった具体的な指定が細かいということではありません。
描こうとしている場所の温度や湿度、時間帯による日光の角度、質感をどのように表現するかなど、気にすべきポイントをいくつか挙げた上で、さらには「どういうシーンなのか?」「緊迫感のあるシーンなのか?」「読者が一息つくための捨てゴマなのか?」など、「どういう絵を描こうとしているのか?」ということをスタッフに考えさせます。
自分の手足のようにスタッフを使うのではなく、背景作家として「絵」を求めてくるのです。

それまで「漫画の絵は漫画」というか、どこか「漫画の絵なんだからこのくらいでいいよね」と思っていた僕の概念が、根本から引っ繰り返るような衝撃的な価値観でした。
例えば、床を1つ描くにも、床について深く考えなくてはいけません。
資料写真には、NYのマンションのロビーが写っています。
床面は白と黒の大理石のタイルがチェック柄に並べてあり、磨き上げられピカピカ光っています。
その上に観葉植物なんかも置いてあります。
これをどのように印刷に耐えうる「漫画の絵」として成立させるか?
白と黒のパターンの鏡面上の平面に物体を置き、映り込みまでを再現しろということですから、そんなことがどうやったら漫画の絵でできるのか見当もつきません。
鉛筆デッサンや水彩画ならリアルに描くこともできるかもしれませんが、印刷は黒インク1色しか使えません。
いろいろなアイデアを駆使して何とか描くのですが、表現ということにじっくりと向き合わせてもらえた幸せな経験でした。
ここで絵を描く楽しさを教えてもらったような気がします。


第12巻

File21「Don't Cry」

File22「KIDS」

NYに続いて、今度は古い日本家屋が舞台となります。
急に舞台が変わったので「自分にNY以外の景色が描けるのだろうか?」と変なところで悩みました。
「印刷で再現できれば画材は何でもいい」という高橋さんの考えに共感し、鉛筆やマーカーで原稿を描いたり、様々なチャレンジをさせてもらいました。
背景を単に背景として描くのではなく、背景に語らせる場面も多く、つまり、スタッフである僕が物語の語り手とならなければならないという自覚を持たされました。
人物のバックを埋めるための背景ではなく、生きた背景を描くということを学びました。

この巻では鉄格子に閉じ込められている人物が出てくるため、鉄格子が人物の絵を殺さないように描くことに苦労しました。
それまで漫画では鉄格子など障害物越しの人物を描く場合、人物の周りの障害物をぼかして、人物優先で絵を描くという技法がよく見られましたが、それが漫画の常識であるという思い込みの中にいた僕には新鮮な体験でした。
よく考えれば、障害物をぼかして描くという表現はおかしいですし、さすがに今はあまり見られなくなりました。
これは漫画の作画行程の事情によるもので、それまで漫画はまずは漫画家が人物を描きたい位置に描き、その後、スタッフに「これに背景描いといて」と原稿を渡すことが一般的だったためです。
スタッフからすれば、「その位置に人物をその角度で描くと障害物がもろ人物に被ってしまうのだけどなぁ」ということがよくあり、その場合、漫画家に「この位置に人物を描くと手前の障害物で人物が隠れてしまうので、描き直してもらえますか?」とは言えないため、自然と障害物をぼかして描くという技法が出来たのではないかと思っています。
先生は自由に(ワガママに)描いて、スタッフがなんとかするということが多かったのです。

高橋さんは常に人物が絵の主役だとは考えておらず、当然、障害物も含めて画面作りをするので、「背景も含めて絵である」という当たり前のことを、当たり前と考えていいんだよと言ってくれた感じ。
それまでの漫画の絵の変な慣習、常識を「それって変だよね、こうしようぜ」と再認識させるのが上手な方でした。


第13巻

File23「Focus」

この頃、先輩スタッフが退職し、この巻ではほとんどの背景を僕が描いています。
責任重大!
…と思いきや、絵を描くことが楽しくて楽しくて仕方がなかったです。
作品世界に自分か関われて、その責任の一旦を自分が担っていることにやりがいを感じいました。
そのように思っていたのは、実は高橋さんがスタッフである僕の気持ちを上手にコントロールしていたからですが、そのコントロール方法も勉強になりましたし、漫画は作家とスタッフのセッションなんだということにも気づかせてもらえました。
絵的にはグラデーションのトーンを多用せず、極力基本トーンだけで仕上げようとした時期で、どんどんアップしていく高橋さんの画力についていくのが必死でした。


第14巻

File24「パートナー」

今度は台湾を舞台にした物語です。
台湾のお面の写真を渡されて、「これをピカソみたいに描いてくれ」と言われた時には、「よーし!やったるで〜〜!!」と思いました。
作画スタッフを1人の美術家、職人として扱ってくれたのは本当に嬉しい出来事で、今の僕の作画スタイルやスタッフと一緒に描く時の思想にも大きな影響を受けています。


以上、あまり作品の話になっていませんね…。
作品がすばらしいのはもちろんですが、高橋さん自身の作画思想に大きな影響を受けた部分が大きいです。
振り返るとわずか4冊しか作画に参加していないのですが、僕の漫画の画面作りに決定的な影響を与えた作品となっています。
繰り返しになってしまいますが、「漫画の絵はこう描くものだ」という教科書的な固定概念に縛られていた僕にとって、この作品は「漫画は自由だ」「絵が自由だ」という大事なことを教えてくれました。

また、ネームが女性的ということを書きましたが、理詰めではなく感情やネームから漂う空気、色気で読者を説得してしまうやり方にも影響を受けたと思います。
理詰めじゃない=理屈がない訳ではありません。
理屈を積み上げた先に残る言葉にならない感情とでも言うのでしょうか。
すべてを言葉で説明できるなら、それは小説なり論文なり言葉で書けばいいことです。
その言葉にならない部分を、漫画という表現の特性を活かして説得力を持って描けるのが、高橋さんのすごいところです。
「漫画が漫画である理由をこの人は知っている」と思いました。
漫画でしかできないことを描いています。
そういう風に積み上げていくネームのセンスが大好きでした。
言葉の力を過信しない描き方も、別の角度から言えば、漫画の力を信じた描き方なのかもしれません。


僕がデビューしたばかりの頃は、「地雷震に絵が似ている」「高橋ツトムの絵が下手なバージョン」「しかも、ネームの切り方まで似てるし」などとよく言われました。
間違ってはいないのですが、僕はもうちょっとズルイのです。
福本さんの論理的で男性的なネームの作りを部分部分で取り入れつつ、論理が積上ったところで高橋さんの女性的でエモーショナルなネームに切り替えていってるのです。
福本伸行さんと高橋ツトムさんというスゴイ2人に師事できたことは、僕にとって漫画家としての方向性を決定づけたとても大きな財産です。
超えたくても越えられない壁がいつも前にある訳ですから、僕もまだ頑張れるはずだと思うのです。

大好きな作品です。

ということで、次回はもう一人の師匠、福本伸行さんの作品について語ろうかなぁ…。

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