僕の好きな漫画13「漂流教室」

僕が好きな漫画、影響を受けた漫画を紹介するコーナー「僕の好きな漫画」第13回目となりました。今回ご紹介したいのは楳図かずお著「漂流教室」です。

前回、さいとうたかをさんの「サバイバル」をご紹介した際、文中で「時折、漫画界に現れる終末サバイバル作品は、大体、この『サバイバル』と楳図かずおさんの『漂流教室』が原点なのではないでしょうか」と書いたので、今回はこの作品について触れてみようと思った次第です。

「漂流教室」は荒廃した未来世界に校舎ごと送られてしまった少年達の生存競争を描いた作品。週刊少年サンデー1972年23号 -から1974年27号まで連載していたそうで、ちょうど僕が産まれた頃に連載していた作品になるのですね。40年前の作品と言うと、普通は絵柄や技法が古過ぎて現代の感覚で読めない場合が多いですが、楳図さんの絵は現在も新鮮なインパクトがあります。

物語も時代を超越した普遍性を持っており、今尚若い読者を開拓しながら読み継がれる作品になっています。子供達が力を合わせて生き抜く姿や、時空を超えても繋がり合う親子の愛などは、誰もがグッと来ることでしょう。いわゆる名作ってヤツですね。

ちょっと長いですが、あらすじをWikiより。
これから読もうと思っている方にはネタバレ注意


高松翔は、大和小学校の6年生。ある日、翔は母親とケンカをしたまま学校に行き、授業中に激しい地震に襲われる。揺れはすぐに収まったが、学校の外は岩と砂漠だけの荒れ果てた大地になってしまっている。突然の出来事に皆パニックに陥り、発狂した教師は全員亡くなってしまう。

やがて荒廃した世界の正体が、文明の崩壊によって滅んだ未来の世界だと知った子供達は互いに協力し、大和小学校を拠点とした「国」を築くことを決意する。大和小学校国の総理大臣として児童の代表となった翔は、児童たちみんなが家族であるという意識の元、規律正しい生活の基で困難を乗り越えていけるよう精一杯の努力を重ねようとする。

しかし、飢餓や未知の事象に対する恐怖心からくる狂気や内部対立、伝染病の蔓延、唯一生き残った大人である関谷の暴虐、荒廃した未来に棲息する未来人類の襲撃などの脅威により、次々に死者が増え、児童たちの数は日を追う毎にじわじわと減っていく。更に、学校をタイムスリップさせる原因となった手製のダイナマイトによる爆発事件の犯人が翔であったというデマが流れ、翔は次第に孤立してしまう。凄惨な事件が次々と襲い掛かる中、翔と過去の世界を繋ぎ止め、翔にとっての唯一の心の支えとなっていたのは、5年生の少女、西のもつ不思議な力で時空を超えて母とコンタクトを取れるという、不思議な現象だけだった。

周囲が子供達の帰還を諦める中、息子の帰還を信じる翔の母は、西の不思議な力によって未来に入る翔と仲間達に必死の思いで援助の手を差し伸べ続けていた。その後、自らの意思で学校を出て行った後、息も絶え絶えの状態で戻ってきた女番町の口から「天国」の存在を知らされた翔たちは、学校一帯を覆わんとする高濃度の光化学スモッグの雲から逃れるため、富士山にあるという「天国」の存在に一縷の望みを託し、生き残った児童たちを連れて天国を目指して荒野を行進する。迫りくる化学スモッグや広大な地割れを乗り越え、翔たちがたどり着いた「天国」。そこは未来の科学力で築かれたレジャーランドの残骸の残る場所であった。暴走したロボット達の襲撃から逃れた翔たちは、その奥に鎮座するコンピューターから、自分たちが元の世界に戻るための重要な糸口が大和小学校そのものにあることを知る。

しかし、翔の存在を疎み対立する同級生の大友らのグループとの抗争の激しさはついに頂点に達し、狂気に駆られた子供達は無残な殺し合いを始めてしまう。理性でこの事態を耐え切った翔は自分が爆発事件の犯人だと告白する振りをしてみんなをおびき寄せつつ学校に戻り、今こそ元の世界に帰ることができる最後のチャンスだと説得する。しかし、大友たちは聞く耳を持たず翔を殺そうと一斉に攻め寄った。今まさに翔が殺されようとした時、大友はとっさにみんなから翔を庇い、事の真相を激白した。大和小学校を未来に飛ばすことになった大地震は、優等生であることを求め続けられる苦悩から逃れんがために、校舎を吹き飛ばそうとして自分が仕掛けた手製のダイナマイトが原因だったこと。罪悪感のあまり、翔に全ての責任を押し付けていたこと。全ての真相が明らかに成った今、翔は大友と固く手を握り合って和解し、再び友情を取り戻す。

『強大なエネルギーの発生によって次元の裂け目を生み出すこと』。
それが、『天国』のコンピューターが語った、過去の世界に帰る唯一の手段であった。大友の残したダイナマイトの最後の1本に望みを託し、翔たちはエネルギーの発生源を生み出すべくダイナマイトを爆発させるが、思惑は外れる。爆発の影響で火山活動が活発になってきたことを利用して再び挑戦するも、失敗に終わってしまうのだった。落胆の中、翔たちが見たものは荒れ果てた世界に垣間見えた、命の再生の片鱗であった。その様を見た翔は、『荒廃した世界の復興こそ自分たちが未来世界に来た意味だった』と結論付け、ここに留まることこそが自分たちの選ぶべき道なのだとみんなに力強く語る。

そして、過去の世界から母親の手で送られてきた援助物資により、過去と未来の世界に繋がりが生まれたことに希望を見出した翔たちは、過去への帰還を諦める代わりに、爆発に巻き込まれ一緒に未来に来てしまった幼稚園児のユウちゃんをなんとか現実世界に送り届けようとする。幼いながらも、悲惨な未来の姿をその目で見続けてきたユウちゃんは、未来の地球を絶対に荒廃させないよう努力することを翔たちに誓い、みんなに見守られながら過去の世界へと帰っていった。翔が未来に来てから書き綴ってきた日記はゆうちゃんの手から翔の母親へと手渡され、それによって未来と過去を繋ぐ架け橋が生み出された。未来の世界で息子が元気に生きていることを知った翔の母は、天を見上げて未来の世界への希望に想いを馳せるのだった。

楳図かずおさんというと、恐怖漫画のイメージが強いですよね。僕と同世代の方には、楳図さんの絵がトラウマだという方も多いのではないでしょうか。小学生の頃に友達の家で楳図さんの漫画を見て、怖くて家に帰れなくなってしまったことがあります。でも、帰らなきゃいけないということで、夕方、覚悟を決めて友達の家を出ました。

僕は北海道出身ですが、その日は雪が降っていて、外はすでに暗く、真っ直ぐに伸びた灰色の雪道に、街灯の灯りが当たる場所だけが真っ白に輝いていました。降り続ける雪が音を吸収してしまい、自分の足音以外は何も聞こえません。街灯の下と通ると、自分の影が自分を追い越していき、その度に誰かが後ろからついて来ているような気分になり、何度も振り返りました。脳裏に楳図さんの漫画に登場する少女が恐怖で叫ぶ顔が何度も甦り、その度に怖くて怖くて泣きそうというか、泣きながら家まで帰りました。

怖くて仕方ないけど面白くてついつい読んでしまう漫画でしたね。その友達は怖い漫画をたくさん持っていて、日野日出志さんや今は名前を覚えていないホラー作家達の漫画をそこでたくさん読みました。少年漫画の努力、友情、勝利の世界にいた僕には、ホラー漫画の持つアンダーグラウンドさや不条理な世界は、見てはいけない物を見てしまったような背徳感と新鮮さがありました。


楳図漫画に再び出会うのは大人になってからでした。確か20歳くらいに当時出始めだった漫画喫茶で読んだんじゃなかったかなぁ…?「楳図さんか、懐かしいなぁ」と手に取った本は「洗礼」という本でした。

すでに漫画家を志していた僕は、その絵の格好良さに痺れました。少女が犬のクビを頭に乗せて登場するシーンがあったかと思うのですが、それを1枚の絵として捉えた時の美しさたるや…。当時の漫画はトーン技術を駆使して白っぽい絵を美しく華麗に見せることが流行っていたので、真っ黒な画面に浮かび上がる白の美しさには息を飲みました。

そして、絵の美しさもさることながら、主人公の少女(実は脳移植をした老女?)が、少女らしからぬ女の武器を使いながら、大人を誘惑していく姿のエロティックさや、心理描写の巧みさに驚きました。怖い怖いと思っていた楳図漫画は、人間の心理や人間関係を描いた緻密な人間ドラマだったと知ったのです。

それから、「漂流教室」や「わたしは真悟」、「神の左手悪魔の右手」など、名作と呼ばれる作品を次々に読んだと思います。これらはその後の漫画界に影響を与えるエポックメイキング的な作品になっている気がします。楳図さんの漫画の魅力は各所で語られているでしょうし、その色気のある絵柄や人間ドラマの素晴らしさについても語り尽くされています。

↑こんな本もありましたね。昔読みました。

僕はそれらの意見のいくつかを見ていて、「うん、うん、分かる分かる」と思いながら、「でも、楳図さんの絵とか表現ってちょっと変なんだよなぁ」と思ったりもします。やりたいことと実際の表現がどこかなじんでいないと言うか、正統派の人間ドラマを描いているのに、ド直球なのに個性が強すぎて変化球に見えてしまうと言うか、全部楳図カラーになってしまうと言うか。「わたしは真悟」では途中から物語が崩壊してしまって、時間軸がねじれてしまい、どの時点のどの話をしているのか、正直、どう受け取っていいか分からない箇所もありました。でも名作なんですけどね。未消化な部分や、自由な解釈の余地があるので、自分なりの解釈で描き直したくなるというか、作家の創作意欲を刺激するが故にエポックメイキング的になってしまう部分もあるのではないかと。

楳図さんの「イアラ」という作品を読んだ時は、「まんま『火の鳥』じゃん」と思いましたが、描かれた年代を見るとこれは逆で、手塚治虫さんが「イアラ」を読んで刺激を受け「火の鳥」を描いたと思うのが正しいのかな?と思います。時代を超えて何度も生まれ変わり繋がり合う2人という世界観を漫画で描いたハシリは楳図さんなのかなぁ?その物語の構造に先見の明を感じて、自分の作品に取り入れた手塚さんもスゴイことには変わりないのですが。まあ、どちらも天才の所業です。

「漂流教室」は、楳図さんの長編の傑作の中でも最もバランスが良く、楳図漫画入門編として非常に良いのではないでしょうか。突然、異世界に飛ばされた子供達が不安と闘い、疑心暗鬼になりながらも、襲いかかる困難を1つ1つ乗り越え、協力し合い集団を形成していく姿は、本当に感動します。ショッキングなシーンも多く、それをどのように解決していくのか緊張感もハンパありません。常に先の見えないテンションの高い展開と、その中で活躍する主人公達の成長物語は、まさにエンターテイメントの王道と言っていいでしょう。

後半の人肉を食べるシーンでは「やはりそうなったか…」という思いでしたが、当時、僕に本を貸してくれた人はショックで頭痛までしたと言っていました。あ、借りて読んだんです。今の時節、借りて読むと「家庭内の私的利用」の範囲を超えてしまうので、著作権侵害になるんでしたっけ?不便な世の中になりましたね。

それはさておき、読み終わるとずっしりとした満腹感がいつまでも続く作品です。もしも未読の方がいたらぜひ。

楳図さんと言えば、吉祥寺界隈では街で出会える有名人として知れ渡っていますが、僕は吉祥寺を歩いていて、これまで4回程すれ違ったことがあります。心の中では「うおぉぉ〜〜〜!!!楳図さんだぁ〜〜!!スゲエ〜〜!!!!」と思いつつ、多分、普段からいろんな人に握手を求められるだろうし、有名だと道を歩いているだけでも大変なんだろうなぁと思い、何も気がついていないフリをしてすれ違います。そして、通り過ぎた後にそっと手を合わせて「ありがとうございます。僕はあなたの子供です」と感謝するのです。偉大な先人達のおかげで漫画家としての僕は存在しています。

いえ、僕みたいな不肖の子供はいらないでしょうけど…。

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