僕の好きな漫画9「BLUE」

さて、第9回目です。
今回ご紹介するのは山本直樹さんの「BLUE」という作品です。

山本直樹さんと言えば1980年代、90年代を代表するエロ系の作家さんです。

デビュー当初は「山本直樹」名義でストーリー性のある青年漫画を描く一方で、「森山塔」、「塔山森」名義でエロ漫画を描いていました。
しかし、キャリアを積むにつれ徐々にその境目はなくなり、単なるエロ漫画ではない、単なる青年漫画でもない独特のエロと暴力、不条理が渦巻く世界観を描き出すようになっていきます。2010年には『レッド』で第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞していますね。

僕は今41歳ですが、同世代には山本直樹さんの作品にお世話になったという男性も多いのではないでしょうか。それまでのエロ表現を一歩進化させ、男性の圧倒的な支持を集めた、時代を代表する作家さんの一人です。

僕の場合、中学生の頃に同級生の友人に森山塔名義の単行本を借りたのが出会いでした。貸してくれた友人曰く「エロ漫画は話がなかったり、ジャンプとかに載ってる漫画家より絵が下手だけど、これは違う。」確かに絵が抜群に上手く、女の子が圧倒的にかわいかったです。
まだ「萌え」という言葉がなかった時代に、山本直樹さんの描き出す劇画ともアニメ絵とも違う女の子は、非常に新鮮に目に映りました。エロ漫画家というと、当時は「一般誌で活躍できず不本意ながらエロを描いている」という作家さんも多く、メジャー誌に掲載されている作品と比較すると、全体的に質が低かった印象があります。語弊があるかもしれませんが、エロとは粗悪なものと相場が決まっていたのです。

しかし、山本直樹さんにはそれがありませんでした。絵はメジャー級。ストーリーは強引で、ぶっちゃけモラルもクソもありませんでしたが、既成の価値観を破壊するようなパワーに溢れていました。エロを描くために物語が付属しているのではなく、物語と一体となってエロが迫ってくるような、行き場のない若いエネルギーが本の中で爆発していると言うか。それまで良識に支えられた世界に生きてきた僕にとっては、そのアナーキーさがカッコ良く映りました。大人の嫌がる漫画。ロックに見えました。
「良い子じゃなくていいんだぜ。大人に与えられた価値観なんて全部嘘だ。自分で感じろ」とでも言われているような。


多分、2000年頃までの山本直樹さんの作品はすべて読んでいたと思います。
「極めてかもしだ」とか「あさってDANCE」とか「ありがとう」とか、全部単行本を持っていました。男に都合の良い女性キャラクターが出てくるのは青年漫画全体の特徴として、その都合の良い女性が急に都合の悪さを持ち出してくる感じとか、妙なリアルさがあって好きでした。キャリアを積む毎にどんどん過激になっていく描写には、「この作家さんはどこに行ってしまうんだろう?」とドキドキしました。

「BLUE」は、1991年に漫画として初めて東京都青少年保護育成条例で有害コミック指定を受け、当時沸き起こりつつあった有害コミック論争の中心的存在となった作品です。
毎度おなじみWikiによると「1991年、小学館の『ビッグコミックスピリッツ1991年新春増刊号』に掲載され、同年光文社が山本直樹の他の短編作品とともに単行本化したが、作中の性描写が問題となり、1992年3月に東京都の青少年保護育成条例により不健全図書の指定を受け、版元回収になる。1992年10月、弓立社により、成人向けコミックとして出版された。弓立社版は、光文社版では隠されている局部の描写もそのままになっている。2001年には双葉社、2006年には太田出版より、同内容の単行本が出版された。 」とのこと。

ストーリーは「高校の学園祭の日に学校の屋上に上った灰野は、そこにある天文部の部室で優等生の九谷エリに出くわす。エリは灰野に「BLUE」という薬を勧め、セックスに誘う。2人は頻繁に屋上で体の関係を結ぶようになり、次第に灰野はエリに恋愛感情を抱き始める。「BLUE」とは、彼らがセックスのさい服用した興奮剤。主人公が高校を卒業し、部室でセックスにふけった日々が夢のように思われた、というところからタイトルになった。」といった感じ。


91年当時、高校生だった僕は学校をさぼった帰り道にコンビニに立ち寄り、「何か雑誌でも買おう」とスピリッツの増刊号を手に取りました。その日は両親が家にいなく、適当な理由を付けて学校を早退し、家でダラダラしようと考えていたのです。確か巻頭カラーじゃなかったかなぁ?作品を読み、それはそれは惹き込まれました。学校がつまらなくて、でも家しかいる場所がなくて、退屈と性欲を持て余していた自分に、作品がぴったりと一致したのです。

地方の高校生の気分をすごく上手に表現していたと思います。先輩の車を勝手に借りてヒロインをドライブに連れ出し、「このまま東京にいってしまおう」と誘うシーンの、言いながらもそんなことは現実的じゃないと気がついている主人公の虚無感には、何とも言えず共感しました。大人の作った世界の枠の中でしか生きられない子供の不自由さと、そこからはみ出したい思春期の葛藤が情感たっぷりに美しく描かれていました。40ページ程の短編でしたが、心をわしづかみにされました。そして、このページ数でそれができることに驚きました。僕が漫画家としてアイデンティティを形成する上で、間違いなく影響を受けた作品です。


その後、東京都青少年保護育成条例で有害コミック指定を受けたと聞いた頃は、もう大学生になっていたかなぁ…?僕はまだ漫画の世界には入っていなくて、自分の好きな漫画が有害指定を受けたらしいというくらいで、その重大性にはあまり興味が向きませんでした。「表現の自由の危機だ!」という声は何となく聞こえていましたが、「エロだし仕方ないよね。こういうのは裏でやるもんだし」という捉え方だったような気がします。むしろ「そんな反社会的な漫画を、自分は話題なる前から知っていて好きだった」ということに優越感を持ちました。

「表現の自由」について語り出すとここでは足りなくなってしまうのであまり触れませんが、僕は基本的には「表現の自由」はいかなる場合でも守られるべきだと思います。反社会的な表現があってもいいし、モラルが著しく低い作品も存在を許されるべきです。誰かを傷つける表現もあっていいし、差別的な表現もあっていいと思います。誰かにとっては目を背けたくなるような表現が、ある場所では許容される世界が健全であると信じています。

例えば、AVは基本的に男の都合で作られたもので、女性を差別的に扱っているし、実際に性被害にあったことのある女性が見たら酷く傷つくだろうな、という表現も多いです。内容的にはモラルは低いと言わざるを得ません。
でも、事実として男性の多くはそれを好むし、AVを鑑賞する男性は女性を差別してしかるべき存在と認識しているという訳ではありません。

そうした代替物を鑑賞することで実際に女性を傷つける行為を抑制できるのだとしたら、それに越したことはないとも思います。宗教上の理由で婚前交渉が禁止されていたり、禁欲が当たり前の国では、女性のレイプ被害が多かったりします。クリーンな世界は多分とってもダーティーです。性欲が人間の根源的な本能でなくすことが出来ない物ならば、性欲自体を汚ない物と差別しても始まりません。コントロールすべきです。なので、AVはあっていいと思うし、エロ漫画もあっていいと思います。

ただ、発表の場所は選ぶべきだろうと。女性の目に容易に触れない場所で鑑賞されるべきだし、子供の目に触れないように配慮するのも当然だと思います。そして、作品に触れる場合には、それが質の高い物であって欲しいと思います。


話がズレましたが、「BLUE」はすばらしい作品です。子供が大人になる瞬間に誰もが通過する感情を、優しく美しくエロティックに描いた傑作です。思春期のモヤモヤを抱えた子供たちに「それは誰もが感じる気持ちで特別なことじゃないんだよ。悩むだろうけど、そんなに悩まなくていいんだよ。この漫画は君たちの気持ちを優しく肯定してくれるよ」と本を差し出したいです。「有害指定されたコミックだ」という前知識は置いといて、ぜひ多くの方に読んで欲しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?