美大生が下請けにならないために

美大生が下請けにならないために

萩原 修 はぎわら しゅう

美大生がもっと活躍できる社会を実現したい。そのためには、美大生がどう変わればいいのか。そして、世間の美大生をみる目がどう変化すればいいのか。

ぼく自身は、80年代前半に、美大を卒業している。その時代は、バブル経済に向けて景気が良くて、誰でも就職できるような状況だった。

デザイナーという専門職には、ならないと決めて、4年生の9月にスーツを買って、たまたま知った興味のある企業を2社だけ受けて、すんなりと内定をもらった。どちらも大企業だった。

大企業が美大生というちょっと変わった人材を採用して、会社の空気を変えてみたいという気分もあった。

就職したのは、最大手の印刷会社。美大生の配属先は、最初から企画部門と決まっていた。配属された20数名のほとんどが、有名な大学を卒業していて、広告代理店やマスコミ志望の賢そうでクリエイティブなことが好きそうな人たちだった。美大生は、ふたりだけだった。

仕事は、クライアント企業から依頼された印刷物の企画とデザインをすること。営業といっしょにクライアントの意向を受け止めて、それを外部のデザイナーとかたちにして提案する。見積もりをつくること、進行を管理することが大事な仕事だった。

美大でデザインを学んだ自分にとって、ショックだったことは、ふたつ。

一つは、有名大学をでたデザインのことを何も知らない人間がデザインのことを判断して進めていたこと。クライアントもデザインのことを学んだことがない人がほとんどだった。

ふたつ目は、美大で学んだ美的構成力が、世間には理解されにくいこと。美大の常識では、大事にしたいことが、普通の人にとっては、どうでもいいことだった。社会に、いいデザインが少ないのは、こういうことなんだと目の当たりにした。

4年前から、総合大学でデザインを教えるようになって、美大生と一般の大学生の感覚の違いを実感するようになった。頭では理解していたつもりだけど、美大しか知らない自分にとって、普通の大学生に慣れるのに時間がかかった。

美大にいた時には、デザイン学科がなんで、美大にあるんだろうと疑問だった。アートとデザインは、まったく違うものだと捉えていた。よく知らない人から、美大で絵を描いていると思われるのがすごく嫌だった。

しかし、今は、美大にアートとデザインが両方あることの価値をあらためて感じている。同じキャンパスに、造形という共通項で、二つの領域が共存している。

本質を見抜くアート、社会を変えるデザイン。

この二つが融合したところに、美大の価値があるのではないかと考えるようになった。

ぼくが大学生の頃から言われていたのは、美大生は、下請けになりがち。絵を描くのが好きだったり、モノをつくるのが好きだったりする人たちは、お金のことなんかあと回しになりやすいし、ビジネスのことを教えてくれる先生もほとんどいない。

そんな状態で社会にでた美大生は、賢くお金儲けのうまい人たちに便利に使われてしまう。絵を描ける人、モノをつくれる肉体労働者として、位置付けられる。出来上がった造形の良し悪しよりも、作業として、間違いなくこなしてくれる職人のような存在にみている人が多い。

そんな社会で、これから美大生がもっと活躍していくためには、企画力や、コミュニケーション力を鍛えることが重要になる。美的構成力や造形力は、手放さずに、自分がいいと思うデザインを実現していってほしい。

社会の新しい価値を創造するためには、美大の力が役に立つ。そう信じている。美大生の意識が変われば、社会もきっと変わっていくはず。下請けじゃなくて、自ら考えて、行動する美大生が増えることを願っている。

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萩原 修 はぎわら しゅう
つくし文具店 店主