デザイン とアートと
美大でデザインを学んだ。当時は、なんで美術の中に、デザインが含まれているのか不思議だった。学生時代は、仲間とデザインとアートの違いについて、良く話あった。何より、身近にアートを学んでいる学生がたくさんいた。そこから刺激をうけることも多かった。
大学を卒業してからは、デザイナーにはならずに、デザイナーといっしょに仕事をするようになって、身近にアートがある環境ではなくなった。アートは、美術館やギャラリーで見るものになって、作品をつくっている現場は、遠くなった。
美大でアートを学んで、デザイナーになる人もいるし、デザイナーからアーティストに転身する人もいるし、アートとかデザインとかこだわらずに活動している人もいるし、アートとデザインを区別して活動している人もいる。
アートは食えなくて、デザインは食べられる。アートは就職できなくて、デザインは就職できる。という認識もあって、美大には行きたいけど、食えないのはこまると思う人が増えて、いつしか美大は、デザインの比重があがっていく。
ぼくがいた頃のムサビは、アートが中心で、デザインはオマケみたいな気分もあったし、アートを学ぶ学生は真剣に取り組み、デザインを学ぶ学生はちゃらちゃらしてる印象も強かった。なので、アーティストには、かなわないという強いコンプレックスもあったのかもしれない。
数年前に、ムサビの美術館が改装するタイミングで、企画に関わった海外に日本のデザインを紹介する展覧会の帰国展を開催することがあった。美大の美術館の大事なお披露目に、デザインでいいの?と疑問だったけど、まったく問題なくOKがでた時には、拍子抜けしたし、美大も変わったんだと感じた。
1994年から2004年まで、デザインの展覧会を企画運営する仕事をしていて、まだまだ、美術館では、デザインの展覧会が少なかった頃で、デザインの展覧会は、人が入らないし、そもそもデザイン専門のキュレーターが少なかった。それがいつのまにか、商業的な匂いのするデザインの展覧会が美術館でもたくさん開催されるようになって、それはそれで、どうなんだろうと感じた。
ぼくが2014年から専任教員になった明星大学デザイン学部は、その前は、造形芸術学部で、アート、工芸、デザインの11のコースがあるちいさな美大みたいなところだった。複数のコースを取れるのが売りのひとつで、アートとデザインを両方学べた。もちろん、教員には、アーティストもデザイナーもいた。
デザイン学部になってもアーティストの教員は数名残っていて、学生は、アーティストからも学ぶというムサビのデザイン学科ではありえない状況が生まれた。そのことが学生に、どう影響しているのかわからないけど、アートの考え方や方法や感覚を学ぶのは、デザインにとっても有効だと今でも考えている。
基本的に、デザインとアートは、違うものだと考えているけど、つきつめていくと、結局、根っこは、同じなのかもしれない。近代デザインが日本では、応用美術と呼ばれていたり、デザイン教育のはじまりとされるバウハウスには、たくさんのアーティストが借り出されていた。
今でも世間の多くの人たちがデザインとアートをいっしよくたにして、よくわからない芸術家肌の人たちという雑な見方をしているし、デザインにもアートにもまったく興味がない人たちもたくさんいる。最近では、デザイン思考やアート思考というあやしげな言葉で、ビジネスに応用しようといている。
2000年以降、地方創生や地域振興に、アーティストやデザイナーが借り出されたことで、よくも悪くも、デザインとアートを身近に感じることができる機会が増えている。地方の商店街や自然の中で、アートに触れたり、まち工場のものづくりに、デザイナーが関わることも増えた。
ぼく自身は、美大出身ということもあり、デザインもアートも、もっと社会や暮らしに、あたりまえに溶け込んで欲しいと願っている。
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