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結局変わっていない自分,徐々に変わりはじめたかもしれない大学学部生時代

「大学デビュー」
そんな言葉は、きっと都会のキャンパスで半無意識的に使われている言葉なんだろう…学生時代を通してこの言葉を聞くことは一回もなかった。

あいもかわらず、同じように狭いコミュニティで生き始めた信州大学での生活。賑やか軍団とは群れることなく、馬が合うメンバー数人と一緒にいる時間が続いた。

じゃあ何をしていたかというと、授業料免除のため、給付型奨学金をもらうために必死で勉強した。だって普通科出身の人と比較すると、圧倒的に高校時代の勉強量は足りないんだから。

中学・高校時代を振り返った文章でも書いたが、基本的には勉強で自分の存在を確立してきた。

試験やレポートの対策としては先輩から過去問をもらって勉強するという方法がお得だったみたいだが、特に繋がりのある先輩もいなかったため、そうした方法はとならかった。というより、そのお得感に興味がなかった。だから基本的には自分でなんとかしていた。

そして、毎年度の最初に昨年度の成績優秀者上位5人を表彰するというのが、うちの学科では行われていた。(なぜそのような制度になっているかはいまだに謎。他の学科でもやっているのか、うちの大学だけなのか、全くわからない)

自分でもよく頑張ったと思うが、その頑張りのおかげなのか全部の学年で成績優秀者上位5人に入ることができた。

そして大学でやりたかったのは光触媒の研究。なんでかって、高校の課題研究がきっかけ。成績が良かったので希望の研究室にも入れた。はい、順調!

一方、大学といえばサークル!
自分が希望していたのは競技クイズ。サークルに入るまでの経緯やどんな活動をしたのかはここにも書いてあるが↓

まあ楽しくマイペースでクイズを楽しみながら続けられたのはサイコーだった😊

そんな感じで順風満帆かに見える大学学部生活。4年次は研究室で研究をする生活となったが、大学内専用サイトで、あるアルバイトの募集を見つける。正確になんと書いてあったかはおぼえてないが、ざっくり言うと、大町市と信州大学の共同研究の補助をするバイト。はて?🤔

その内容がどんなものであったかはこちらの記事に書いてある↓

続いてハマることになるものはこっち↓

こんな感じで、大きな波のたたない凪のような大学生活に大きな波が来て、運良くというか運悪くというか乗っかることになったのだ。こうしてここから予測不可能で気まぐれな波によって運命が動いていくことになるのだが、まだそこまで自分は気づいていなかった…。
いやはや人生は奇なものである。


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