アートディレクター鈴木八郎さんのこと

先日、ここの記事に鈴木八郎さんの「天と地とApple」のことを書いたら、それを読んだ友人から「ずいぶん古い話を持ってきたなぁ」とメールが届きました。その話を若い方にしたら、「鈴木八郎さんて誰ですか?」と「?」マークが沢山!まあ、当たり前ですよね。亡くなられたのが2005年ですからもう17年にもなります。私の世代の商業デザインをしていた方ならよく知っていると思います。名前は知らなくても、「これが鈴木八郎さんがADをした広告」といえば、「ああ、これが」と思い出すでしょう。電通のアートディレクターをしていたという印象が強いのですが、調べてみたら、仕事としてはマッキャンエリクソン博報堂でコカコーラの広告のお仕事をされてから専門学校や美大に行って、それから電通に入られたのですね。

そのお仕事といったら、凄まじいの一言です。コカコーラから始まって、1970年代のサントリーオールドや富士ゼロックスの広告。JRになる直前の日本国有鉄道の「ディスカバージャパン」、「エキゾチックジャパン」一連の広告。高橋峰子を使った「フルムーン」やJALの広告など、ある年齢以上の方なら、街中で必ず見たことがある広告でしょう。長野オリンピックのポスターなども手がけていらっしゃいます。Apple(コンピュータ)が日本に入ってきた時の広告は、とにかく私には衝撃的でした。アメリカの新興企業の広告に岡倉天心の絵を持ってきたのですから! 

私はネットでの著作権や肖像権の扱いに疎く、ここで当時の広告ポスターなどの画像を表示していいのか判断がつきませんので、見たことのない方は名前でググってみてください。私の手元に「鈴木八郎のad.(advertising)」という作品集があります。古書店で手に入れたもので、おろらく出版された書籍ではないと思われます。図書館で探すことも難しいかもしれませんが、もし手に取る機会がああったらじっくりと読んで、見てください。

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鈴木八郎さんの仕事、どれもため息がでるくらい美しいく、かつ広告としての使命であるクライアントの訴求を満たしています。なにせ、30年、40年経っても記憶に残っていのですから。そして、一貫して東洋、日本の美意識をなんの衒いもなく表現していることでしょうか。オーソン・ウェルズやカーク・ダグラスといったハリウッドスターを使った広告もなかなかなので、とにかくその表現の引き出しの多さは驚くばかりです。聞いた話ですが、当時の売れっ子アートディレクターだと、企業人であっても社内フリーランスと呼ばれて、かなり自由に仕事ができたようです。いろいろな方向に知的な好奇品を満たすアンテナをはっていたのだと想像します。当時の博報堂や電通の古いビルにはなんどか足を運んでいましたが、熱気とともに、相当不思議な人たちが闊歩していたように記憶しています。

最近は駅貼りのポスターが少なくなってきていますね。ホームにはありますが、駅の改札周りや構内ではデジタルサイネージばかりが目につきます。電車の中吊り広告も減ってしまいました。いえ、私は首都圏に住んでいますから、地域が違えば事情も異なるかもしれません。ただ、街中や駅のホームで観察していると、ほとんどの人の視線はスマホ・携帯電話へ。顔が下を向いていますよね。人の行動も変わってきていますから、広告も変わってきます。なかなか、大きなポスターのグラフィックで訴求するのは難しい時代ではありますが、鈴木八郎さんのデザインの手法や考え方、表現の仕方などはいつの時代でも刺激的だと思います。






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