初めてのLIVE配信で大怪我をした私だからできる話
こんばんは。生活習慣を乱して、深夜でも執筆をしてますShuheiです。
今回は、今すぐ記事にしないと薄れていくぞって内容を慌ててまとめました。いつものように細かい表現の過ちは温かい目でみてください。
……実は私、先ほどLIVE配信のトークゲストをやらせていただきました。
この記事では、そこでの出来事を通して感じたことや学んだことをまとめた上で、皆さん自身に問いてみてほしいことを書きました。
初めてのLIVE配信
初めてのLIVE配信が決まるまで
今回、有名な著者の講演会のスタッフをやったことがきっかけで、そこで出会ったスタッフの方とLIVE配信をすることになりました。
もちろんライブ配信は初めてで、とっても緊張してました。
トークゲストに誘われてからは、かっこいいサムネイルを作ってもらったり、打ち合わせのようなことをしたり、でワクワクした気持ちがどんどん強くなってましたね^^
そして同時に、自分が画面上の人として他人に見られていることに対する強い不安に襲われたりもしてました、、
LIVEで配信をすることへの不安と葛藤の中で、、、
そういった強い不安を感じてはいましたが、挑戦を応援するという記事を書いている人として挑戦に背を向けるわけにはいかない!
と、逃げたくなる気持ちを抑えて、自分でも驚くほど前向きな気持ちを保つことができました。
そしてもう一つ、今回の支えになってくれた言葉があります。
それは、私が今、最も意識して取り込もうとしている言葉でした。
この言葉は、簡単にいうと、最低限までがつまらない、そして自由度も低い。その先に多くの楽しみがある、とのこと。
例えば、学校の登校時間ぎりぎりに行って、決められただけのスケジュールをこなす毎日はつまらないですよね。
仕事だとどうでしょう。好きなことでもないのに言われたことだけを窮屈にやる毎日は、おそろしく辛いです。
それは、自分の意志が介入する余地が少ないからです。
そういう状況にあるのであれば、
少し早く学校に行って、自分がやりたいことをやる。
さっさと要求された仕事はこなし、残りの時間に自分なりの改善や案を試してみる。
そうすれば、自分の人生の自己コントロール感が増して、心が生き生きとする。
この状態が「楽しい」ということを、「最低限を軽快に超えよ」という言葉が教えてくれました。
要するに、早々にやることは淡々とやってしまえば良いのです。悶々と考えるのは、その後で構いません。
それを今回のケースで当てはめてみます。
私はコーチングスキルのある行政書士という立場で仕事をしています。
人に話をする、人の話を聞く、加えてオーディエンスのいる場所で話すことも職業上少なくありません。
その時に話をする立場や状況によって左右されるコミュニケーションスキルは危ういと思いました。
それらの理由で、軽い気持ちで、ここはやってみるかーとLIVE配信の話を快諾しました。
この時、私にとって、「どのような配信をするのか」は最低限以上で
「配信をする、そしてそれに全力で取り組む」が最低限でした。
なのでこの時点で「最低限を軽快に超えよ」ができた瞬間ですね。
しかし、それに安心して、その後に起こる出来事を完全に意識していませんでした。。
最低限を超えた先にあるもの
そうして、記念すべき第一回の配信が始まりました。その配信には数人の友達も招待していました。
まずは場に慣れるために軽い内容のトークをしていきます。当たり障りのないことから、軽く冗談を交えたトークを繰り広げながら、淡々進んでいきます。
それからテーマに沿って、内容を深掘りしていきます。
そこでハッと気づいたのです。
……この会は結構アドリブを要求されてるぞ、、、と。
私は行政書士という肩書きが一般的に堅い印象を持っていることを加味して、自分の持ち味である柔らかさを全面に出しました。
そもそもが自由にトークして良いと事前に聞いていたので、こんな会話をしようかな、こんなこと聞きたいなとかザックリとだけ考えていました。
そうやって様々な初めての中で、反省点もいくつか見つけられた、だから私の中では80点!初めてにしては上出来でしょう。と点数をつけてたんですね。
自信がある上に、それでも次はもっと良くしたいと考え、視聴してくれた他の人に意見を聞いてみようと考えていました。(わかりやすいくらい達成感によりドーパミンが出てました)
無事にLIVE配信が終わり、ホストの方と軽く内容の深掘りをした後に、意気揚々と視聴してくれた人に参考意見を聞いて回りました。
すると、、、
「まぁ……よかったよ(含みのある)」「あの質問の答え少しずれてたんじゃない」「もっと具体例を出した方がいいよ」「相槌がしつこかった」……その他6つくらい。
要するに、良いところよりアドバイスをしたくなるくらいのレベルだったということです。
耳を途中で塞ぎたくなりました。というか、耳を塞ぎました。笑
もちろん私の力はこんなもんじゃないと信じてくれていたり、伸び代を感じてアドバイスをくれたのだとも思います。
ただ私は無意識に気づかないようにしていたことに気づいてしまったのです。
あ、、これつまんなかった時の反応だ、と。
大怪我と共にある気づき
変に気を使われることにも傷つき、頑張って気を使わずに言ってくれた人にも傷つけられた感じがして、心がとても苦しくなりました。
同時に、自分の都合の良いことだけを無意識に汲み取り、成長の機会を逃すところであることにもギリギリ気づきました。
この際、ハッキリ言います。私は考えや想いを伝えるのが下手です。
なので、いつも一生懸命表現します。それでも、表情が見えなかったり、時間に制限があると、うまく伝えきれなくて深く反省することが多々あります。
私が表現が下手なことが、私が目標とする自分になることを諦める理由になるのでしょうか?
結果が出たとして、自己満足で実力の伴っていない妄想だけの目標の実現で良いのでしょうか?
……私は記事を書いている時に、私が本当に伝えたい想いはどのように伝えたら、きれいに届くのだろう、と常に考えます。
正直なところ、執筆している現在とても傷心しています。
今にも現実逃避をしたいくらいです。もしくは見栄を張るのも悪くないですね。笑
しかし、それよりも、今の私であれば本当に伝えたいものの一部をきれいに記事にできるのではないかと感じました。(傷心していることについてではありません)
つまり今なら、より理想に近い表現ができるのではないかと思ったのです!!
素直にありのままの自分を知る
心の痛みに向き合う
今、深夜の3時05分です。執筆自体は寝た後にでもできることですが、このことだけはどうしても心がアツいうちに残しておきたくて、伝えたくて、頑張って記事を作成しています。
正直きれいに届くかどうかは分かりませんが、今の感情がしっかりと込められた文章には力があると思います。
辛くても、膝を擦りむいても、心が傷ついても、その時はまずは休んでもいいから、痛いことを理由に諦めないでほしいです。
今回のように、私が一生懸命生きている姿を知ってもらって、誰かの励みになることを願っています。
そしてもしこのエピソードで励まされた方は、無意識に心を痛みから遠ざけていないかを自分に問いかけてみてください。
さいごに
素直になるということは一概に簡単なことではありませんが、素直になって、ありのままの自分を知ることが成長の初めの一歩になります。
この記事によって、1人でもありのままの自分を好きになれたなら、このエピソードを世に出した甲斐があるというものですね(^ ^)
さすがに眠いので、今回はここまでにします。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
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