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#6 人魚の眠る家

この本を読んで、保険証の裏側にマルをつけました。
※多少のネタバレを含みますので、あらかじめご容赦ください。

読んで感じることや思うこと、その後の行動は人ぞれぞれ
何を思い浮かべながら読むかもそれぞれかと思いますが
私は、自分自身がそうなった時にどう行動してほしいか、自分の大切な人がどうなった時にどう行動するのか。後、少しばかし前に亡くなった祖父のことを思い出しながらあっという間に読み切りました。

この本の中では、「脳死」というものから
人間の死とは一体何なのか、何があれば生なのかそこに問いを立てておりまして
結論としては、価値観の押し付けはするべきではないけれど
ある程度いろいろな登場人物にとっての「死と生」が出てきます。

私は、生物学的な死と生はあるとは思うのですが、
人間としては、人との繋がりの中で「生」が担保されていると思っています。

「考える葦」という言葉の中には
私は人間の「社会性」の含みがあるとも思っています。
そういう意味で、人間、ホモ・サピエンスとしての生の中には
「社会性」が十分条件になっていると考えています。

だから、この中の瑞穂はずっと生きていたと感じました。
相互に生から解き放たれたと、自分も周りも認識して初めて
人間として死ぬのだと思いました。

だからこそ、
周りの人には、私がどこかで生きていると感じてほしいし
そこに悩んで欲しくないと思いました。

だから私は保険証にマルをつけました。

以前母親に、死んだと判定されていない子供にメスが入るのは受け入れられない
と言われたことがあります。
だからこそ、私は自分の意思でそうしたいということをしっかり意思表明したいと思いました。

祖父が亡くなった時も
お医者さんの予想はある程度あっているものの
だいたいこれくらいとか、こうなるだろうはあんまり当てにならなかった印象です。
人間って不思議で、心臓が止まったとか、脳が動いていないとか
そんな単純な話でないんだろうなと思ったり
そんな単純な話じゃないといいなと思っています。

なかなかこんな話することないですが、
いろんな人のいろんな話を聞きたいなと感じました。

きになる方は年末のお供にぜひ。

良いお年を


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