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【私が考える】子どもとの向き合い方

子育てって大変ですよね。
いやいや、楽しいですって?
ええ、そら楽しいですよ。
大変だけど幸せな度合いのほうが大きいんですよね。きっと。

そんな子育てにおいて、私たちはどのように子どもに向き合うべきなのでしょうか。
自分たちの理想の人間になるように熱心に教育をするのか、あるいは子ども自身に任せて成長を見守るのか、子育ては親に任せてしまうのか…

私はどちらかといえば「見守る」タイプに近い考えを持っています。
本来、子どもとは血は繋がっていれど自分とは違う別の人間であり、その人の人生があります。親がここはこうした方がいいあれはそっちじゃなくてこっちの方がいい、などと言ってやる義務も責任も本来無くていいものと思っています。

ただ、これはあらゆる事実をもとに「判断」ができる一人前の人間になってからの話であり、それが15歳なのか、22歳なのか、35歳なのか、はたまた「一人の自立した人間」にはなれずに生涯を終えるのか、それはその人それぞれの特性ではありますが、
「親が子どもにどう関わったか」
は少なからず影響するのではないかと思っています。

私は、正直に申し上げると子育ては子育てで楽しみたいですし、老後は子どもたちとの距離感はそこそこに夫婦の時間を楽しみたい、と考えています。
子どもとの幸せな時間を過ごすことと並行して、いつの日か自分の意志で生きていける一人前の人間になれるようにできる限りのことをやろう、と思いながら日々を過ごしています。


生きるということは決して楽ではありません。我々親の勝手な都合で生を与えてしまったからには、子どもには最終的に
「生きていてよかった」
と思えるような幸せな人生を送って欲しいと願っています。それこそが私が子育てをするモチベーションでありゴールです。

何をもって「生きていてよかった」と思えるのか、これは人それぞれであり、親が思う幸せが子の思う幸せとは限りません。自分に取っての幸せが何なのか、は物心ついたときからはっきり分かっているわけではなく、いつ見つかるのかも分かりません。

そんな簡単ではない人生を楽しみながら歩んでもらうために私達が子どもにできることは、
「選択肢を広げる」
の一点だと思っています。
その手段の一例として、学問やスポーツ、礼儀、遊び等が挙げられるのだと思います。

一方で、子どもへの期待や願望―例えば、自分と同じように野球をやって欲しい―
そういう思いが自分の中にあることは重々承知しています。だからこそ「任せる」や「見守る」行為には我慢が必要であり、また覚悟が必要なのです。

私達ができるのは「きっかけを与えること」であり、「強制すること」ではありません。あれやこれやと「正解のようなもの」を与え続けるのではなく、子ども自身が「幸せ」とは何か、それを得るためには何が必要か、を考えそれを達成するために生きる、そのための土台作りをするところまでが親としての義務と考えています。


ところで、私達の愛すべき息子たちは現在2歳と0歳です。彼らはまだまだこの世界に関する知識が乏しく、常に新しいモノ・コトと向き合っています。これは一体何なのか、これをこうしたらどうなるのか、前はああだったのに今こうなのは何故なのか、というような疑問や戸惑いと毎日闘っているように見えます。同じことを繰り返し確認することでこの世界は安定しているという実感が得られるのではないでしょうか。

そんな時期だからこそ、親としてはできる限り子どものチャレンジとその結果を見届ける必要があるのではないかと思います。
本人が困らなければ(大怪我をしたり病気になったりしなければ)、親が困る(後処理が大変な)程度であればそれはできる限り見守るべきと考えています。―ご飯をめちゃくちゃにしてテーブルに擦り込んでみたり、水たまりにダイブしたり、ティッシュを根こそぎ取り出したり、棚を開けて中の物を全部出したり、ひたすら机の上から物を落としたり、石を食べたり木を食べたり…これらを見守ることは、それはそれは根気のいる作業です。もちろん命に関わることであればそれを禁止しますが、どこまでやらせるのか、その加減が親に一任されているところが子育ての難しいところです―

これらのチャレンジに対して、先回りして安全を与えておけば子どもは失敗せずに済むのですが、後から冷静になって考えてみると、子どものためと言いながら実は親である自分が安心したいだけだったのではないか、と思うこともあるのです。ああ、学びの機会を奪ってしまったな、と。

親が見ている範囲で一通りの失敗を経験する方が、万一のときは救けることができますし、親のいないところで今まで禁止されていたことをやって大事に至る方がよほど致命的なのかもしれません。


こうして2年ほど、別人格の子ども二人と接していると、いかに自分が精神的に未熟であるかを痛感します。体全体を使って必死で何かを伝えようとする彼らとのコミュニケーションが上手くいかず、こちらも感情的になってしまうことが多々あり、その度に分かってあげられなくて申し訳ないという気持ちでいっぱいになります。
しかしそういう辛さを乗り越えて子どもと向き合い、愛せば愛すほど子どもはそれに応えて何倍もの愛で返してくれます。

そういう意味で、「今」は多くを求める必要はなく
子どもは生きているだけで100点!
なのでしょう。


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shugo(@shugotky)


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